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人を鏡とすれば、自分の特質がわかる

こんばんは。立秋になりましたね。
まだまだ暑い日々が続くでしょうが、少しずつ少しずつ秋の準備をしましょう。


さて今日も道徳経の抜粋を^^

私は以前、長らくセラピストとして多くの方々と触れていたため、体のことや心のこと、生活や仕事のことなどなど、お客様のお話を伺って、時にアドバイスをする機会も少なくありませんでした。しかしいつ頃からかアドバイスをする内容の、特に言葉遣いにとても敏感になり、また、自分が一方的に自分の考えや価値観で相手の方に私の主観を押し付けていないだろうかと思うことが多々ありました。そういう時はなるべく "聞く姿勢を正す" ことと、主観性より客観性を大事にしてお話を伺いながら真実を問い直していくことに注意をはらっていました。そういったこともあり、友人のお話もお客様のお話を伺うかのようにクセづけ、まず目の前にいる人のお話にしっかり耳を立てることの練習をしていた時期がありました。その時に、受け入れるということ、つまり受容性の重要性を学んだのですが、相手の意見をまず受け入れることで初めて人間関係に鏡が生まれるのだと思います。

そんな "鏡" が大切なキーワードに感じたこの二十七章を今日はおさらいしようと思います。

今でも、お茶のお稽古に参加してくださっている方々を筆頭に関わっている方にアドバイスをすることもありますが、なるべく同じ目線で上下関係などなく偉ぶることなく、ただ屈託無く伝えることができたらいいなぁと、日々学んでおります。十人十色、目の前にいる方がみんな先生になりますね☆
ありがとうございます。
そして、自分の内観の時間もしっかり持って、自分の心に自分を映す鏡を持ち続けたいです。


《 老子・道德經 二十七章 自然無為処世 》

原文
善行無轍迹。善言無瑕讁。善數不用籌策。善閉無關楗、而不可開。善結無繩約、而不可解。是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師。不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。

※ 轍迹:跡形、痕跡
※ 瑕讁:欠点、瑕疵
※ 籌策:古代の計算道具
※ 關楗:関鍵、門を閉じる木棒。横に使うものを関といい、竪に使うものを鍵という。
※ 襲明:襲とは承襲(受け継ぐこと)。聖人は天地ーー道の自然無為、平等待物という法則を承襲する "明" がある。
※ 不善人:言行が正しくできない人
※ 資:参考にする、教訓をくみ取る、戒めとする。


語釈
仕事を上手にできる人はてきぱきしている。話を上手にできる人は、要点を把握し理論性があり、言葉の誤りや筋道の通っていないことはしない。
籌算を上手にできる人は、理に沿って推し、心算で結論を得ることができ、計算道具を使う必要がない。災禍を未然に防ぐことができる人は、関鍵を使わなくても、悪者が侵入しない。連結を上手にできる人は縄を使わなくても、誰も離散しない。
これらのことについて、聖人のやり方を見てみると、聖人はいつも人々をうまく助け、誰もが厭がることをしない。常に万物をうまく助け、みんなが厭がることをしない。これは聖人が "道" の理(法則)がよく分かっているためである。  
故に自然無為で言行をうまく行う人はうまくできない人の師になり、言行を正しく行うことができない人はできる人の鏡(戒め)になる。
模範、師を珍貴しなく、鏡(戒め)を大切にしなければ、智慧があると言っても、実は愚かな人間としか言えない。これは重要なポイントである。

( 今回は中国医師・気功家の于先生の語釈を参考にさせていただきました。)


今日もよき時間をありがとうございました。


月 花 美 茶
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