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韓国の古代遺跡コインドルと推しの夫 

2024年3月末のブログ記事を加筆修正したエッセイを
画像と共に「余白手帳9号」に掲載して頂きました。
「余白手帖」は東京の韓国大使館付の文化院や、韓国図書専門のブックカフェ「チェッコリ」さん、京都市国際交流センター等に置かれています。


先に出したブログは画像無しの文章でした。

この文章は画像と一緒が良いので、既に読んだ方も
是非以下の形で再読どうぞ。


というか、、元々別の原稿が出来ていたのですが、夫が春分の日に撮ってきたドルメンの日の出写真に、がーん!
その勢いで一気に書いた文章でした。



またこちらは夫が直接書いた(翻訳えみこ)コインドルに関する説明です。
「余白手帳9号」にはこちらも一緒に載せて頂きました。




春分の風景を抱く高敞コインドル            李秉烈


 コインドルは青銅器時代、農耕と定住生活が始まる頃つくられた巨石文化の産物である。上部の覆石が下の石に支えられていることで「コイン石」と呼ばれたといわれるが、(韓国語の고이다の意味の一つに支えるというものがある)支石の無いコインドルも多い。朝鮮半島には約4万基のコインドルがあるが、全羅北道高敞郡だけでも2千基を超えるコインドルが存在する。最近になって支石の通路や覆石の対角線の長尺がある法則性を持って配置されていることが明らかになってきた。コインドルは一般に古代の墓と思われているが、実は部族の境界線としての意味や、天祭台、農業暦、天文台、占星台等多様な目的に使われていたと思われる。



 全羅北道高敞郡香山里のあるコインドルは、春分と秋分の日の出に合わせて支石が配置されている。春分はその年の農耕に備え、種蒔きの準備をする時だ。古代の人々もその日、太陽に一年の豊作を願ったのだろう。春分秋分には日の出と日没が支石の中心に正確に入り、石と光は見事に調和した光景を見せてくれる。


多くのコインドルは天と地の風景を祭儀に昇華した天祭台であり、人々の祈りの込もった聖なる遺産である。悠久の歴史のなかで積み上げられた天文学の知識と知恵による創造物だ。高敞コインドルの支石の間に差し込む春分の日の出の太陽は、古代の人々の声なき歓喜のメッセージである。



韓国の古代遺跡コインドルと推しの夫 

 

                            中村恵実子
       


地を見つめてきた人
韓国語で「星を見る事がない奴」という言葉がある。
上手くいかず芽が出ない人の事だ。数年前のある日、私の夫は急に「星を見る人」になった。夫・李秉烈博士の話をさせて頂きたい。

 

 彼が上手く行ってなかったわけではない。ただいつも目が地に向いた地理学者だった。15年前にソウルから故郷に移ったが、学者が田舎で生きていくには何でも屋にならざるを得ない。頼まれ事をこなすうちに地元の郷土史編纂に関わり、出版社を運営するようになった。夫の地域研究が全国的にみても非常に高いレベルで進んだのは、地域のお年寄りからの深い聞き取り調査と検証によるものだと思われる。初対面の田舎のお祖母さんの寄り合い場に平気で入っていける人だ。また韓国の風水では土葬だと墓位置の選定が最も重要だが、夫はダウンジング能力を買われて色んな所に呼ばれた。L字型の金属棒を手に地下に水脈があるかどうかを探すのだ。お金は受け取らず奉仕だが墓も家相も沢山見てきた。




指に触れた星穴
 夫が星を見るようになったのは、そうして地域の隅々まで歩き回っていたある夏の事だった。私の住む町には韓国語でコインドルと呼ばれる古代ドルメンがある。既に世界遺産認定されているが、数が多過ぎて未管理のものもある。石組みの巨石なのだが、夫はそれに出会うと素手で岩の上の蔦掃除から始める。その日岩の上に何かの窪みを指で感じた夫は手を止めたらしい。草を全部取り払って窪みの全体像を眺めてみるとそれは星座の形だったという。星穴が彫られたコインドルの存在は既に確認されていたが夫はそこで止まらなかった。その星穴のあるコインドルと近隣のコインドルの位置を結んで空から見ると、北斗七星の形になっている事を見つけた。




