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【本当の自分を生きる31日間プログラム】Day10:「他人との関係性」

今日はDay10のテーマに取り組みます。

Day10のテーマ「他人との関係性」について

Yumiさんの今日のお題noteはこちらです。

以下、Yumiさんのnote記事より抜粋。

私は私の意見や気持ちを言うと否定されることが多くて、嫌われるのが怖くて、人の顔色を伺ってばかりな癖が身につきました。
そうやって頑張っているのにも関わらず、たまに失敗して、「ああ、なんでこんな風に言ってしまったんだろう・・・」と1人反省会をしょっちゅうしていました。
だから人といるのは楽しいは楽しいですが、反対に人と別れるとものすごく疲れてしまうのですね。それだけ自分は「素」の自分で人と接していることが少ないのだな、と思います。
また、こうして「本当の私」で生きることをやる、と決めて発信しているけれど、まだ「これは書かない方がいいな」なんて遠慮したり怖くて出せない部分もあります(笑)

他人の目を気にすることなく、自分の想いを伝えていく。
そしてそれを「いいね!」と思える同士でつながっていく。
他人の意見や違いを「否定」するのではなく、ただ「違い」があるということだけを認めてお互い受けとめていけるようなそんな関係性を築いていく。
それがこれからの時代、より必要になっていく人間関係なのではないかなと思います。

「一人反省会」 私もあるある~です(笑)。昔の私は、人と会って話すたびに「一人反省会」を延々としていました。でも、途中で「一人反省会から解放されて自由になりたい!」と思うようになり、自分を取り戻す取り組みを始めて、今に至ります。

おそらく人はみんな、多かれ少なかれ「他人との関係性」で何らかの悩みや問題を抱えているのではないでしょうか。

今日の質問は以下の3つです。

① あなたは他人の目をどれくらい気にしますか?

② どうしてそんなに他人の目が気になるのでしょうか?

③ 本当は他人とどんな関係性を築いていきたいですか?

今回も、なかなかディープなお題(汗)。頑張って答えていきたいと思います。(また長くなりそう…^^;。)

① あなたは他人の目をどれくらい気にしますか?

昔と比べたら、随分気にならなくなりました。

「他人の目を気にするか?しないか?」は、私は、相手と自分の関係性と信用度で大きく変わってくると思います。

ちなみに…。

私の場合、例えば「気を抜いてはいけない人」「心を許せない人」がいます。

ここでいう「気を抜いてはいけない人」というのは、干渉癖があって、こちらが少しでも気を抜くと、どこまでも深くまで踏み込んでくる人たちのことです。性格は決して悪くはなく、むしろ社会的には「面倒見が良くて、何でも親身になってくれる善い人」なんですが、親切が趣味みたいなところがあり、こちらの都合や気持ちを無視して、ゴイゴイと押し付けてくるところがあるのですよ。

だから、こちらが気を付けて、相手のお節介癖に火をつけないよう注意しなくてはいけません。

あと、「心を許せない人」とは、人のゴシップが大好きな人たちです。このタイプの人たちって、一見温和で良い人っぽく見えるんだけど、情報を仕入れるときの顔つきと目つきは非常に険しくて鋭く、まるで本物の刑事さんみたい(みんな同じ顔つきになるから面白いです)。私に親しみを感じて話をしているのではなく、私のことは単なる情報ネタ入手のための道具という感覚。すごくわかりやすいです。(笑)

このタイプの人は、道でばったり出会って立ち話になり、たまたま私が自分の身内の状況をポロリと口にしようものなら、瞬時にスイッチが入り「一語たりとも絶対に聞き漏らさない。」と、気迫に満ちた顔つきになるんですよね(汗)。そして、私が話している内容を、自分の頭に完璧にインプットしようと必死にかじりついて聞いてくるのです。

