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世界の終わり #5-8 グール


          *

 どのくらい時間がすぎたろう。
 時折聞こえてくる銃声と、怒鳴るような男性の声に身を強張(こわば)らせて縮こまる。
 このままじっとしていても、隠れていても、いずれ見つかってしまうだろう。だってわたしたちの隠れている部屋の扉は取り外されていて、通路側から丸見えになっているから。
 フォレストホテルの一階。おそらくスタッフ専用の休憩室として使われていた十畳ほどの広さの部屋。物が沢山置かれているので、どうにか身体を隠すことはできているけど、室内に入ってこられたら一巻の終わりだ。窓の部分は板で塞がれているから、出入り口は一カ所のみ。余所(よそ)へ逃げだそうにも状況がわからないから怖くて動けないし、国道へでる唯一の道には、連中のトラックがとまっている。
 せめて誰かに助けを求めることができれば——
「そうだ!」
 ポケットに手を入れた。固いものが指先に触れた。これだ。これがあった。GPSの装置をポケットに入れていたんだった。
「板野さん?」
「白石くん、これ、これで居場所を知らせよう。電池——電池を入れて。二個あるからわたしと白石くんとで一個ずつ。助かるよ。これできっと助かるよ。本物の軍の人が助けにきてくれるよ」
「ん。うん……そうだね」
「電池。電池入れなきゃ」指が震えて上手くはめることができない。
 しっかりしろ。
 しっかりしろ、わたし。
「……ねえ、板野さん。これ、念のためにもっていて」
「え?」ずしりとした重いものを手渡された。「な、なんで? どうしてこんな」銃だ。拳銃だった。どうして白石くんが拳銃を? というより拳銃なんか渡されても困る。
「小屋の中からもってきたんだ。板野さんから借りた鞄の中に入れてもってきたんだよ。使いかたはぼくもよくわかんないけど、多分、これを、この部分をこうして、あとは引き金を引けばいいだけと思うけど——」
「無理、無理だって!」
「もっておくだけでもいいから。もしものために」
「無理だよ。絶対に無理!」
「シッ——黙って」
 肩を押さえつけられて、息をとめた。
 音が。
 音が聞こえた。
 遠い場所で鳴った音のように思えたけど……また聞こえた。今度ははっきり聞こえた。靴底が固い床に触れているような、足音らしき音が鳴っている。それも複数。さっきよりも大きな音になったような気が——そう、そうだ。やっぱりそうだ。近づいてきている。誰かが近づいてきている。
「……白石くん?」
「静かに」
 口を噤んで、顔をさげ、耳に意識を集中する。
「…………」
 聞こえる。
 はっきり聞こえる。いまはもう足音だとわかる。
 妙にゆっくりした足取りで複数の人物がホテルの通路を歩いているのがわかる。どういうわけか緩い感じで、音に緊張感がない。一歩一歩踏みしめているというよりは、気怠そうに歩いている、そんな印象を受ける。
 目だけを動かして出入り口のほうを見た。
 暗闇の中に、外光に照らされたオレンジ色の通路部分だけが、ぼおぅっと浮いて見えた。反響して聞こえる足音。もう近い。すぐそこまできている。
 ゆらり。
「——!」
 床の上に影が落ちた。不規則に揺れながら右側から現れた影が、左へ伸びる。どうしようもなく怖くて怖くて仕様がないのに出入り口から目が離せない。開いた目を閉じられない。
 コツリ。
 靴の鳴らす音とともに、光量が減少する。影が、シルエットが、

 グールだ。

 グールだった。
 グールが歩いている。通路を、目の前を。
 わたしの目の前に現れたのは銃をもった男たちではなく、腐臭を放ちながら足を引き摺るようにして歩く、グール化した成人男性だった。
「……!」
 抱き締められるように、白石くんに腕をつかまれた。わたしが声をだすと思ったんだろう——実際、わたしは声をあげてしまう寸前だった。感情が喉元までせりあがってきている。唾を飲みこむようにして恐怖を抑えこんだ。息をとめて、気配を消して、通路を進むグールを黙って見つめる。お願い。どこかに行って。早く通りすぎて。お願いだからこっちにはこないで。こないでね、お願い。

