占いと「ジョハリの窓」前編
ふと、占いへ
先日、ふと思い立って、同僚の先生と「占い」をされに行った。
「総合鑑定」20分3,300円。手頃な価格設定だ。
占ってほしい内容によって、易学、九星気学、人相、手相、姓名判断、タロットと、その手法を使い分けているようだ。
結果、30分近く見ていただいた。親切な方であった。
占いの効果🔮
さて、占われて感じたことがある。それは、占いの要素とは、概ね以下の二つだということだ。
一つは、自分の知らない自分に「気付かされる」こと。
そしてもう一つは、自分の知っている自分を「念押し」してもらうこと。
一般には前者の作用を期待するのだろうか。新たな自分との出会いを求めてだろうか、または何らかの問題の解決の糸口を探しにいくのだろうか。
一方で、後者の作用も捨てがたいはずである。
あぁそうそう、自分ってそういうところがあるんだ、やっぱりあるんだ。
とアイデンティティを強める働きがあり、どちらも重要な要素であると言える。
気づき
占いは、生年月日、手相、タロットと進んでいった。
手際良く混ぜられていくタロットのカードを眺めながら、
占いは、「ジョハリの窓」とよく似ているなぁ、と感じた。
ジョハリの窓については、次回詳しく述べるとして、
違うのは、「自分をよく知る人間」にしてもらうか、「見ず知らずの人間」にしてもらうのか、だ。
他人から見た2つの自分
自分をよく知る人間から、自分の分析を聞くのは、楽しい。
それが優しいフォローだろうが鋭い指摘だろうが、おそらくそこには何らかの愛情がある。
一方で、見ず知らずの人間から聞く「自分」の話は、少し怖い。怖いと同時に、高揚感がある。
何が出るかわからないお楽しみ箱を開けるような、
これまで自分が「自分」だと思ってきた人間は、実は全く自分ではなかったと言ってもらいたいような。
そんな居心地の悪さとワクワク感がある。
「占い嫌い」
知人からの「自分評」とは異なり、納得いかなかったら、
ああ、あたらなかったな、と切り捨てればよい気軽さも、占いにはある。
・・・という話を、知人の美容師にしたところ、彼は「大の占い嫌い」であった。
これもまた興味深い。
占いに何かされたのだろうか。
上述の理由から、占いによるデメリットがあまり思い浮かばないが・・・
一つ言えることは、「占い嫌い」には、「確固たる自分像」があるのだろう。
そのテリトリーに、他者の侵入を許してはならないのである。
逆に、「自分像」の曖昧な人間ほど、占いによる学びは大きいと言える。
もっとも、その結果に人生を左右されるようになると、それは「洗脳」と化すのだが。
あらゆる自己理解の手段の一つに、「占い」もある。
その理解をもって、次回、「ジョハリの窓」について触れることとする。
MAAM.
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