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世界の終わり #2-10 ギフト

「どういう……ことでしょう」
 不安げな声で利塚が尋ねた。小獣舎は七番目の檻で再度途切れ、荒れ地を挟んで八番目以降の檻が続くが、先の檻は一ヶ月以上使用していないので確認するまでもない。
「檻から逃げだしたわけではなかったのか」
「そのようですね」
「柵が破られ、敷地内にグールが侵入してきたか……もしくは」
「もしくは?」怯えた声で利塚が尋ねる。
 掛橋は勿体ぶった間をあけたのちに、己の考えを言葉にした。
「死亡した彼は、敷地の外で襲われたのかもしれません。グールの追撃から逃れるために柵を越えて敷地内へ侵入し、助けを求めた。あれほどの傷で柵を越えることができるのかどうかという疑問は残りますが、この推測が正しければ、彼がわたしの部屋の前で倒れていた理由も頷けます。わたしの部屋は正門から最も近い場所にありますからね。どうにか扉の前まで辿り着けたものの、そこで力尽き、息絶えてしまったとすれば――」
「なるほど。それなら〈九州復興フロンティア〉の者が、許可なく敷地内に入ってきたのも納得ですよ。逃げるのに必死だったでしょうから。そうか。そうか、なるほど。そうですよね」
「ですが、グールが敷地内を歩き回っているという説も頭の隅に留めておいたほうがいいでしょう。わたしの部屋の前まで辿り着いたものの、ノックをすることなく力尽きてしまったなんて、都合のいい解釈ですからね。それにもう一点、彼の身体についていた刃物による傷の件もありますし」
「あ、あぁ……そう、でした」
 ここで突然、耳障りなノイズ音とともに、機械で加工されたような男性の声が、安全ベストに取りつけた無線機から発せられた。
『掛橋さん、急いで正門へきてください。緑色のバンが駐車場に入ってきました』男性が告げる。
 掛橋は急いで呼びかけに応じた。「緑色のバン――ですか」
「掛橋さん?」利塚が声を震わせた。緑色のバンとは、〈九州復興フロンティア〉の車を指している。西条との連絡が途絶えたことを不審に思った郡部代表が訪ねてきたようだ。「か、掛橋さん、どう説明するんですか?」
「…………」不安で押しつぶされそうになっている利塚の顔を見据えながら、「お願いがあります」掛橋は無線機へ向けて早口で告げる。「郡部代表には、まだ話さないでください。グールに襲われた件も、遺体で見つかった件も」
『隠し通せというんですか?』焦った声が無線機から返ってくる。
「わたしたちがそちらへ到着するまでは、郡部代表からなにを訊かれても答えずに、知らぬふりを続けてください」
『しかし』
「事件をなかったことにしようといっているわけではありません。羽鳥さんが到着するまでは、隠蔽しておくべきです。事件の発生を郡部代表に告げるのは、羽鳥さんと相談し、ある程度の道筋がついてからでも遅くはないでしょう。むしろ羽鳥さんのいないところで勝手に話が進んでしまうほうが問題だと思いませんか」
『それは……えぇ。そう、思いますが……』
「よろしくお願いします。それと〈九州復興フロンティア〉の人たちを敷地内に入れないよう、お願いします。わたしたちも急いでそちらへ向かいますので」返事を待たずに通話を切り、掛橋は利塚へ声をかける。「急いで、彼を、檻の中に入れてしまいましょう」
 台車を押して、荒れ地の向こうに鎮座している八番目の檻を目指す。指示された利塚は唇を震わせながら、伸びた雑草に足を引っかけて何度も転びかけた。
 ――まだ郡部代表に知られるわけにはいかない。焦ってはいけない。焦る必要などない。ここは九州だ。人の死で溢れかえっている呪われた土地だ。羽鳥さんが到着するまで隠し通そうという考えに対して、責める権利を有する者などいやしない。
 掛橋の脳裏に浮かんだ疚しい考えは、頬にあたる風とともに後方へ流れて拡散していった。掛橋は八番目の檻の裏手へと回りこみ、錆びた扉に手をかけた。

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