「おい、いたぞ!」
 声が響いた。
 追ってきていた何者かが見つけたようだ。わたしたち——ではなく、わたしたちの目の前を歩いているグールを。最悪だ。最悪の展開だ。グールに唯一の出入り口を塞がれているうえに、銃を持った男たちの登場なんて。
「グールだ。三体いる!」
 別の誰かの声。
 目の前を横切ろうとしているグールが、歩みをとめた。
 グールは声に反応し、身体を捻って振り返るような動作をみせた。
 お願い。
 お願いだから気づかないで。
 気づかれませんように。見つかりませんように。どうか——

 銃声。

 危うく声をあげてしまうところだった。耳を塞いで肩を縮めた。もっていた銃もスタンガンも手から離してしまった。もう駄目。無理。絶対に無理。でもどうしようもない。どうすることもできない。
「——?」
 隣で白石くんが銃を拾いあげて構えた。
 わかる、わかってる。すべきことはわかっている。わたしも手伝わなきゃ。加勢しなきゃ。白石くんと一緒に戦わなきゃ。
「よく狙って撃て! 撃ち殺せ」
 通路の奥から男性の声が聞こえた。
 続けざま銃声。
 風を切るような音が被さって聞こえる。
 嫌だ。
 嫌だ、嫌だ、本当に嫌ッ。どうしてこんなことになったの? どうしてこんな目に。わたしは涼に会いにきただけなのに。涼と会って、話をして、真実をたしかめたかっただけなのに。それだけだったのに。
 こんなんじゃない。
 こんなはずじゃない。
 こんなはずじゃなかった。
 藤枝だっていっていた。単なる逃避だって。涼はしばらくの間、身を潜めようと考えて九州へ逃げこんだに違いないって。ここは隠れるには絶好の場所だって。軍や警察の見回りにさえ気をつけていれば、ある意味楽園のような場所だって。九州全土に広がったグールも数を減らして、いまではほとんど見かけることがなくなったっていってたし、南方に行かなければ空気感染することもないって教えてもらった。すぐ涼に会えるとは限らないけど、上陸を繰り返していればそのうち会えるかもしれないっていわれて、期待して、回数を重ねればなにかしらの情報をつかめるかもしれないっていわれて、期待して、だから働け——レアもののフィギュアを回収してこいっていわれた。
 リスクの高い仕事だけど、藤枝はわたしが断らないことを見越していたようだった。
 事実、わたしは了承した。藤枝にとって、わたしは便利で都合のいい人材だったに違いない。だってわたしは文句もいわずに汚染地へ足を踏み入れるだけの理由をもっているんだから。
 きたことは悔やんでいない。
 九州に上陸したことを後悔してはいない。
 だけど聞いてない。こんなことまでは聞いていない。こんな目にあうなんて全然聞いてない。
 涼はどこ?
 涼はどこにいるの?
 こんなところで涼はなにをやってたの?
 本当に涼は、この場所にいたの?
 空気が震えた。
 通路にいたグールが見えない誰かに突き飛ばされたように、床へ崩れ落ちた。
 銃声が響き渡る。
 茶色い服を着た別のグールが右から左へ、操り人形のように通路を進み、床の上へうつ伏せに倒れた。
 さらに、新たな影が、床の上へと伸びる。
 三体目のグールが、出入り口の明かりの中へ躍りでてきた。
「頭を狙って撃てッ! あと一体だ!」
 男性の声。
 続けざま銃声。
 蹌踉ける身体を支えるべく、グールは出入り口の縁に手をかけて歩みをとめた。
 顔をゆっくり動かし、扉の壊れた室内へ視線を向ける。
 こちらへ。
 わたしの隠れている方向へ。
 物陰に身を潜めているわたしの瞳へと、まっすぐ——
「撃て! 撃ち殺せッ!」
「……!」
 ボサボサの髪をして、
 首には包帯を巻いて、
 人相が変わってしまうほど痛々しくて大きな傷が顔の下半分についていたけど、わたしは知っていた。
 そのグールを
 グールの顔を
 わたしの前に姿を現したグールが、何者であるかを

 ——涼。

 刹那、涼の顔を鉛の弾が削り取った。
 血飛沫が舞い、顔は顔でなくなった。

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