何か忘れてませんか
こんにちは、えるあです。
今日、たまたまなんですけどTwitterをお風呂あがりにさらさらっと見ていたんです。
凄いほっこりするツイートがありまして、簡単に引用してしまうと
猫は幸せな事しか覚えていない
みたいな内容だったと思うのです。
私も長い間、猫と共に過ごしていたので、すごい幸せツイートだななんて思いながら、イイねを押していたんです。
で、これって別に真実だろうが真実でなかろうがどちらでもよくて、自分のなかで幸せな気持になれた一瞬が素敵だったんですね。
ただその一方で歪曲した私の性格がでてきてしまって、今コロナウイルスでまた感染者数があがってきているなか日本人も何か忘れてしまっていないかなって感じたんです。
少し前置きしますが感染者数が上がってきている原因に、そもそものPCR検査の数が上がったとか新宿区ではPCR検査で陽性になるとお見舞金として10万円がもらえるから、検査に新宿区の住民が殺到しているとか、そういった話は不確かな情報は置いておきます。
そうではなくて、日本の喜劇王、志村けんさんがお亡くなりになられたときのなんともいえない心の空虚さ、あまり感じる事のない悲しみ、それを日本人は速攻で忘れていませんか・・・ということなんです。
人間っていやな記憶も時間がたつと、なんだかよい記憶に変わったり数年前の嫌な人間関係なんかも良い思い出にすり替わっていったりします。
でも今回のコロナウイルスで志村けんさんが亡くなったとき、皆がおそらく一斉に本当にウイルスの怖さや自分一人がかかっても人にうつしてはいけないんだ自粛を自らしようといった気持ちが日本全体に広まった感じがしていました。
しかし現状どうでしょうか、当時と同じ気持ちの人も当然いると思います。しかし渋谷の光景や街頭インタビュー、すでに始まっている様々な施設の再開。まだあれから半年もたっていないのにすっかり他人事のように自分達の好き勝手な行動をとっているのが私個人として悲しく映ります。
人それぞれに様々な理由があるのは、わかります。経済が貧窮してしまえば前にも後にも進めなくなってしまう人が沢山いるのもわかっています。
でもあのとき、志村けんさんが亡くなった時の気持ちを忘れていませんか。
ということなんです。
私達は猫ではないです。
人間です。
幸せだけを記憶にうけいれるのではなく、悲しみから生まれた教訓も記憶に残していけなければいけないのです。
理想論かもしれません、でも理想も見えない人間に人間としての価値がありますか。
今回はこのへんで、また次回お話しましょう・・・。
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