世界の終わり #1-15 プレミア
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峰岸氏の屋敷から運びだしたフィギュアをダンボール箱の中へ移し替えて、車内で軽い朝食を摂り、給油を済ませてから福岡市をあとにした。荒木がハンドルを握り、板野は助手席に座って眠そうな目を擦っている。ぼくは後部座席で横になって、後頭部にできたたんこぶを飽きずに触っていた。
九州に上陸してからずっと荒木がハンドルを握っているので申しわけない気持ちがあるのだが、ぼくも板野も免許をもっていないので運転を代わることはできない。どこかで停車して車の運転を教えてくれるなら、頑張って覚えようとは思うけど、先を急ぐぼくらに、そんな時間はなさそうだ。
「そうだ、どうして偽物だってわかったの?」板野が急に大きな声を発したので、顔をあげて助手席を見た。
「白石が説明しただろ。コレクターだったらまずあり得ない間違いを、あのおっさんは口にしちまったんだよ」
「だから、なにをよ」
「危ないだろッ。押すな。事故ったらどうするんだ?」
ぼくは身体を起こして短く息を吐き、窓の外の風景を眺めた。揺れがひどい。道がまったく手入れされていないせいだ。道路脇の樹木は伸び放題で、大半の道路標識が枝葉に隠れてしまっている。
「ったく。こんなノロノロ運転で事故るわけないじゃない」板野は、荒木の肩口を気怠げに小突き、興味をなくしたように大きなあくびをした。「……ねぇ、近くに温泉とかないの?」
「なんだって?」
「痒(かゆ)いのよ、頭が」
「洗いたいだけなら、峰岸邸に戻るか」
「やめてよ。温泉よ、温泉。知らないの? 何度も九州にきてるんでしょ?」
ワゴン車は西へと向けて走っている。
天気はいい。窓を開けたら、きっと風が気持ちいいだろう。
ぼくは背もたれに身体をあずけて目を閉じた。少しだけでもいいから眠っておきたい。ふたりには悪いけど、昨夜は一睡もできなかったんだ。
「偽物であることを見破った件はもういいのか」
「それより温泉よ」
「奔放すぎだろ」荒木が鼻を鳴らし、車はわずかにバウンドした。「我慢しろよ。子供じゃないんだから」
「気遣いなさいよ。〝いい大人〟なんだから」
大人。
いい大人、か。
ふいに、出発前に藤枝店長からいわれた言葉を思いだす――白石、おれに感謝しろよ。九州行きを命じたおれのおかげで、ひとまわり大きく成長できるんだからな――そういわれた。そんな言葉を。
たしかにぼくは半人前であり、子供の延長線上にいる幼稚な人間だって自覚しているし、頭の中は小学生のころからさほど変わっていないように思うけれども、この九州上陸が自身の成長に繋がるのかといえば――や、そもそも成長ってなんだろう。大人になるってどういうことだろう。なにをもってぼくは大人になったと判断するのだろう。
「ねぇ、喉が渇いたんだけど」また板野のぼやきが聞こえた。
顔を伏せて、車の振動に身を委ねる。
リストに記されたフィギュア収集家の名前に引いた斜線は、まだひとつだけだ。たったの、ひとつ。
すべての名前が消されるまで、無事でいられるのだろうか。
成長を実感できるまで、ぼくは生きていられるのだろうか。
「ねぇ、聞いてる?」
飲みものを渡せば黙ってくれるに違いないので、身体を起こして座席の下をまさぐってみる。開封していないペットボトルが転がっていたはずだけど、どこだ? どこかにあるはずなのに。身体を捻って荷台のほうを探してみる。ダンボール箱の上に荒木が着ていた上着が載っていて、ポケットの部分から封筒らしき白い紙が顔を覗かせていた。
――なんだろう、この紙。
手を伸ばす。
紙に触れる、その直前に、
「ねえ、ちょっと。うしろの座席に飲みもの転がってない?」
踵(かかと)になにか触れた。姿勢を戻して足元へ手を伸ばした。指に触れたのは五〇〇ミリリットルのペットボトルだった。
「ありがとう」と板野。
ぼくは頷いて応じ、背もたれに身体をあずけてまぶたを閉じた。
これでしばらくは静かになるだろう。
静かにしてくれるといい。
ぼやかずに、静かに。
「はぁあ? なにこれ。ぬるい炭酸なんて飲めるわけないじゃない!」
なるほど。そうくるか。
——第一章『プレミア』了
引用・参考資料 敬称略
『地球最後の男(1964)』
シドニー・サルコウ、ウバルド・ラゴーナ監督作品
『ウルトラマン』円谷プロダクション
『ウルトラセブン』円谷プロダクション
『 Been It 』The Cardigans
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