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恋に恋する通過儀礼。



 「エマは俺のことが好きなんじゃなくて、恋してる自分のことが好きなだけだよ。恋に恋してるだけ。」

 「違うよ。」

 「違わないよ。野球してるところがかっこいいって近づいてくる、その辺の女子と何にも変わらない。」


 そんな風に言われてフラれたのはいつだったか。そんな彼が次の恋人に選んだのは、教室の中で「〇〇さんの上腕二頭筋がたまらないんだよねぇ。」と、愛嬌たっぷりに惚気る、2歳年下の女の子だった。筋肉しか見てない人と付き合うなんて、センスないね。結局、あなたも”彼女持ち”ステータスが欲しいだけで、胸の大きな隣のクラスの女子をベランダ越しに眺めたり、性教育を「エロい授業」と言っちゃうような、つまらない男子と同じ。他校にファンクラブがあるからって、自分を高尚な存在だと思っているような、その考えが低俗で笑っちゃうよね。



美化せずにはいられない病を患った生き物なはずなのに、終わった恋愛に関しては、いまの生活が輝いていれば、輝いているほど、嫌だったことばかり思い出してしまう。付き合っていた頃は、本気で好きだったし、別れたあとはそれなりに凹んで、体重がいくらか落ちるのが常だ。

 あと2か月もしたら、27歳。アラサーに両足をツッコむところ。昨年は、母が結婚した歳になった。今年は、母がわたしを生んだ歳になる。小学生の頃に作った、”将来プラン”では、とっくに結婚して子供も生まれているはずだった。
 結婚を意識して3年ちょっとのお付き合いをした彼には、就活を理由にフラれた。わたしと別れたことを、周りの人に話したとき、みんなに勿体ないと言われたと、苦笑いをしつつ、復縁を求めることはなかった。そんな彼からは、わたしが”いつまでも自分のことを好きでいてくれる存在”である、自信があるように見えた。そんなわけないのにね。

 まったくセンスのない男しかこの世にはいないのか。こんなにいい女をどうして野放しにしておけるんだ。なんて、わたしに興味のない全人類に噛みつく勢いだけれど、実際にはそんなに自信も余裕もないから、言葉の鎧をまとって生きているに過ぎない。



 わたしはお姉ちゃんで妹たちがいて楽しかったから、兄弟は欲しい。お金はかかるけど(現実的)家族は多い方が楽しそうということもあって、悠長に結婚相手を選定していられるほど時間はない。この先の恋愛で、同じ失敗をしないように予防的に悪い恋愛に引っ張られそうになったら、身を引けるように強く記憶されているのかもしれない。だとしたら、わたしの脳みそは結構優秀なのでは。そもそも、わたしは誰かに選ばれる存在なのだろうか。

 20代そこそこで愛について語れる人間はいないと思う。いたとしたら、その人はこの世に生まれたときから、それはそれは多くの人たちと、愛について語らい、触れあい、複雑なそれについて学びを深め、実際に愛し愛される実験を重ねてきたのだと思う。だから、10代で本物の恋について語ったり、愛について人にお手本を見せようというのは無理な話。
 わたしが、世の中を斜に見すぎているだけなのだろうか。わたしに愛されていた記憶が少ないだけなのではと思われそうなので、補足しておくが、恋愛においては、まっすぐに向けられるそれが少なかったとしても、それ以外は恵まれていたことが多かったと思う。いまのわたしは、本物の愛に近づいていっている途中なのだ。
 いますぐ知りたいなんて思っていなくて、この世にお別れをするときに、わかったらいい。あなたがそばにいてくれて愛だなと思って、笑って生涯を終えられたら、それでいい。これから先、多くの恋愛をしたいという欲求はないけれど、本物をみつけるまではいくつものイニシエーション・ラブを経験して大人になったらいいよね。


***


 ”恋は下心、愛は真心”と聞いたとき、感心した。漢字の構造から、うまいこと言った人がいただけなんだろうけど。真心届け合える人と、早く巡り逢いたい。でも、その真心の始まりは下心なこともあるかもしれないので、下心を拒絶するのをやめるところから、始めるべきなのかな…。

 きょうも読んでくれてありがとうございます。またね。


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