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【断想】母校には特別支援学級がなかった :僕は恵まれた環境に育ったのだろうか?

京都教育大学附属小中学校で、特別支援学級を廃止しようという案が出されているそうです。

特別支援学級をなくして普通学級と一緒にして、インクルーシブ教育をはじめるの?と思われた方もおられるかもしれません。
残念ながら、そうではありません。

NPO法人 Swing の木ノ戸昌幸さんに、若い世代の意見も是非きかせて欲しいと言っていただき、僕も思うままに書きました。

自分の過去を振り返り、一人の人間として感じることを書いています。
「附属京都小中学校支援学級廃止撤回を求める会 事務局」に意見書として出したものです。

▼ 意見書(本文)

僕の母校は滋賀大学教育学部附属小学校です。
1学年3クラス。い組、ろ組、は組。
特別支援学級はありませんでした。

中高通ったのは、私立のいわゆる進学校。
成績を軸にした競争の空間に、多様な価値観やあり方の受容や配慮はありませんでした。


大学に入り、ある数字に出会いました。
平成30年度の『障害者白書』によれば、身体障害者436万人、知的障害者108万2千人、精神障害者392万4千人。複数の障害を併せ持つ方もおられ、単純計算はできないのですが、国民の7%ほどが何らかの障害を有していると言えます。これは全国の名字ランキングベスト5の佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤を足した数に匹敵するもの。

僕の体感は正直なところ、1%に満たないくらい。
この数値を知ったとき、僕は「ああ、自分は本当に偏った世界に生きてきたんだな」と嘆息しました。


なんで僕の周りには「健常者」しかいないんだろう?
なんで僕は障害のある人とともに生きていないのだろう?
なんで僕はこんなにも障害のことを知らないんだろう?


ここ1年ほど福祉といわれる領域に深く関わるようになり、たくさんの未知との遭遇をして思うことがあります。

僕の生育環境は「恵まれている」と一般的には言われるのでしょう。
でも僕は自分の置かれてきた画一的な環境が豊かなものとは到底思えません。

様々なひとと少しずつ入り混じり始めたいま、僕の心は豊かになり、世界は彩りを増していると感じます。


もう一度、小学生からやり直せるなら、僕は特別支援学級のある学校に通いたいです。
そして、これからどんな社会に生きたいかと問われれば、健常と障害との線引きがより緩やかな社会に生きたいです。
一人の人間として、ただただそう思います。


みなさんの世界は鮮やかですか。

2020.12.17
大澤健


〜追記〜
※ 「鮮やか」という視覚に偏った表現を使っている点は、個人の感じ方なので変換して読んでいただければと思います。

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