NewYork移住当初を振り返ってみる

海外移住は私の人生の中で1番か2番目に大きな出来事だったと思う。
ずっと日本にあるあらゆるものから離れられなくて、長年横目に生きてきた海外移住という夢。
決めた時はもう必死で脇目を振らないように、友人にもバイバイ言ったら心が揺さぶられまくりそうだし、頑張ってねとかいう言葉も聞けない自分だったと思う。とにかく生きていけるか不安だったし友達ゼロの街をあえて選んだし。(だけどNYを選んだ決定打は移住前に滞在した時の日本人のルームメイトとの出会いだったんだけど)
家族にも、じゃあサクッと言ってくるわ!て感じでめっちゃドライに旅立つことしかできなかった。
本当に真面目にサヨナラ言うのとか謎なくらい苦手。
てゆうか、未来なんてわからないのに、急に戻るしかなくなるかもしれないし戻りたくなるかもしれないし、私はただでさえビビってるのにできるだけプレッシャーなんか自分に与えたくない。
と言う本当に信用ならない私の気分と行動である。
行きたいから行く。やりたいからやる。やりたくないならやらない。その時来た波にとりあえず乗って見る。という単細胞的動きを何か我慢のタンクがマックスになった時発揮してしまう気がする。
そして、遠くへ行く時こそコンビニ感覚。
この感覚が私にはしっくりくる。軽い気持ちで行ったほうがいい。
別にコンビニで人生を変える最高の出会いもあるかもれないんだし。
昔は移住するのに、真っ当な理由がないと行ってはいけないと思い込んでいた。人に立派と思われるような。何かに呼ばれないと的な。
それでどんどん時間だけが過ぎて行ったんだった。
30代半ばにしてやっと気づいて最後のチャンスだと思いきれた。
もう行きたいと思ったなら、それは呼ばれているということだきっと。

私は版画作品を作っていたから、アートの活動の場を世界に広げに行くのね。とか思い込まれるのもなんか違った。
私はただただ作るのが楽しくてたまらなかった。
やらなきゃになって目的が変わって行くのが心地悪かった。
それぞれの土地にそれぞれの集合的意識があると思うけど、
New Yorkという街はキャリアを積もうと必死で戦っている人も多い。
その中で本当に大切なことってなんだっけ??と思う日々があった。
そして、英語での生活やトラブル続きの日々に慣れるのに必死だったのが正直なところだった。心の余裕がないと前のようには作れない。
どうしても作っていきたいなら、そもそもの湧き出る創作意欲の根本を変えるしかない。
とはいえ、ずっと夢見ていた海外生活を出来ている現実、大好きなものが溢れているNew Yorkに居るという事実、今までにない街の音や色や匂いに胸がいっぱいになる時間が最っ高に最高でもあった。
これは日本に住んでいる時には味わったことのない感覚で、幸福と大変さの振り幅が大きく広がった経験だった。
少なくとも慣れるのに2年はかかったと思う。
New Yorkerは基本忙しく、他人のこと気にしたり助けたりする余裕がない。
とはいえ、街ではベビーカーを運ぶのをみんな手伝うし、先に入った人がドアは開けて待ってくれてたり、ホームレスにはお金をあげる人も多かったり、これは日本ではあまり見ない光景で、いちいち、最高っ てなっていたな。目が合うと微笑むのも心温まる。忙しいNew Yorkerでもそれは最低限なんだ。 
クレジットカードがなぜか通らない時、後ろに並んでいた人が払ってくれたこともあった。びっくりするくらいの天使みたいな人もいる。
異国で知らない人に助けてもらった時の感動はガチで泣いちゃうレベル。

書いてたらどんどん思い出してめっちゃNew Yorkが恋しくなってきた・・・
時が経つのが本当に早い。
近いうち行きたいな。その時は涙が出ると思うわ・・!
想像しただけでやばい・・。



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