 実はコインドルは特に活発に研究されている分野ではなく、こういう検証を細かくやった人は今までいなかった。考古学会では夫の意見は異端だったが、近くの国立大学の歴史学の教授が賛同してくれた。夫は急いで論文を書きその冬には研究誌に掲載した。ほどなくその発見に関してテレビ出演した。とにかくそれを契機に夫は天文学を独学し、星とコインドルの関係を調べ始めた。地を見ていた目の角度がぐっと上がり「星を見る人」になった。そのうちソウル大の天文学科の教授が夫の意見を支持してくれるようになった。




コインドルに差し込む太陽の光
 コインドルにも様々な形がある。さらに夫はコインドルの立地に関する規則性を見つけた。このコインドルは春分秋分に合わせて立っている、こちらは夏至冬至だという風にだ。春分に合わせられたコインドルには、春分の日の出がコインドルの支え石の間にまっすぐに入ってくる。夫のコインドル研究が少しずつ知られ、今では春分や冬至のコインドルに人が集まるようになった。天候次第なので空振りの日も多い。コインドルに太陽が綺麗にはまった写真は奇跡の一枚だ。




 天体とコインドルの関係を夫から聞いた人々の目には灯が灯っていく。星と地上を結ぶ古代人の知恵や、また数千年前の遺跡に今も変わらず季節の太陽が入ってくる事に心躍らせる。近隣に住む人達が自分の住む地に誇りを持ち始める。夫は流石に地を長年愛してきた人で、星と日の光で地を照らしたのだろう。夫は今、大学の研究事業で日々コインドル調査に出ている。帽子を被り水筒を持って遠足の小学生のように元気よく出かけている。「本日のコインドル」の土産話が楽しい。ある日夫がコインドルから落下し足を怪我して帰ってきたが、その日から雨が続いた。少し休めとの事だろうと夫婦で笑った。星の研究を始めるようになってから夫が言った言葉が印象深い。「地球で一番真っ暗な時は、宇宙からは一番明るい時」「日が沈む時が一日の始まり。宇宙では全てが逆」「黒は宇宙で一番明るい色」星を見つめる夫の言葉に世の中が違って見えた。
 





コインドルと天地人
 夫は文章表現が上手くないと自分で言うが、コインドル愛溢れる夫の撮る写真からは伝わってくるものがある。この春分のコインドル写真を多くの人に見てもらいたく記事にさせて頂いた。


 コインドルに日の出がすっぽり収まった瞬間、人々は恍惚とした歓喜の表情を見せる。昇る朝陽や真っ赤な夕焼けに「明日も頑張ろう」と思えるのは、きっと昔から人々がそうしていたからだ。建立が3、4千年前と比定されるコインドルが今なお同じ場所にあり続ける事も素晴らしいが、そこに心躍らせる夫もまた素晴らしいと思える。是非これらを更に解明し分かりやすく世に伝えてほしい。

 


 コインドルを誇って語る夫の声は澄んで弾んでいる。夫はここ数年、春分秋分夏至冬至の前後一週間はずっとコインドルの太陽を追いかけている。専門的な事は分からないが、夫に連れられコインドルの朝陽と夕陽を見ているだけで心満たされるものがある。「夫を推す」なんて以前は素直に言えなかったが、今や夫は私の推しだ。しかし推しゆえに辛い部分もあり悲喜こもごもだ。あの越路吹雪さんと岩谷時子さんの関係を御存じだろうか。越路さんの才能を誰より認めながらも、時には厳しく突き放すことで推し続けた才能溢れる作詞家岩谷さん。岩谷さんの訳詞で「ろくでなし」という越路吹雪さんの歌があるのが実に感慨深い。



 ただコインドルにすっぽり収まる春分の太陽を前にすると、言葉は消え心は静まり「まいっか、生きてるし」と笑える自分がいる。過去の傷みも未来への不安も吸い込まれて陽の中に溶けていくような太陽だ。朝陽を迎えた巨石の温もりと喜びの震えが地に伝わっていくような気がした。韓国の伝統思想として、宇宙と人間の調和した姿を表す天地人という概念がある。太陽とコインドルとその両者が合致した光景に歓喜する人々、この三存在が調和した姿こそが天地人を表しているのではないかと思った眩しい春の朝だった。
 

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