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私はこども大好きアラサー学生

今回”noteを始めよう”と思ったキッカケは、1年半ほど滞在しているオーストラリアのメルボルンで職を失い、生活困難、先の見えない環境での不安や、決断、そういったものを残していこうと思ったからです。


ここでは、渡豪に至った経緯や、ワーキングホリデー中のことを書き留めようと思います^^


さかのぼること、3年前・・・

2017年11月【1年後に海外へ行く決意をする】

渡豪費用の貯金スタート。会社員として働きつつ、空いた時間にベビーシッターもこなす。

副業だったベビーシッターを続けるうちに「幼児教育」への興味関心が高まり、

「海外のこどもたちと関わる」「現地での生活費も稼ぐ」「行くからには学ぶ」「ただ遊んで終わる1年にしない」

という私の希望を叶えてくれるワーキングホリデービザを取得することに決めました。

ずっと実家暮らしで、一人暮らしも、海外旅行の経験も無い私でしたが、「絶対に行く」と周りに宣言しまくり、貯金を楽しんでいました。(あの頃の自分のことは、これからもずっと誇りに思う)

2018年12月【ベビーシッターが本業に】

お世話になっていた会社を退職し、シッターとして本格的に始動。

この頃、こどもたちとのコミュニケーションを学ぶためのコーチング講習を受け、幼児教育の重要性をさらに知ると同時に、こどもとの関わり方を真剣に考えるようになっていた(コーチングの話は、またどこかで・・・)

この時期には渡航日も決まっていて、貯金へのラストスパートをかけていたような・・・。ほぼ休み無く働いてたけど、本当に楽しかった!不思議!この仕事は私にとって天職。

2019年3月【いよいよオーストラリアへ】

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家族や友達に盛大に見送られ、涙・涙のお別れ、そして人生初の国際線!オーストラリアのメルボルンへ。

隣に座ったオーストラリアの方が、機内でも、着陸してから荷物受け取りまでも、ずっとサポートしてくれた(涙) 優しかったな~。


↓↓↓ ワーホリ期間中のことを簡単に・・・ ↓↓↓

2019年3月~6月 語学学校へ通う(6月は小学校ボランティアも経験)

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2019年6月~ オーペア(日本で言うベビーシッター)として働き始める。3件の家庭を受け持つ。

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2020年1月~ 住み込みのオーペアとして働き始める。学生ビザに切り替える手続き等をする。

↓↓ 日本のおもちゃをプレゼント ↓↓

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2020年2月末 日本へ一時帰国する。(ワーホリ生活は終了!)我が家はサプライズ好き!嬉しかったな~。

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こうして、見事に働きづめのワーホリ生活が終了!(日本と変わらん)


現地のこどもたちは、よく発言するし、大人に対してもしっかり意見を言うし、提案だってする。こどもと大人が対等だなっていう印象が強くあります。

生活習慣として驚いたのが、「テレビは全然見ない」「夜ご飯は18時」「19時頃から、こどもたちはベッドへ」「22時には家族全員就寝」という日本での私の習慣からは想像できないような一日の流れ。

おかげで私の生活習慣も整って、日本では皮膚科に通うくらい悩みのタネだった”肌荒れ”も治り、家族もビックリ(笑)睡眠って大切。


私が見たのはほんの一部の家庭だから、移民でできてるオーストラリアには他にもいろんなカルチャーや宗教を持ったこどもたちが大勢いる。育った環境が日本人同士でも全然違うように。


これからの人生で、どれだけ、どんなこどもたちに出会えるのかワクワクは止まらない。






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