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【写真日記】雪が降る前に福井へ①・油坂峠を越えて九頭竜湖沿いを走る

もう12月だというのに、まだ雪かきを一回もしていない我が家。
例年だと雪かきで忙しい時期なんですが…。

少し前に初雪が降ったとき、慌てて冬支度をしたというのに、倉庫から出した雪かき道具は全く出番がなく、家の脇で大人しく控えています。

標高が高い所でも雪はすっかり消えて、まるで晩秋のような風景。

でも、見方を変えれば、雪の心配なく安心してお出かけができますよね!
「よしっ!これはチャンスだぞ~!」

…ということで、先日の日曜日、私と夫は、お隣の福井県へ車で出かけてきました。

岐阜県(飛騨地方)から福井県へのルート

私たちが住んでいる岐阜県高山市から、お隣の福井県へ。
さて、どうやって行きましょうか。

富山県から北陸自動車道経由で福井県に入るルートもありますが、これだとかなり大回りになります。
しかし、それよりも最短のコースがありました!
下の地図がそれです。

こちらの地図、分かりやすくするため「高山駅」を出発点にしてみました。ゴールは福井県勝山市です。

https://goo.gl/maps/3zWqrUmDVvtxREQN7

高山市(岐阜県・飛騨地方)から福井県へ出る場合、まずは郡上市白鳥町に行き、そこから油坂峠道路を通って九頭竜湖沿いに出る方法があります。北陸経由より、こちらの方がうんと近いです。
しかし、このルートは険しい山を越えていくため、冬季は積雪や凍結の心配があり、(運転に自信がないと)冬はちょっと怖くて行きにくい道路なんですよね。

しかし今は(珍しいことに)雪が全くありません。これはチャンスです。

実は私たち、今年は北陸へ…石川県富山県と順番に巡っています。そこで今回は、この最短の道を通って、北陸三県の最後の県である「福井県」を訪れることにしました。

いざ、福井県へGo!

朝、車に乗り込み、いざ出発!
高山市内から中部縦貫自動車道に入り、そこから更に東海北陸自動車道へと入ります。
この時のドライブの様子を動画に撮ってみました。良かったら視聴してみてください😄!(45秒・BGM入り🎶途中でネコさんが踊ります♪)

途中で休憩を挟みながら、白鳥インターチェンジを目指します。
おっと!見えてきました~!

ここで出口へ下ります。「大野」とは福井県大野市。岐阜県と接している町です。

料金所に出ました。ここから福井県に繋がる峠道へと入ります。

料金所の向こうに見える山々をこれから越えていきます。

私たちは、このまま道なりに国道158号線へと入りますが、ここからが実は難所なんですよね。
今から通るエリア… 油坂峠あぶらざかとうげ
油坂峠 - Wikipedia
岐阜県と福井県の県境に当たる峠道です。

昔は険しい山道でしたが、昭和の終わりから平成にかけて「油坂峠道路」が造られ、今は自動車道として広く利用されています。しかし、急傾斜の山に作られたため、カーブとトンネルが多く、かなり標高の高い所も通ります。
ちなみに、下道の「油坂峠(旧道)」は冬期間は危険なため、春まで通行止めになるそうです。
料金所を過ぎたら、遠くに見えてきました。あの高架が「油坂峠道路」の入口です。

遠くに見える高架は油坂峠道路の一部。今から、あそこを通ります。
高架の下に広がっているのは、白鳥町の町並み(岐阜県郡上市)。いよいよ油坂峠へと入ります。

この油坂峠ですが、岐阜県の方は、峠までの標高差が約420mもあり、かなり険しくて大変な道でした。
昔は、峠を上る道で旅人がだらだらと油汗をかいたことから「油坂」と名づけられた…という説があるそうですが、わかる気がしました。

ホント、標高差をカバーするために、ヘアピンカープの道が続き、ぐるぐるしながら峠の頂へ向かいます。自動車道とは思えないほど、かなりのグネグネした道でした。



さて、トンネルを抜けてすぐのところで、「福井県」の表示が目に入りました。

ここからが福井県です。暗いトンネルから出た直後だからかな?画像が白っぽくなってしまいました😅

こうして私たちは、福井県へと入りました。

福井県をゆく


福井県側では新しい道路を建築中

福井県側に出たところから、道路がまた更に険しく感じられました。

岐阜県側は大きなカーブが多く、峠道特有のグネグネした道路が延々と続き、途中、長いトンネルをいくつか通ったのですが、このトンネルの中もカーブがすごかったです。
「この道路のトンネルを走っていると、何だか同じ場所をグルグル回っているような感じがして、一体どこに向かっているのか?…方向が分からなくなるんだよなぁ」…とドライバーの夫談。

これが福井県側に出ると、今度は「道に手を掛けていない」ような感じで、この道路の鋪装や整備にあまり力を入れていないような雰囲気なんですよね。

でも、そんな不便も、あと数年の我慢…。

実は今、福井県では、この道路(158号線)を新しくするため新道路の建設工事が行われているのです。
中部縦貫自動車をリニューアルするための工事が、今急ピッチで進められています。

