情報の集中・密着と拡散・連動

情報の広がり方ということに関して、直接コミュニケーションによる物は、情報量が多いので、密着して濃密な情報交流がなされる。一方でだいたいこの人がこんなことをしていそう、というリモートでの感覚は、それを念頭に置いて相互の仕事が影響し合うという様なことから、仕事にある種の連動性が生まれる。これは、自然なレベルであれば情報伝達の使い分けなどをすることでそれぞれの仕事を有効に進めてゆくことができるやり方であるとも言える。

トークンのコミュニケーションへの影響

しかしながら、そこにトークンが入り込むことで、密着コミュニケーションのあり方の解釈の様なものが第三者から観察されるようになり、直接コミュニケーションの方が演劇化して、そこから密着コミュニケーションだったはずが、第三者を巻き込んでリモートのトークン連動コミュニケーションの一部に組み込まれる、ということが起こりうる様になっている様に感じる。
一方でその拡散連動コミュニケーションの方は、個別具体的なものからトークンによって一般化されたものに変わり、トークンを介した他者との競争を伴うリモート共同作業の様な形を取ることとなり、その成果争いなど具体的リモート共同作業よりもはるかに負担が増え、効率性を損なう様になる。つまり、トークンを用いることによる一般化は、支配権を行使してだいたいの仕事の管理を行い、それを自らの成果にしたい人にとっては非常に有効であるが、その様な管理を好まない人にとっては負担が増すだけの無駄なやり方であると言える。

トークンによる直接コミュニケーションのリモート化

その点で、おそらく個々人にとっての効率性を阻害する管理的な仕事を排するために、いかにその様なトークンをコミュニケーションから取り除くのかということが重要になるのだろう。まず、密着コミュニケーションからトークンをなくすためには、解釈からトークンが生まれることを考えると、勝手な解釈を無くして、なるべく誤解を生む様な部分を配することが必要になる。しかしながら現状では、社会解釈の一つとしてゲーム理論的な駆け引きが適用されることもあるので、コミュニケーション自体が第三者的にその様な駆け引きとして解釈され、だからどちらが勝った、負けた、どちらの言い分が通った、という様な、意思の疎通という直接コミュニケーションの本来あるべき姿から離れて対決的なコミュニケーション解釈が先行して広がり、その解釈がトークン化され、それをリモートの仕事の一部として勝手に組み込んで仕事を運ぶ、という様なことをしている傾向が感じられる。

権力闘争につながるトークン解釈

それは特に、政治に絡んで、政治的課題についてどちらのポジションを取るのか、という様なことで役割分担解釈を行い、それを現実政治に連動させながら、身近なところでの権力につながるポジション争いも行うという、社会的マッチアップ競争的な世界観を形成して、社会の政治化を進めることになる。本来ならば政策論争において定まるべき政策の行方が、マッチアップの演劇的解釈による世論と呼ばれる空気をいかに纏うのか、という実態のない権力闘争によって定まる様になってゆくという不幸な状態を生み出すのだと言える。

強い圧力を生むコミュニケーションのトークン化

一方で、リモートの方では、その様に生み出された、権力に取り憑かれたような空気が、管理的というよりも支配的な圧力となってのしかかってくる。つまり、大雑把にこんなことをやっているだろうというイメージの中に、これこれこうしなければいけない、という様な命令的圧力、さらにはいつまでにどれだけをやらなければならないという様な締切と義務的仕事量の圧力もかかる様になり負担の方がはるかに重くなる。それは、直接見知った者の間でのリモート作業ならば、時空の共有がなされているが、トークン化されることで、メタのポジションからその時空の共有を省いていわば三次元座標の中にトークンによって皆が一緒の状況にあると一方的解釈を行い、それを管理的競争下に置くということが行われるためだと言える。

平和的コミュニケーションのために

この様なトークン化によるコミュニケーション破壊が行われることで、社会はひたすら対決と競争という血生臭い殺気立った空気に覆われることになる。これを防ぐために、それぞれのコミュニケーションのあり方の特性をうまく生かしてゆくやり方が模索されるべきなのだろう。

政治システムの問題

まず、直接コミュニケーションの方では、それが身近なところでの権力争いにつながるという部分を無くしてゆく必要があるのだろう。政治が地方政治からの積み上げで国政につながるという階層構造イメージでおこなれていると、地方における問題意識の拾い上げという手柄争い、そしてそれをいかに中央の権力へと接続するのかの争いが日々繰り返され、それがマッチアップによる競争を加速しているのだと言える。つまり、コミュニケーションをとっていても、いかにその中から問題意識を抜き出し、それを政治的手柄にして、例えば予算への影響力を確保するのか、といった権力をめぐっての相互のマウンティングの様なことが日々のコミュニケーションのベースとなるという、私にとっては非常に不快な状況が出現する。その様なコミュニケーション環境が、権力が日常生活に入り込む元になっていると言えるのだろう。

時空のすり合わせの欠如

だから、直接コミュニケーションはとにかく自分が何をやりたくて何の行動をとっているのか、という時空の説明が重要になるのか、とも感じるが、ただ、興味を持っているのかどうかもわからない相手にいきなりそんなことを話すというのは非常に無駄だし、お互いの心理的負担も大きい。そして、そんなことを聞いたところで、関心が合わなければ政治につなげるくらいしか解決法がないということになり、結局政治依存が高まるだけとなる。

技術の可能性と限界

そこで、リモートの可能性を探ってみると、現在では、インターネットが広くつながる様になっているので、そこで自分のやりたいこと、やっていることを提示して同志を見つけてゆく、というのが技術的には可能になっていると言えるのだが、現状ではそれすらもいかに目立って注目を集めるのか、という場になっていると言え、インターネットの情報を信じて同志を見つけるという環境にはなかなか至っていない様に感じ、さらにそこでもゲーム理論的駆け引きが行われるので、公開情報ほど何らかの裏の意図があるのでは、と疑うことが習慣化し、むしろその裏の意図を読み取った上でのコミュニケーションというのが一つの様式となっている様にすら感じる。

変革期の混乱にあるコミュニケーションと情報流通

その辺りの情報環境の整備が、直接、間接共にまだまだうまくなされていないので、情報氾濫の中、人が情報に踊らされてそれに支配され、競争や駆け引きに追い立てられるという不幸な状態にあるのだと言えそう。


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