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秀吉の置き土産「400年の長い道」①

ちょうど一年前の今頃、(2022年5月)
私が韓国語に翻訳した
「400年の長い道」という本が韓国で出版されました。

↑韓国のネット書店のURLです。



韓国には教保文庫という書店チェーンがあります。
ソウル光化門のでっかい教保文庫に
平積みにされた「400年の長い道」を目にした時は
感無量でした。



「400年の長い道」には、秀吉の朝鮮出兵(16世紀末)で
日本に連れた来られた朝鮮人たちが
その後どう生きたかが記録されています。
在日韓国人の著者尹達世氏(2014没)が1980年代から
日本各地を巡り調査したものです。



2012年に私は著者尹達世氏と知り合いました。
また、翻訳原稿完成後も韓国での出版は難しかったのですが
(売れる見込みがないから商業出版では出せないと)
ある時、出版に力を貸して下さる方が現れ
全国の大手書店チェーンで置いてもらえる
流通網で出版することが出来ました。
(日本もそうであるように、韓国の出版も色々です)




出版後、また助けて下さる方が別に現れました。
その方が著者の故郷である済州島で
三度のブックトークショー開催してくださり
私は去年の夏、済州島で講演してきました。
また、済州島道民会が書籍を大口購入してくださり
済州島の図書館や学校に
本がいきわたるように手配してくださいました。
ブックトークショーも好評に終わり
「続編」が出た日には、また来てくださいという
お声を頂き本当にありがたかったです。



どうしてそうなったのか。
またその本は一体どういうものだったのかについて
こちらに書きました。
韓国語版の翻訳者あとがきの日本語訳です。


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400年の長い道 翻訳者あとがき

’これは韓国人の歴史だ。
韓国語に翻訳されてないなんておかしい’
’教科書に載るくらいの価値ある内容なのに、
知らないなんてもったいない’


初めて原書を手に取った時から、
今に至るまでずっとそう思ってきた。


400年前の壬辰倭乱(日本では文禄の役:1592年)当時
朝鮮の各地域から数万人の朝鮮人が強制的に日本に連れてこられた。


’被虜人’と呼ばれる彼らに関する数少ない痕跡を、
1980年代から現地調査したのが著者尹達世氏であり、
その調査記録が2003年に日本で出版された「400年の長い道」である。



「400年の長い道」の日本の読者の中には
本を片手に現地を訪ねる人も現れた。
コロナの状況が落ち着いた暁には、
韓国人読者がこの本を片手に
日本の現地を訪れる事が出来ればと思う。
ただ、ここに載せられている地域は、
一般の観光コースから大きく外れているため
探すのも大変かもしれない。


けれども’百聞は一見に如かず’
実際の経験から得る喜びは大きい。
それこそが著者尹達世氏を30年以上も
日本の隅々を駆け巡らせた原動力だったのだろうから。


この本は日本各地で困難の中、希望を捨てずに生き
日本における一筋の光となった朝鮮人の驚くべき生の記録だ。

おびただしい数の朝鮮人被慮人の中で
記録に残った人はどれほどもいない。

その貴重でありながらも微かな被慮人の生命の光が
この本を通して韓国人読者に伝われば
翻訳者としてこれ以上の喜びはない。


尹達世先生と私を出会わせたのも被慮人である。

私は90年代末に韓国人と結婚した日本人であり
支石墓で有名な全羅北道高敞に住んでいる。
(ソウルから西海岸沿いに300キロ南下した地域)
日本の実家は本書の第1章に登場する徳島県にある。


毎年実家に帰っているのだが、
2012年の新春、父が不意にこう言った。

「そういえばうちの墓地に朝鮮人の墓がある」


その話に興味をもった私と夫は
父の案内でそれを探しに墓地に行った。
小さな菩薩型の墓だった。

「これがどうして朝鮮人の墓だってわかるの?」と聞くと
「豊臣秀吉の頃、朝鮮に戦争に行ったうちの先祖が連れて来たと
 昔からそう言い伝えられてるから」と父は答えた。


韓国に戻る前に購入した関連書籍の中に、
私が知りたい事がずばり載っている本があった。
それがこの「400年の長い道」だった。


私は韓国から尹達世氏に連絡をいれた。
徳島の実家の朝鮮人の墓の話をすると、
尹達世氏はすぐに徳島に向かい実物を確認した。
その墓が豊臣秀吉の時連れてこられた
朝鮮人の墓である可能性が高い事とその根拠を教えてくれた。