こんな時、「この人は、今聞いている私の話を、またどこかで人にベラベラ喋るんだろうなぁ…。」と思います。

「心が許せない人」に対しては、私も適当なことしか言わないから、大した情報にはならないけど、ゴシップの好きな人たちには格好のネタなんでしょうね。

だから、こちらも「池の鯉に餌を撒いてあげる」みたいな感覚で、適当なことをチョコっと言って、あとは何を喋ったかも忘れてしまうようにしています。

お節介好きな人・ゴシップ好きの人、どちらの人たちも、私は「どう思われているか」は全然気にならないです。別に親しくなりたいと思わないし、嫌われてもかまわないからです。

◇◇◇

しかし、その反面、私が大切に感じている人・嫌われたくないと思っている人・信頼されたいと感じる人に対しては、「どう思われているのか」がすごく気になって、接するときにすごく緊張することがあります。

会った後に、それこそ「一人反省会」をしたり、「変なことを言わなかっただろうか」と自分を省みて、何度も「過去の自分の言動」を振り返ったり…。

これはおそらく、好意を持っている相手・信頼を得たいと感じている相手と親しく仲良くなりたいとき、相手に嫌われないように自分を戒めて気を遣うため、それで相手の反応がものすごく気になるのでしょうね。

嫌われたくないから、一生懸命、変なところで頑張っちゃうんだと思います。

② どうしてそんなに他人の目が気になるのでしょうか?

おそらく、「相手に嫌われてはいけない。好かれなくてはいけない。」という思いが、相手に対して「変に気を遣う」方向へと自分を突っ走らせているのだと思います。

でも、私たちって、そんなにマナーが悪いわけでもなく、酷い態度をとるわけでもなく、普通にしていれば決して嫌われることはないはず…なんですよね。

ならばどうしてあそこまで自分の言動に落ち度がないか気になるのか…。

それは、単に自己肯定感が低すぎるから

…なのかもしれません。子供時代を振り返ると、家でも学校でも「ダメ出し」されることが多かったから、ただそこに存在しているだけでも「こんな自分ではダメだ」と思ってしまう…。

つまり、「自分はダメな人間なんだ」という刷り込みが強烈にあるのかも…です。

そんな私も、40代に取り組んだ「自分探し」で、「もっと自分に自信をもっていいんだよ」という根拠と証拠を集めるために、自分探求をずっとしてきました。「素の自分のままでいい」という気持ちに至るまで、いろいろなことにチャレンジしました。そして自信を取り戻していきました。

こうして今は、「このままの自分」でも大丈夫…と、怖がらず人と接することができるようになりました。

ただ怖がっているだけではだめで、ちゃんと取り組むことも必要です。

私の場合は、「自分に自信を持つ」ための訓練として、SNSで発信したり、他の人の記事に「いいね」や「コメント」を積極的にすることにも進んで取り組むようにしました。

このnoteも、その延長線上にあるのだけど、ネットを介してどんどん「自分」を発信していくこと。これ、すごく効果ありますよ。

SNSの発信は、実は私の夫も、私と同じく「自分をオープンに出していくための訓練」と称して、どんどん記事を出しています。私たち昭和世代にとって「オープンに自分を公開していく」ことは、あまり体験したことがない非常に難しいことです。ところが、それがネットだと、割と勇気を出してやりやすいのです。

…振り返ると、私たち昭和世代って、「自分を発信していくためのスキル」を、家でも学校でも全く教育されずにきています(汗)。昔は「寡黙で、とにかく何も喋らず黙々と働くこと」が美徳でしたし、自分をオープンに公開することは「恥ずべき事・はしたないこと」という価値観でした。ホント「コミュニケーション能力の向上」を目指した教育が本格的に始まったのは、日本では平成になってからなんですよ。(←元教師の私が言うので間違いありません・笑)

なので、私たち世代は、自分を開くことに「怖さ」を感じます。

そんな「自分を晒していくこと」への言い知れぬ恐怖心に打ち克ち、新しい自分を育てていくために、40代の頃からSNSの発信(FacebookやInstagram)を始めました。今は趣味も兼ねて、楽しみながらやっています。

