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映画レビュー「横道世之介」~成長とは~

私は田舎で高校まで暮らし、そのまま隣の県のこれまた田舎の国立大学に進学した。それもかれこれ30年くらい前のことである。大学に進学して、初めて一人暮らしを始めたわけだが、それまで知らなかった(必要なかった?)「生活」や「責任」「自己決定」など、とにかく今までどれだけ周りに甘えて、任せて、頼って生きてきたのかと言うことを切実に実感したことを覚えている。
それは今までそれで生きてこられた環境が、強制的に変わったことで、望む望まないに関わらず、新しい世界に押し出されてしまったのである。

そんな昔の学生時代をこの「横道世之介」の映画を見て懐かしく思い出した。それは正に「大人」への入口に立ち、今までの狭い世界が大きく広がり始めた最初であった。

1.監督、出演者

 原作:吉田修一
 監督:沖田修一
 出演者:高良健吾、吉高由里子、池松壮亮など

2.ストーリー

 長崎県の港町で生まれた横道世之介(よこみちよのすけ)は、大学進学のために上京したばかりの18歳。嫌味のない図々しさを持ち、頼み事を断りきれないお人好しの世之介は、周囲の人たちを惹きつける。お嬢様育ちのガールフレンド・与謝野祥子をはじめ、入学式で出会った倉持一平、パーティガールの片瀬千春、女性に興味を持てない同級生の加藤雄介など、世之介と彼に関わった人たちとが過ごす青春時代(1987年)。彼のいなくなった16年後、愛しい日々と優しい記憶の数々が鮮やかにそれぞれの心に響きだす…。

3.感想、考察
この映画は主人公の世之介が亡くなった16年後から、世之介と関わりのあった人たちが思い出すことで話が展開していく。つまり亡くなることを知った上での思い出のエピソードなのである。

この主人公の世之介はとにかく『純粋』で『無邪気』で少し『図々しい』。でも、なんとも憎めない人間である。結果、周りの仲間にも恵まれて、なんだかんだ楽しい学生生活を送ることになる。

この世之介の人物像を、かつての仲間や友達が思い出を語る中で、少しづつ形作られてていく。そのどこにでもあるような平凡な呑気なエピソードが、自分の学生時代ともリンクする形でこの物語に引き込まれていくのである。

世之介は長崎の田舎から、東京に上京してくる場面からこの映画は始まるのだが、その
都会に圧倒されながら、見るもの全てが新鮮に感じながら歩く姿は、上京するすべての人の心情を上手く表現している。

この青年が、東京の大学でサークルや友達やバイトを通じて成長していく姿は、誰もが
大人に成長していく過程で、新しく大きな世界や価値観、世界の仕組みに触れていき、自分の中の小さな世界が広がっていく過程と重なっていく。

世之介も今まで会ったこともないような『綺麗な人』『ズルい人』『お金持ち』な人と出会うことで、新しい価値観を学び、成長していく。
ただ、この映画が素晴らしいのは、彼の成長の過程において都会に染まっていく一方で、彼の人間性の本質の部分は変わらないところである。都会にこ慣れていく中で、それっぽく振る舞うことで『都会人』になった振りをする人が多い中にあって、彼の本質である『優しさ』『素朴さ』『無邪気さ』はブレることはない。

彼の死亡を報道で知る知人たちは、一様に『世之介らしい』と感じ、それぞれの思い出を優しい表情で語っていく。それは、まるで過去の自分と今の自分を比較して『こ慣れて生きているな』と自虐的に反省しているようにも、世之介を羨ましいと思っているようにも見えるのである。 

ちなみに、原作の小説では『横道世之介』の続編も出ている。その内容は大学卒業後の世之介の話であり、東京オリンピックへ繋がる奇跡の話でもある。ご興味のある方は是非読んでみてください。私はこのシリーズをもっと読みたい1人なので、吉田先生の更なる続編に期待しています。

なお、この映画に出演している世間知らずのお金持ちの娘を『吉高由里子』さんが演じていますが、とにかく『可愛らしい』です。世之介と境遇は違えど『天然で』『純粋』。それを見事に演じている吉高さんは『さすが』の一言です。

4.印象に残ったセリフ

『なんだか隙がなくなったみたい』
これは世之介の隣に住んでいる住人が、映画の後半(世之介が東京に来て1年後)に世之介に向かって言うセリフである。(正確にはもっと違ったかもしれないですが)
都会に慣れてくることは『隙がなくなること』なのかもしれないと感じたセリフです。
つまりは自然と自分を守るために『壁』のようなものができてきて、上手に人との距離を保てるようになっていく。それが現代で言う『大人』への成長なのかもしれません。

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