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オタクというアイデンティティ


   私は邦ロックが好きで好きなバンドも数え切れないくらいあるんですが、その中にサカナクションというバンドがいます。彼らの曲で「アイデンティティ」という曲があって、それの何が凄いのかと言うと開口一番「アイデンティティがない」と叫ぶからです。一般的に現代のポップスって、あるものを歌いたがると思うんですよ。愛とか夢とか絆とか、まぁ失ったとて結局あるよねーって話をしたがると思うんです。それがこの曲ったら「アイデンティティ」が「ない」とラウドして、最後まで「生まれない」んですよ。これは結構衝撃でしたね。でもそれがアイデンティティなんだなと、当時社会人なりたての私は思ったりしましてね。




   さて、今日こんな本を読みました。

オタクとは何か?(大泉実成著)


   この本では萌え系オタクを中心に分析が展開されますが、私は残念ながらアニメやゲームは通ってこなかったため萌え系オタクではありません。では何者かというと、それもなかなか難しい。著者の言う通り「ひとつの定義でオタク全体を見渡そうとすると、どうしてもそれに合致しない人が出てくる。らっきょの皮むきみたいに、こうでもないこうでもないと剥いていくうちに、ついに何も無くなってしまう」んだと。あ、これってサカナクションの言ってたアイデンティティじゃん、と思いました。で、この本の中から無理矢理言葉を借りるならば「特定の事物に強い関心と深い知識を持つ一種のエキスパート」、これです。


   私は思春期のころに某バンドにハマり、そこから沢山の音楽に浸かりました。新譜も旧譜も雑誌も手当り次第に買い漁り、特典のポスターは壁一面に貼り、運良くいただけたサインなどは奉り、大量に録り溜めたラジオのMD、行ったライブのチケットや置いてあったフライヤー、CDのパッケージに貼られたシールまでも、いまだにコレクションしています。(ふと所有欲について考えますがこの本では当然そこにも触れられており、所有欲とはフェティシズムであり、これは極解かもしれませんが人間はみんな変態だから大丈夫と書いてありました。※だから大丈夫です)


   オタクであるというのは今こそ肯定的な響きですが、昔はネガティブなものだったように思います。いや今もそうなのかもしれない。オタクということを隠している人もいるでしょう。でも私はオタクですと自虐的にでも言える人が世の中には増えているみたいです。そして私はオタクであると胸を張っていえる私がいることに気づきます。人の目を気にすることなく好きな物を好きと言えるのはわりと難しいことかも知れないし、言えることって尊いなと、大人になった今思うのです。


   私はパーソナルカラーアナリストですが、色よりも自分の好きな物の話をしがちです。なんでかというと、そっちの方が信頼してもらえる気がしたからでした。私が店のTwitterアカウントを作った時、遠慮せず書こうと思ったのは私の好きな音楽やアーティストのことでした。例えば私はくるりというバンドが好きですが、くるりのことを書くのは一部の人には信用してもらえる要素になるかも知れないと思いました。くるりを好きな人に悪い人はいないと私自身が思っているからです。例えばよくわからんサプリを売っている会社のアカウントでも、一言「くるりの図鑑こそ至高」とかツイートしてきたら一気に信用するし多分カートに入れます。そして飲みます。下手したら定期購入するでしょう。「好き」は宗教だと思います。自分の信じるものです。それを自覚して生きている人はやっぱり強いと思います。


  だから私は店のアカウントにオタクという単語を使うことにしました。カラーアナリストというよりかは、生涯、「特定の事物に強い関心と深い知識を持つ一種のエキスパート」でありたいのです。それはパーソナルカラーがただのファッションツールではなく、内面に作用するものだと知っているからです。私はOL時代、自分の好きな物がわからなくなった時期がありました。いま私が私として楽しく発信できるようになったのは、心の変化が全てです。

   

☆福岡市のパーソナルカラー診断
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(ルート・カラーセブンス)

☆好きなものでつながりたい


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