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この血があるかぎり

頑張って生きていれば、必ずいいことがある。

そう信じていた私に、
ある友人はこう言った。


「ぜったいではないよ」


ショックだった。
「ああ、そうか、」
それだけの返事をした。

彼女は母子家庭で育った。



目の前にある、
やらなければならないことを
ただ一生懸命にこなしながら、
幸せを信じていても、

幸せにはなれない。


心苦しさから逃れたくて、
どこかにあるだろうゴールを目指し、
暗闇を一生懸命に走り続けたが、
一向にゴールは見えなかった。

ただ道のりが続くだけだった。

そもそも、ゴールはあるのか。

どこにたどり着いたら、
ゴールになるのだろう。


頑張っていれば、必ず救われる。
頑張っていれば、必ず幸せになれる。

これは、ウソだ。



母子家庭で育った友人が
何を伝えたかったのか、
彼女から受け取ったメッセージが
正しいのか、
私にはわからない。


間違った方向に頑張っても、
救われない。
間違った方向に頑張っても、
幸せにはなれない。


彼女の言葉から、
私に届いたメッセージは
そのような理解の言葉だった。


それなら、
みんなとちがう「わたし」は、
いったいどこを目指せばいいのだろう。


風の向かう方向に顔を向ける。
青空が広がっている。

大好な青空は、いつしかそうでなくなった。

青空が胸にしみて痛かった。


泣くことは好きではない。
泣くと悔しくなるから。
余計に涙がとまらなくなる。
だから、泣くのを我慢してきた。

どうしても我慢できないときは、
布団のなかで丸くなって泣いた。
お風呂で声をあげて泣いた。
誰にもわからないように。


強くなりたいと思っていたとき、
自分はまだ弱いのだと感じていた。

弱いから、強くなりたい。


素直に生きていなかった。

人の顔色をうかがうように、
家族や友達に合わせて生きていたように思う。

それは、潜在的に自分を守る方法だった。
「ガイジン」だから。

いつ、どこで、仲間はずれにされるかわからない。
だから、いい子になるのが習慣だった。

そして、それは、なおさら自分自身を
弱い存在へと追いつめていた。

本当は、
まわりになにを言われようとも、
まわりがどう思おうと、
自分ですべてを決めて、
胸を張って生きてみたかった。


クラスのリーダー的な存在の友人に尋ねたことがある。
「あなたみたいに強くなりたい」


「私は全然強くない」
「本当はすごく弱いから、強がっているだけだよ」
友人はそう返した。

何度も何度も、強がって生きていたら、
そのうち強くなるのか、

同時にそう思った。


わたしは だれ かな?


「○○○ ○○○」(自分の名前) の仮面の下にいるのは、

いったい 誰だろう。


いつまでたっても、わからない。


この胸の奥にある塊を、
すべて取り除いてしまいたい。


全身の血を抜いて、新しい血にしたい。
「ガイジン」でなくなるために。
混血な血をすべてぬいてしまいたい。

そんなことしたって、
また混血の血が造られるだけだ、
すぐに気づいて、苦笑いした。


こんなつまらない人生を生きている、
自分の意味がわからなかった。

私の生きている時間を、
例えば病気でもっと生きたい子供に
必死に生きようとしている人に、
私の残りの人生を譲りたかった。

私が交通事故にあえば、
臓器提供を長年待っている人に
臓器が提供できれば、
その人のほうが生きる価値がずっとある
と思った。


だけど、車は一向に自分に向かってこない。
どんなに待っても、
私の人生を譲る機会はなかった。

そもそも、
そんなこと起こるはずがないのだ。


もう逃げられない、
いつまでも変わらない。


それならば、
強く生きてみようと思う。


強く見えた友人は、
強がっているだけだと言った。

強くなりたいと願うなら、
「わたし」は私と共に生きなければいけない。


私らしく生きるしかない。


もし今が人生のどん底だとしたら、
これ以上恐れるものなどなにもない。

声をあげて泣いたっていい。
泣いて、泣いて、
すべてを吐き出してしまえばいい。

泣くのは、決して弱いからではない。
自分を弱い存在だと感じていた時は、
泣くことができなかった。


強くなければ、声をあげては泣けないのだ。


そのことがわかった瞬間に、涙が溢れた。


少しだけ、ほんの一歩だけ、
前に進んだように感じた。

一歩でもいい。
前進できたのだから。


溢れた涙は、硬くなっていた心にある塊を幾分か流してくれた。
心を軽くしてくれた。


心の片隅が温かかった。