2012年5月、尹達世氏が韓国に調査旅行に訪れた際
高敞で’壬辰倭乱の被慮人研究’をテーマに講演してくださった。
この講義で私は通訳を担当し、
そのご縁で「400年の長い道」の翻訳をすることになった。
尹達世氏が私に翻訳して欲しいと強く願ったからだ。
実家の墓地の朝鮮人が結んだご縁なのかもしれない。



私には地元の新聞に
三年以上隔週のエッセイを連載していた経歴がある。
しかし自分の考えを韓国語で表現するのと、
誰かの著作を韓国語にするのは
別物であり大変困難な作業だった。



そうしていた2014年の秋、
著者尹達世氏が満70歳で亡くなられた。
著者の生前に韓国語出版に至らなかった事が、
大変申し訳なく残念であったが
当時はどうすることもできなかった。



月日が流れた2021年のある秋の日、
韓日文化交流会会長の増渕啓一氏が高敞を訪れた。
「400年の長い道」を読んだ増渕氏が
三省出版博物館館長の金宗圭氏を紹介してくださった。



この本は’韓国人の文化遺産である’という思いに
同調してくださった方々の助力のお陰で
出版に至った。心から感謝申し上げたい。



韓国では上手くいく人の事を
’福のある人’という。
その表現を借りればこの本は’福のある本’である。
この本にはそんな福のある生命力に溢れた実在人物が登場する。
そういえば第1章徳島エピソードの最後の登場する女性の名前も「お福」だった。韓国の出版社の社長の名前も善福氏である。



揺れる波に運ばれるように多くの人の手を経て、
不思議なご縁を通し出版に至った。
不足な翻訳者を御助力くださった各位に心から感謝申し上げる。


歴史資料の確認に関しては日本各地の学芸員さん達から御助力を頂いた。
夫である李秉烈博士には韓国側の歴史資料の確認と私の翻訳初稿の校正をお願いした。彼なしにはこの本は完成しなかった。
尹達世氏夫人と御息女、韓国の親戚筋に当たる方々、
三省出版博物館の金宗圭会長と韓日文化交流会会長増渕啓一氏、
出版を引き受けてくださった幸福エナジー出版社の権善福代表と
編集者オ・ドンヒ女史の功績は大きい。
また実家と嫁ぎ先を含めた私の家族、友人達にも感謝を申し上げる。



韓国語に翻訳されたこの本を
故尹達世氏の霊前に捧げながら、
韓国の人々の手と心に愛と共に届くことを祈っている。

         翻訳者 中村恵実子   2022年2月

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー翻訳者あとがきでした。


私は作家じゃなく翻訳者ですが、
作家さんは既に故人です。
亡くなる前に
「これをあなたに訳してほしい!」と頼まれた本です。



日本語で書かれた本なので、
韓国人が翻訳するのが普通です。
出来上がりのクオリティだっていい事でしょう。
でも、この本を翻訳しようとした韓国人達は
誰も最後までやり通せなかったそうなのです。
文章に日本の地方の地名や人名、それも古語で書かれたものが
非常に多いことがその理由かもしれません。



私も翻訳は結構やりましたが
それは「韓国語→日本語」であって、
「韓国語→日本語」は、得意ではありません。

何度もお断りしましたが、
押される形でいつのまにか着手してました。
お元気な時に沢山質問することが
出来たのがありがたかったです。
もう、それも10年前の話ですが。


あとがきに書いてありますが、
翻訳原稿が出来たものの、
長い事出版できませんでした。


2014年に一度出版契約していたのですが、
その出版社があまりにも不誠実だったので
出版直前にストップしました。



その後、出版してくれる出版社とも出会えず
「このまま原稿抱いて死ぬのかなあ~」と思ってました。
著者さんが「どこの出版社でもいい」とは言わずに
「大きく流通にのるところで出したい」と仰ったのが
出版社を見つけられない理由の要因の一つではありました。
沢山の人、普通の人に読んでもらいたい。
学者や一部の知識人でなく。
というのが著者の願いでした。



ところが2021年の秋に出会いがあり、
そのまま流れるように出版に至った本です。
著者の望む、大きな流通に載せてくれる出版社でした。



全韓国人に読んで欲しい!!
という私の最初の気持ちは全然変わってません!
こんな立派な本になって、ありがたい限りです。
話はまだまだ続きます。②へ


ありがとうございました。



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