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売れ残りの遠吠え。



 時々、とてつもなく自分には価値がなくて、売れ残った気分になることがある。誰かに選ばれることで、自分の心を保つことがどれだけ危険なのか、十分に理解しているはずなのに。どうしようもなく、誰かの一番でありたいと願わずにはいられない日もあるのです。きょうはそんなおはなし。


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 小学校の卒業文集のなんでもランキングで、成人式に子供を連れてきそうな人ランキングにランクインした。子供がいないどころか、結婚もしていない。恋人すらいない。
 スクールカースト上位の子たちとも、そうではない子たちとも、まんべんなく仲良くできる器用な子供だったと思っている。だけど、いつも少しだけ寂しくて、この子を”一番大好きな友達”、”親友”と呼んでも、その子は他の子を選ぶんだろうなと思ってしまうような、ひねくれた子供だった。そんなわたしに、親友と呼べる存在はいたのだろうか。

 いまでこそ、人間関係は量よりも質だと思えるようになったけれど、あの頃はやっぱり友達の多い子たちが羨ましかった。
 高校は、全校生徒の中で同じ出身中学の人が誰もいない学校を選び、人間関係をリセットして始まった高校生活。そこでも、制服を着崩さないわたしが属するには場違いとも思える、スクールカースト上位に位置する、陽キャなグループに混じって教室を移動して、お昼休みを過ごしていた。「クラス変わっても遊ぼうね」と話した彼女たちは、学年が上がってクラスが変わると、平気でわたしの陰口を言うようになった。学校内ですれ違っても、あいさつすらしなくなった。ずっとなんてないのだ。

 「就職すると、出会いの場とか全然ないよ。」
 高校卒業後すぐに就職した友達が口をそろえて言っていた言葉がよぎる。自分が社会人になり、身をもって感じた。職場に出逢いを求めていないから、特にそう思うのかもしれないけれど。
 お酒が好きで、よく飲み歩いたけれど、年代の違う人と話ができることや、違う職業の人の話を聞くのが楽しくて、その場には出会いを求めに行っていたわけではない。新しい出逢いもたくさんあったけれど、もう消えていった人たちばかりだ。一夜限りの、なんてこともなかった、健全な呑兵衛。

 恋人と別れてからの新しい出会いといえば、8月にデートしたあの子と、デートの終わりに紹介されたあの子。どちらともうまくいかなかった。後者の彼とは、一度食事に行っただけで連絡は途絶えた。というか、わたしのこじらせのおかげで終わったに近い。後日談、連絡が途絶えたことや、送られてくるはずのシフトが届かなかったことを、結構悲しかったと話していたらしい。自分から連絡することだってできたのにしてこなかったし、わたしにそれほど興味がなかったのだと思ってしまった。ある程度の行動力はあってほしい。
 いままでに自分の好きな人しか見てこなかったので、自分のことを最初から好きで必死で追いかけてくれる人を求めすぎているのだ。絶対的安心感がほしい。そんなわたしはきょうもひとりだし、犬系の年下男子(仮)から「会いたい」と連絡が届くこともない。


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 わたしは、売れ残ってなんかいない。いまの人生が楽しいし。ひとりを存分に満喫しているこの感覚がたまらなく好きだ。結婚はしたいし、子供だってほしいけど、いまはこれでいい。これがいい。
 とっても近くにいる大好きだった人のことも、もう思い出さなくても平気みたいだ。風邪を引かずに健康に人生を過ごしてほしい。元気でね。
 年末だしね、そろそろ人間関係も整理しましょうかね。

 きょうも、読んでくれてありがとうございました。またね。



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