これらの練習の甲斐があって、だんだん怖さが薄らいできました。自分の殻を少しずつ破って脱ぎ捨てているような感覚です。記事を発信したり、コメントを書いたり、スキやいいねを押したり…。躊躇なく心のままにできるようになりました。

お陰様で、今のところは、炎上とか誹謗中傷とか、そういうものとは無縁で来ています。…というか、私はフォロワーや友達の数がそれほど多くないですし、増やしても対処しきれないから、自分が責任を持てる範囲でお付き合いしよう…という気持ちです。私と繋がってくださる方は、皆さん良い方ばかりなので、むしろ助けられ励まされています。ありがたいことです。

このnoteも「自分をオープンに開いていくための場」だと思って、今日も正直にコツコツ書いています。noteで出会った方もたくさんいらっしゃって、皆さんから大きな刺激を受けています。

ネットで繋がった皆さんの存在が励みになっています。リアル社会で自分の周囲に実際に存在している人としか交流が持てず、自分の世界が極端に狭まっていた過去の自分が、遠い昔のこととなり、今は大きく広がった新しい世界にいるような感覚です。これは時代の恩恵ですね。とてもありがたいことだと感謝しています。

③ 本当は他人とどんな関係性を築いていきたいですか?

今まで「怖い」と感じて委縮していた関係の相手とでも、フランクに自由に「思ったこと」を堂々と話せるようになりたいです。

怖い人がいなくなること。これが私の目標です。

相手を怖がらない。恐れない。

これは、相手を人として平等に見て、対等に扱うことにも繋がる…と思うからです。

相手を崇め奉ることは、逆に見下し蔑む相手も生み出すことになると思います。

だから、自分より「上」の人を作らない。また、自分より「下」の人を作らない。これを心掛けてきいたいと思います。

最後に…(余談)

これは私の年齢も関係しているのかもしれませんが(汗)、年の功で(笑)言いたいことが遠慮なく言える上に、ちゃんと話に耳を傾けてもらえるようになりました。

40代までは、まだ世間の大人たちは、内心「子供扱い」です。ところが、さすがに50代の大台に乗ったら、社会的に責任ある立場を任せられるようになり、発言権も強まり、私の話をうんうんと真剣に聞いてくれるのですよ。しかも重みを感じて受け止めてもらえるのですよ。

この時、ああ、この年齢に至る前に、自主的に「自分」を確立させる取り組みをコツコツしてきて本当に良かった…としみじみ思いました。

若い人たちにお伝えしたいことは、今のうちに「自分をしっかり確立しておくといいよ」ということです。

いつか「責任ある立場」に就く時が必ずきます。その時、自分の中身が空っぽの上に、人目ばかり気にして自分が全く無い状態だと、自分が恥をかくだけ…なんですよね。

もしも、今の自分が「自信が全くなく、人間関係に怖さを感じていて、いつも人目を恐れて言いたいことも言えない意気地なしの自分」であるなら、今のうちに少しずつ克服するための取り組みを始めることです。

・そもそも自分は何を考え、何を信条にして生きているか?

・自分が信じていること・自分が正しいと思うことは何か?

・自分の哲学を持っているか? 自分の人生経験から、自分の人生哲学を構築できたか?

・自分がこの人生で目標としているもの・目指しているものは何か?

・自分が居心地よく感じるものは何かを知っているか?

・「自分」というものを本当にわかっているのか?

…ここをズバリ突かれるようなことが、年を取るごとにどんどん増えていくのですよ。

まるで、人生の単元末テストを出題されているような…そんな出来事がちょこちょこ出てきます。

だから、若いうちから、自分の人生をしっかり生きていくことですよ。人目を気にして、他人の意見や嗜好に自分を合わせていくような生き方ではなく、自分の気持ちに正直に生きていくことだと思います。

人生の答えは、全て「自分の中」にあります。自分と向き合いながら、一つ一つクリアにしていき、自分をしっかり知ること…。これがとても大事なことだと感じています。

◇◇◇

…ということで、本日はここまでです。

今日も長くなってしまいました💦。すみませーん。

続きはまた明日✨。

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