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その人

「その本は」を読んで、「その人」を書かずにおれなくなった。
「ふみサロ」https://www.facebook.com/groups/632922533851766での今月の課題本です。
   

 その人は、強い。
よく働き、親切で情がある。相手の良くない行動や態度をたしなめる怖い先輩でもあった。
その人は。
 一人息子が生まれて、育児に専念したかったが同居している姑から家計のために働きなさい、息子は自分が見てあげるからと言われ、仕事に復帰した。子どもが可愛くて朝、子どもをおいて出勤するのが辛かったという。
 50年前のこと、女性は結婚すると家庭に入るのが当然の時代、出産したから辞められると思っていたそうだ。
「共働き」という言葉は、女性の自立を促すのではなく、いろいろな意味が含まれていた。
 その上姑は家事を全くしない人だったので、彼女は仕事と家事と育児をこなさなければ回っていかない日々を送る毎日だった。45才になって子どもが高校生になった頃、会社を辞めた。

 その人は私がパートで働いていた会社に、マーケッテッィングのアドバイザーとして同じくパートで働き始め、その時に出会った先輩である。
 会社勤めをしたことがない私に、宛名の書き方やビジネス文書の書き方など、ビジネスのイロハを教えてくれた。アドラー心理学を導入した研修会社だ。
 私が遅刻してペコリと頭を下げ、首をすくめたとき一括した、きちんと言葉にして「ごめんなさい、すみません」と謝るのよと。

 私がフリーとして働きはじめた時、彼女は第一線から退いていたが、つてのある会社に同行して紹介してくれたり、地域のサークルに招いて勉強会を開催したり親身になって応援してくれた。

 20年前からは、忙しくなった私に遠慮して電話もとだえがちになり、年賀状だけになった。姑が亡くなり息子もが結婚し孫も生まれ、二世帯住宅になったことなど、年賀状で近況を知らせあい、便りをもらうたび、あの時の感謝の思いが蘇り胸に熱いものが込み上げた。「二世帯住宅で住んでいた家を出て、海の見える老人施設に夫婦で入りました」との便りをもらったのが昨年、彼女らしい選択だと思った。
 
 私は、彼女の優しさと熱い律儀な人柄に、ぜひ会っておかなければ後悔するかもしれない、会える時間は少ないかもしれないと思い始めていた。
 そして今年の年賀状をもらったとき、手帳に6月に会いに行くと記し、電話した。
「婆さんをよく思い出してくれたわねハハハ」と笑い、嫁に追い出されここに老夫婦で越してきたのよ」と云う。「えッつ、嫁に追い出された?」「会った時詳しく話すね電話では語りつくせない」と電話を切った。

 6月には岡崎へ「その人」に会いに行く、
 その人に会えるうちに会いたい。

ここまでが、エッセイです。
 先輩に会いに行くのは緊張もあり、ドキドキもありちょっと勇気もいりますが、それを上回る思いが自分の足跡を確認したい思いだと、書きながらの発見でした。

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