ETERNAL LOVER
野菜を刻む小気味いい音と一緒に、機嫌のよさそうな鼻歌が寝室に届く。サイドテーブルの上を見ると、時刻は11:00少し過ぎたところ。昨晩は、月末、かつ、年度末の金曜日ということもあって、新年度への精気を養うためなんて変な理由を付けて同僚と飲み歩いていた。床に就いたのは、深夜3:00を過ぎてからだったとはいえ、さすがに寝すぎてしまったようだ。
「朝からご機嫌ですね、お嬢さん。てか、もう昼か。」
「おやおや、寝坊助くんのお目覚めですか。」
「”寝坊助くん”って。いつも、僕より起きるの遅いくせに、早起きできたときだけ調子いいんだから。」
えへへと、とろけたように笑う彼女。唯一、僕だけが見ることを許されている、気の抜けた彼女の笑顔がそこにあることにほっとした。
「僕の分もある?」
「もちろん、一緒に食べよ。お目覚めシャワーしてきていいよ。」
「僕の彼女ってば、最高だなぁ!」
後ろから巻き付くと、くすぐったいよと笑って、身をよじる。最近、彼女の体が僕を拒絶しているような違和感を感じて、確かめるように小さなスキンシップを重ねた。きょうも、また、何かが違う…。
♢
「いただきます!」
「召し上がれ。」
向かい合って、小さなダイニングテーブルを囲む。
「きょう、エイプリルフールだね。」
彼女が、炊き立てのごはんの湯気の向こうで、試すような顔をして僕を見る。
「お、挑戦的な目だね。ウソつくなら、今のうちだよ。」
壁にかけた時計の針は、11:55を示している。
「なにそれ。そんなルールあったっけ?」
「エイプリルフールってさ、午前中のうちにウソをついて、午後からはネタバラシしに使わないといけないんだよ。」
「そうなの?それもウソだったりして。そういえば、エイプリルフールについたウソって、年内には実現されないっていう迷信もあるよね。」
「へぇ。ウソをつくのにも頭を使わないといけないってわけか。」
「そうなるねぇ。なにも考えてなかったなぁ。あなたは、、、二日酔いの頭じゃそんなにいいウソは思いつかないよね。」
クククと無邪気に笑って、味噌汁をすする彼女。やっぱり、あの日僕が見たのは別人だったのかもしれない。純粋で、素直で、かわいい人なのだ。
「二日酔いなんかじゃありません。」
「どうだか。」
「ねぇ、結婚しよっか。僕さ、君が永遠に僕の隣にいてくれたら幸せだろうなって、ずっと考えてたんだよ。そして、きょうはここでそれを現実にしようと思って。」
「なぁに?エイプリルフール?」
「違うさ。時計。」
そう言うと、時計を一瞥して彼女は箸を置いた。時計の針は、12:02。しばしの沈黙。
「あのね、好きな人ができたの。」
「いつから…って、僕が絶句するとでも思った?知ってるさ。」
「え…、なんで…。いつから…。」
「年明けくらいかなぁ。君が、知らない男と歩いているのを見たんだよ。手を繋いで、仲良さそうにね。」
「そうだったんだ…、ごめんね。あなたに知られる前に、ちゃんと話し合おうと思ってたんだよ。」
「でも、話してくれなかったよね。」
彼女はうつむいたまま、何も言葉を返さなくなってしまった。覚悟していたとはいえ、彼女の告白で食欲は一気になくなって、口の中はカラカラになった。おいしいはずだった食事は、色も、味も失って、まずい粘土を食べているようだった。口の中に残ったそれをお茶で一気に流し込み、空になった食器を持って立ち上がった。全てお揃いにしてそろえた食器たちを流しに運び、カウンター越しにうつむく彼女に話しかけた。
「あの日から、君は肌身離さずスマホを持ち運ぶようになった。テーブルの上に置くときには、画面が見えないように伏せて。隠し事があるのは、鈍感な僕でもなんとなく察していたよ。」
さっきまで、彼女が野菜を刻んでいた包丁が目に入った。料理好きな彼女は、時々、金物屋でその包丁を研いでもらって、切れ味はいいはずだった。何やら、最近では自分でも研ぐすべを身につけたようだった。
「でもさ、仕方のないことだよね。」
彼女が顔を上げて、泣きそうな顔をして僕の様子をうかがった。その目の奥に、ほんの少しだけ光が宿った気がして、切れ味のいいそれで、彼女も、彼女の人生までもめちゃくちゃにしてやりたいという気持ちになった。ただ、食器を置くと包丁には手をかけずに、そのまま彼女の方に歩み寄りまっすぐに見つめた。怯えながらも、なおも消えない光に苛立ってしまう。
「でも、君はこれからも僕の隣にいるんだよ。」
「えっ…。」
華奢な身体は簡単に折れてしまいそうだったけれど、僕はいつも彼女に丁寧に触れた。きょうだけは少しだけ、彼女に触れる手にほんの少し力を込めた。彼女の目から、光が失われていく。ほんの少し抵抗したあと、彼女は静かに目を閉じた。
これで、君は永遠に僕の隣にいてくれる。ずっと寂しがっていた左手の薬指もおそろいに。さぁ、まずは身体をきれいにしようか。
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