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食う、寝る、愛す。



 運転中は運転に集中するべきなのだろうけれど、いつも考え事をしてしまう。きょうは欲求のおはなし。


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 わたしたちは欲求に支配されて生きている。お腹が空いたら食べるし、食べた物はいつかカスになって排泄される。陽が落ちると、眠くなって眠る。
 そんな生活の中で、小さなストレスが積み重なったり、大きなストレスを感じたりすると、それらの欲求を感じるセンサーが壊れてしまう。食べられない、眠れない状態は人間的にも生活を続けていく身としては、とても危険な状態だ。わたしもストレスと上手に向き合えずに何度も眠れない夜を過ごした。いまはただの生活リズムがバグっている人間だ。

 そして、愛も欲求だと考えた。いつかSNSで、20代で愛について語れる人はなかなかいないので、それについて語れる人は狂っているというようなものを見た。誰が投稿したものなのかも、SNSとは言ったもののどれだったのかも、忘れてしまったし、妙に現実味のある夢をみることもあるから、幻だったかもしれない。

 愛についておもしろい記事を読んだ。愛には8つの種類があるというものだ。その8つは、「エロス(情熱的な愛)」、「フィリア(深い友情)」、「ルダス(遊びとゲームの愛)」、「アガペー(無償の愛)」、「プラグマ(永続的な愛)」、「フィラウティア(自己愛)」、「ストルゲー(家族愛)」、「マニア(変質的な愛)」だ。詳細については、興味がある方は調べてみてほしい。愛の形もいろいろある。この中で印象的なものを取り上げて話そう。

 自己愛と言われたら、ナルシストを思い浮かべるが、それはやや行き過ぎた愛のようだ。フィラウティアは健全なもので、わたしの言葉に変えるならば、”自分を正しく認識している状態”ということだろう。自分を愛することができるものは、他者も愛することができるという、前向きな自己愛。ナルシストになると、自分しか見えなくなってしまう。愛の対象は必ずしも、他者とは限らないということだ。
 愛について語られるとき、他者の存在する物が圧倒的に多いけれど、その中に存在するたったひとつの自己愛。他者を愛する前に、自分を愛することは必要不可欠な条件だと感じた。

 自分を大切に扱わない人を他人が大切にしてくれるとは思えない。わたしはわたしなりに自分を精いっぱい愛していこう。


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 本文とは関係ないが、今月に入って、妹たちとNetflix有料会員になった。同時視聴が可能なプラン。いままで、なぜ加入してなかったのか、後悔。きょうは、映画2本とNetflix限定ドラマ6話分を一気見して一日を溶かしたので、視聴したものについてのnoteも今後は更新していきたい。

 きょうも読んでくれてありがとうございました。またね。



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