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無意識と繋がった

記憶する体 を読んで
        
 
体で覚えるとは、無意識の記憶といってもいいかもしれない。

今まで夢は朝起きたら忘れてしまいほとんど覚えていなかった。予知夢とか亡き人が夢に出てきたとか聞いても、特別な人が感じる霊感のようなものとひとくくりにして、気にもしていなかった。

それが最近、変わった。夢を意識するようになったのだ。

うつら、うつら眠りが浅い状態の時、瞬間に昨日の大事なことが浮かんでくることがある。
 前の日に大事なことなので準備しておこうと思ったものを忘れてしまっていた!夢の中でそんな大事な用件を、突然思い出し、よかった忘れるところだったと自分に聞かせたりしている。
 そしてまた、いつの間にか眠っている。翌朝、きちんと覚えているのも不思議だ。大事なことを思い出しホッとする朝を迎えることがあった。
 
 また、同じように夢の中で激しい感情が起こってくることもあった。悲しみだったり、傷ついた怒りの感情などで目が覚めてしまう。じっさいに胸がドキドキして目が覚める。そんな時も、前日の出来事で感情が揺さぶられることがあったことを思い出す。
ストーリはあいまいだが、感情だけがしっかり蘇って感情が体に刻まれた感覚、あぁ、自分は怒りを感じてしっかり傷ついていたのだなと自覚する。
感じないように、自分の理性で抑え込んでいたのだと思う。

 若いころより、自覚することが多くなったのは老いの一面ではないか
とも、自問自答する。
 記憶力や体の感覚が鈍ってきたことを、無意識はしっかり自覚し、発動しているのかもしれない。
生き物として精いっぱいの整理反応を駆動しているのかもしれないと思う。
老いへの防御反応が働いているのだ。
 若い頃は生きるエネルギーに満ちているから些細なことを感じなくても、復活し修正する力がある。前に進むことが大事だと生命はそう命じるのだ。

 そう思うと私たちは何と健気な生きものではないか。こうして、体は生きるために反応して生きている。
 自然にゆだねて生きることの大切さにもつながった。
生きる意味の深さを感じるようになったのも、老化の良いところだ。

結構人間はしたたかなのではないか!
体は「生きるのだ」とプログラムされている。


 「記憶する体」が、今月の「ふみサロ」のテーマ本だった。

興味深い内容で一気に読んだ、そして研究者魂を感じさせる圧巻の内容に引き込まれる。
 記憶と、体は無意識そのものといつも感じている、関心のある分野で
今、切実に感じていることでもあり、書き上げるまでは時間はかからなかった。関心があると、どうしても文章が長くなり削っていくことに時間を要してしまった。
 いつものことだが、書いた後は、なんかスッキリする。



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