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2021.5.2 東京か、神奈川か、それが問題だ


GWに映画館もショッピングモールも休業ってマジですか…と覚悟していたんですが、20時過ぎても普通にオープンしています。いちいち驚いてしまう。そして思い出す。私が住んでいるのは東京じゃない、神奈川だったんだと。

不思議ですよね。普段、あっちは東京だとか、こっちは神奈川だとか、いちいち意識することなんてめったにないのに。いまごろ武蔵小杉とか川崎とか、あるいは舞浜とか浦安とかには、都民が移動したりしているのでしょうか。あと浦和とか大宮とか…?赤羽…?


今回の緊急事態宣言の措置には、疑問となる部分が山ほどあります。映画館や観劇や百貨店が自粛の対象になっていて、飲食できるお店は開いている…。うーん…。よくわからない。納得できない。

その一方で、このコロナ禍において、「どこかしらで境界線を引かなければいけないことがある」ということは、何度も思い知らされました。ひとまず「この地域では、こういう対策をとりましょう」と、線を引かなければいけない。どんなに離れていても「東京都」であれば対象だし、隣り合った家同士でも、県境であれば片方は対象外。それはもう、何かしらの対策をとる以上、どうしても避けられないわけです。


こういう場面に出会うと、いつも思い返すことがあります。私が学生時代のころ、ひそかに思いを寄せていた男性が、電話で何時間もお勧めしてくれた本があるんですよ。

それは「地図がつくったタイ 国民国家誕生の歴史」という本でした。タイという国に、国境という概念が持ち込まれたときの記録を、丹念に紐解いている一冊です。


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東南アジアでは、16世紀からずっと、シャム(現在のタイ)と、ビルマ(現在のミャンマー)という王国が、争いを繰り返しながら共存していました。そこに、1800年代の前半にイギリスがやってきて、ビルマの一部を占領してしまうんです。そしてシャムに対し、「この占領地と、あなたの国との、国境線を明確にしたい」と伝えるわけです。

しかし、どうも話が進まない。シャムの宮廷は、国境線の交渉自体に、あまり関心がなかったそうなんです。何度もイギリスが交渉を申し込んだ結果として、まずシャムから得られた返答は、「両国に隣接する領土に住む人たちをたずねて、彼らの知識を聞きただして、境界線がどこにあるかを彼らに示させてはいかがか」というようなものだったとか。

それからも、国境の策定は難航を極めたそうです。シャムの側も、もちろん「自分たちの力が及んでいる領域」という概念は持っていました。けして無法地帯というわけではなかった。しかし、「線を引く」という感覚ではない。

たとえば、シャムの支配下では、町と町が、重なり合っている場合も多かったそうです。「A町はこのあたりまで」「B町はこのあたりまで」の領域が、重なっている。それぞれが、警備可能な地域を自分たちの町として考えていたようです。逆にいえば、町と町の間に空白地域を持つことも数多くありました。王国同士でも、間の森林地帯それ自体が、「極太の線」のような国境線であったと。つまり、地図上に明確にひとつの線を引く、というイメージではなかった、というのです。

しかしまあ、イギリスは、国境線を引きたがる。領有を主張する。そこに、シャムの住民が、「このあたりまでは警備できるから、うちの町だな」と看板を立てると、いきなり怒られたりするわけです。ああ、これは、国境線という概念に合わせないと、面倒なことになる。そうやって、シャムにおいては、国という存在に、地理的な主体の概念がもちこまれたようです。


こういう話を読んでいると、国境線ですら、当たり前のものではないんだなぁ、と思います。一見、シャムが未成熟だったようにも感じられますが、それで秩序を保てるだけの状態だった、むしろ極太の国境線(国境地帯?)のほうが有効だった、とも考えられます。

国境線は、多くの人たちが、いろんな利害を抱えながらも共に生きていく、ひとつの道具。「国境があるから争いが起こる」こともあるけれど、「国境がないと利害関係が整理できない」というのもまた、真実。緊急事態宣言だって、都道府県や自治体で区切らなければ、そりゃあうまくいかないんでしょうよ。あの、その措置の内容の云々は、もちろん別の話として。


そんなことを考えていたら、SNSで、多くの人が菅総理の発言に憤っていました。東京オリンピックは開催する。なぜなら「IOCが開催を決定しているから」。

いや…。うん、きっと、私なんかには想像もつかぬ、いろんな事情があるんでしょう。しかし、もうちょっとマシな言い訳、いや大義名分を、口にしてくれないのかなと思います。これだけの犠牲を払って、たくさんの会社を倒産に追い込んで、たくさんの家庭を貧困に追い込んで、それでもオリンピックをやる理由を。

そこで何を言われても納得できないと思いますよ。それでも、いま、中止しないで開催するという姿勢を取るのなら、オリンピックが誰かの利益になって、それが日本ないしは世界のためになるんだよ、と嘘でもいいから言ってくれよ。

だって、オリンピックって、国境を超えた平和の祭典なんでしょう。その祭典を開催することで、世界に貢献しつつも、自国の利益にも還元するような予定だったんでしょう。たまに、古代オリンピックの、開催期間中は国同士の争いを休止した…という「平和の祭典」エピソードを聞きますが、現代のオリンピックは、過去4回も中止になっているんですよ。すべて戦争の影響です。

もう、「世界のために」「自国のために」と、嘘でも言えないんだったら、国境を超えることに意味を見出すお祭りなんて、開催しないほうがいいんじゃないかしら。そんな気がしていますが、はたしてどうなんでしょうか。


タイの面白い話をしようと思ったのに、つい熱くなってしまいました。明日は息子と、どこに出かけよう。





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