福井県大野市市役所のホームページより

今回、私たちが通って来た道の脇で、新道路建設の工事が行われている現場をたくさん見かけました。
ちなみに、新しい道路が岐阜県側と完全に繋がるのは令和8年春とのこと。

その時には、今のぐるぐるカーブは解消され、高速道路のようにスッキリと直線コースで走れるのでしょうね。今よりもっと気軽に走れるようになります。これはとても楽しみです。


九頭竜湖と穴馬総社

山を下るようにして国道158号線を走り続けていたら、左手にダム湖が見えてきました。
九頭竜くずりゅうです。

九頭竜湖

1968に完成した九頭竜ダムによってできた巨大な人工湖です。

今現在(12月半ば)、ダム湖畔の山々の葉は全て落ちてしまい、ちょっぴり淋しい雰囲気ですが、秋は紅葉スポットとして有名なんだそうです。
確かに、広葉樹林が山奥までずっと広がっているのが見えます。
もう少し早く秋頃に来ていたら、きっと美しい紅葉が楽しめたのでしょうね。

広葉樹の山々と九頭竜湖。

ダム沿いに私たちは走り続けます。

「すごいねぇ」と言いながらダム湖の風景を眺め、道なりに走っていたのですが、途中、道路の右側に大きな鳥居が見えてきました。
「こんなところに立派な神社があるね」
ちょっと気になったので、車を停めて参拝してみることにしました。

ダム湖を見下ろすような感じの神社。

車を降りて見てみると、穴馬総社と碑に記されてありました。

立派な鳥居と碑。奥にある社も立派です。
朽ちかけている石段を登りました。
立派な社。お酒のお供え物が置かれてありました。

境内には、「穴馬総社」のいわれを記した碑がありました。
これを読むと、「穴馬」とはダム建設時に水没した地域の名称だそうです。そして、ダムによって消えてしまう集落にあった神社を、全てここに集めて祀ったそうです。
だから「総社」なのですね。

これを読んで、このダムのために地区の多くの集落が無くなったことを知りました。

昭和38年に始まった九頭竜ダム建設工事によって水没地なる12集落(鷲、長野、影路、野尻、大谷、米俵、持穴、箱ヶ瀬、荷暮、下半原、上半原)及び奥地のため残存不能となる5集落(伊勢三部落、久沢、東市布)の計17集落四百十数戸が余儀なく移転移住となった。  
これらの集落には、氏神として社があり、そのうちの8社即ち春日神社(鷲)神明神社(長野)立会神社(影路、野尻)春日神社(大谷)神明神社(米俵、久沢)神明神社(伊勢三部落)白山神社(持穴、箱ヶ瀬、池が島)神明神社(下半原、上半原、東市布)の資産をもって昭和44年に社殿を建立し、他の5社の祭神をも合祀し、穴馬総社となった。       
例年5月5日には「祭り」が開催され、各地に散らばった人々が集まり、祖先の冥福を祈り、子孫の安泰を願うという。穴馬の里を離れた人々の心のより処となってきた。

九頭竜和泉自治会のサイトより

戦後の復興のために必要なエネルギーを確保するため、また、水害から下流地域を守るため、九頭竜川の上流地域に巨大なダムを建設することが決まったのが昭和三十年代。
当時、日本の豊かさと経済の発展の代償として、地方の小さな山村の渓流にダムが造られていき、多くの村が消失していきました。


都市部の治水と経済的発展のために、地方の山間部が犠牲になる。

その土地に先祖代々住み続けてきた人々は、ダム建設を受け入れる代わりに、土地を失い、故郷を無くし、皆、違う場所へと移り住んでいったのです。お金と豊かさを引き換えに、覚悟を決めて大切なものを手放していきました。

水の中に沈んでいく集落の姿を、人々はどんな気持ちで見つめたのでしょう。

その当時の人々の、故郷を想う熱い思いと願いが、この総社に託されているのを感じました。

神社の鳥居の向こうには、ダム湖があります。

あの湖の下に、ここに祀られている神様の神社や、その神社を大切に守り抜いた人々の集落があったのかな…と思うと、胸がジンと熱くなりました。

境内に置かれた、かつての神社の碑。

ここの神様は、どんな思いで湖を眺めていらっしゃるのでしょう…。
温かいまなざして、新天地で暮らしているかつての集落の人々の幸せを、じっと見守ってくださっているのかもしれません。

昭和から平成、そして令和へ。

時代がどんなに移り変わっても、かけがえのない大切な故郷の文化や伝統や自然や暮らしを、「国の発展」という名目のために、半ば強制的に捨てざるを得なかった地域があったことを、私たちは知らなくてはいけないと思うのです。

かつて昭和時代にも、エネルギー事業のために失ったものがたくさんある。
その歴史を決して忘れてはいけない。

今の都市部の発展と進化は、水流沿いの集落の犠牲の上に成り立っている。その延長線上に「今」がある。

…ということを、私たちは心の奥にしっかり留めておく必要があると思いました。

②へつづく

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Emiko(シモハタエミコ)
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