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魔法への冒険2: 恥

私が過食症になり始めたとき、恥ずかしくてたまりませんでした。だってあれだけ日中は世間にいい顔ばかりして、夜中はそれに耐えきれなくて泣きながら夜中のコンビニを徘徊してるんですよ?「家族も友人も環境も最高(衣食住に困らなくて、しかもiPhoneあるし!)なのに何で?」と絶対自分に何か問題があると思っていました。もう自分は素に問題があると思っていたし、それが恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがなかったです。

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恥って、繋がれないことや関係を持てないことを恐れる気持ちとまで言われているんです。恥の感情って本当に癖者なんです!恥についてもう少し理解を深めるために、よく同類とされがちな罪悪感と比較したいと思います。例えば、木曜日の夜に飲み会に行ってしまって、金曜日の朝の大切な用事をすっぽかしてしまったとします。恥の場合「私はダメな人間だ」と思うのに比べ、罪悪感は「私はダメなことをしてしまった」と思います。つまり、恥は個人にフォーカスが当たっていて、罪悪感は行動にフォーカスが当たっているんです。だから恥の感情を持つ場合、自分は不十分な人間だから周りと距離を保とうとします。一方で罪悪感は、行動が悪かったのだからまた改めようという気持ちになれるのです。だから罪悪感ではなくて恥の気持ちが強かった私はあの時、とっても孤独で、何も出来ず闇の中にいた気分だったのかもしれません

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更に、恥の特徴として”無力感”、”孤独感”、”抜け出せない感じ”の3つがあると言われています。ちょっとこれ、最悪じゃないですか(笑)?負のループにガッチガチに固められている感じ(笑)。きっと皆さん、早く抜け出したいですよね。私もそうでした!ここで紹介したいのが仏教でよく伝えられているお話です。ある幼い子供を亡くした母親が悲しさのあまり、お釈迦様に子供を救うための薬を欲しいと頼んだそうです。するとお釈迦様は、「よろしい、ケシの粒を持ってきなさい。ただしいまだかつて死人を出したことのない家からね。」といいました。母親は町中の家を周り、必死に死者を出したことのない家を探しました。しかし、死者を出したことのない家なんて何処を探してもありません。この間に様々な人のエピソードを聞いて、彼女は息子の死を受け入れられるようになったそうです。私が何がいいたいかというと、万人にとって辛い経験があるのです。ネガティブな経験をしたとき、私達はそれが自分だけのように感じてしまい、わざと周りと距離を置こうとしますですが実は、恥もその他のネガティブな気持ちも万人共通なんですだから人と人はそこでも大きな共感と繋がりを持てるんですこれに気づけた時に(“孤独感”から抜け出せるので)恥の気持ちは実は和らぎます

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皆さんの中で当時の私の様にとても孤独な思いをしている人がいたら、その気持ちは隠す必要がないことを知ってほしいです。よく「ボジティブに考えてネガティブなことは見ない」という人がいるけど、私にとってはそれはあまり効果的ではありませんでした。だってネガティブな感情も私の個性の1つだし、それをそのまま受け入れなきゃ、なんかスッキリしないんだもん!実はそのネガティブな気持ちに共感出来る人は大勢いて、全ての人が人生の中でネガティブな経験をしているんです。人間であるということは、ネガティブな経験をするということが切り離せないんですだからそこでも私達は繋がっています。そしてその自分のネガティブな感情さえも受け入れられた時に、自分について何か新たなことを発見するんだと思います❤︎

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