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私が着物を作ろうと思うまで 〜着道楽編①〜

グーテンターク、こんにちは。

前回に引き続き

「私が着物を作ろうと思うまで」

今回は着道楽編①です。
絵描き編先に終わらせんのかーい、というツッコミが聞こえそうですが、人生は複雑なのです。

さて、オタクまっしぐらだった私が割とあっさりとオタク界から抜け出す事になるのですが、そのきっかけとなったのは、V系音楽とロリータファッションとの出会いです。

姉の影響でLUNA-SEAにはじまり、XやThe Yellow MonkeyなんかのV系音楽にハマって、よく原宿に出かけるようになりました。
当時から原宿にはV系バンドコスやバンギャルの他、最先端のオサレピープルが集まっていて、オタク少女だった私にとってそれはそれは刺激的でした。
こんな世界があるのか!と思いました。何せ私の住んでた街は杉並のデッドエンド。オサレな人など誰もいません。

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その中でも特に、原宿で「キャンディ・キャンディおじさん」こと、Candy Milkyさんに初めてお会いしたのは、私の人生の転機だったと思います。
Candyさんは男性ながらにロリータファッションを身に纏って都内の街に出没する有名人。なんとその全ての服が彼の手作りだといいます。
衝撃だった。頭を雷で打たれたみたいに、全身が震えたのを今でも覚えている。

当時彼は40代くらいだったと思います。失礼を覚悟で言えば、おじさんなのに超かわいい!そして自分の「好き」を貫く強さ、それを全身に纏い自分の望む世界観を体現してる様は、”This is me!”と叫ばんばかりの圧倒的「自分軸」感、存在感があった。

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これだ!と思いました。自分の一番好きなもの、着たいもの着よう、着るもので自分を表現しよう、と思ったのです。
画材とまんがやゲーム、オタクグッズに費やしていたお小遣いとバイト代を、ロリータ服に費やすようになりました。

今思うと、90年代半ばのアニメ作画のオーバーすぎる表現にちょっとうんざりしていたのもあったと思います。
そしてアナログのイラストやまんが制作はとにかく時間がかかる…
別の「夢中になれるもの」の出現に、オタク界からはしばし離れ、私の着道楽人生がスタートしました。


それまで服にはほぼ無頓着だった私が、いきなり狂ったような格好をし出したので、家族や友達はもちろんビビってました。
今でこそ知名度も上がり、そこそこ市民権も得ているロリータファッションですが、当時はそりゃあ好奇の眼差しで見られたし、笑われたり罵声を浴びせられる事もありました。
しかし自分の選択でそれを着ている自覚があるので無視です。こうなると不思議な事にパワフルというか強気で、「この良さが解らないなんて哀れね」みたいな謎の上から目線(笑)。

ブランドも少なく王道はMILKとJane Marple、そして子ども服ブランドShirley Templeくらいで、原宿にちょっとそういう服を置いてるお店がちらほらあるくらいでした。
決して安くないし、とにかく選択肢が少なかったので情報誌やブランド古着屋さんをハシゴして↑の服を探しまくったり、自分で縫ったりしてました。
ここで私の洋裁知識と技術が磨かれたと思われます。無いものは作る。

それまでの私はおしゃれに無頓着だったというより、着たいと思う服に出会ってなかった(知らなかった)のです。
ロリータファッションが選択肢として目に入った途端、持ち前のオタクぶりを発揮、一気にロリータファッションマニアになりました。
今にして思えば、おしゃれ心は人並み、いやそれ以上にあったはずです。
なぜなら私はずっと「きせかえ遊び」が好きだったから。

また長くなってきたので続きは次回。

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