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〈おとなの読書感想文〉わたし

子どもの頃、「ババちゃん」と呼んで親しんでいた人が、自分の母親の母親であることを知ったのは、何歳くらいの時だったでしょうか。
世に言う「おばあちゃん」=ババちゃんということはわかっていた気がするのに、それと母との関係を結びつけて考えることはできていなかったのです。

ババちゃんは孫のわたしをとてもかわいがってくれました。
何か悪いことをしたとしても、怒られた記憶はほとんどありません。
ただ、ある時外を一緒に歩いていてわたしが他の通行人とぶつかりそうになったとき、わたしを引き寄せながら相手に「どうもすみません」と謝ったことがあります。
これはなんだか意外な反応でした。
叱られたわけではないけれど、大げさに言えば他人にわたしの非を詫びたことが軽いショックでした。
ふたりのときは「いいよいいよ」で済んでいたであろうことも、別の誰かが介入すると謝罪の対象になるということです。

人は、たくさんの関係性の中に組み込まれて生きています。
ババちゃんはわたしの祖母です。わたしの母にとっては母親です。
近所の人や、友人や、他の人からは、また違った呼び方をされるのでしょう。
幼い頃に感じたこの不思議を、楽しく描いたすてきな絵本があります。

「わたし」(谷川俊太郎 長新太 福音館書店)

「わたし」という存在を様々な人の目から見ると、どのように見えるのか。
この本のすごいところは、ページをめくるごとに清々しさと、言い知れぬ寂しさを感じるところです。
関係性の希薄さは、自分の関わる世界の広さと多様性を表しているとは言えないでしょうか。
「わたし」を深める過程は成長の過程であり、20億光年の孤独に目覚める過程なのかもしれないとも思います。


「わたし」が発刊された「かがくのとも」は、今年で50周年を迎えたそうです。
子どもの頃に感じていた好奇心や、なぜなのかと疑問に思う気持ち。
忘れずに過ごしていきたいと感じた、今年の夏でした。

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