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世界の終わり #5-1 グール



 あとには退けなくなったからとか、たしかめなくちゃ気がすまないからとか、とことんこだわる性格だからとか、そんな言葉が口をついてでてくるよりも早く、至ってシンプルに――わたしは怒っていた。
 怒りは長時間持続している。
 わたし自身びっくりしちゃうくらい、怒りが身体を動かしている。

 だけどやっぱり怖い。
 怖いけれども足は前へ進む。

 これほどまでに積極的なわたしを、別のわたしが冷静な目で見ているのもなんだか不思議な感じ。
 もしかするとわたし、夢でも見ているんじゃないかって思ったりもするけど、それにしては長い。覚める気配なんてまるでなくって、夢ならどこからが夢だったんだろう――というよりも、死者が生き返る伝染病が流行っているところからしておかしな話だ。
 あれもこれも目に映るものすべてが嘘なんじゃないか、夢なんじゃないか、わたしの頭の中で起こっている出来事にすぎないんじゃないかって考えながら、わたしは市民団体〈TABLE〉本部の敷地内をひとり歩いている。

 本当は誰かについてきてもらいたかったんだけど、わたし個人の問題だから、怖くて怖くて不安で堪らない気持ちを胃の下辺りにぐっと押しこめて蓋をして歩いている。
 大丈夫。
 大丈夫っていい聞かせて。
 かなり頑張っているとは思うけど、まだまだ頑張れわたし。
 たしかめるために、ここにきたんだから。

 市民団体〈TABLE〉は、街中で捕まえたグールを檻の中に閉じこめている――んじゃなくて、保護しているとの噂は本当で、正門の左――敷地の南東に並んだ檻の中には沢山のグールが入れられていた。
 柵で囲われているから安全、とはいえ、グールと顔をあわせるのはやっぱり怖い。

 グールの顔は灰をかぶったような色をしていて、表面はカサカサで所々裂けているし、瞳には光がなく、表情なんてものは皆無。
 おまけに異なる人種の人たちばかりなので、普段の生活で外国人と触れることがなかったわたしは戸惑うばかり。

 周囲は鬱蒼とした森林だし、歩を進める度に足元でピョコピョコなにかが飛び跳ねるし、遠くから野犬の遠吠えのような声がしているし、嫌な臭いがずっとしている。
 確認が済んだら早いところ建物に戻ろう。

「あ……」

 順々に見て回っているグールの入った檻、その四番目に、日本人と思われるグール化した人の姿があった。
 四〇代前半くらいの男性。
 左手の薬指にくすんだシルバーリングをはめている。
 男性は、ちょこんと座った少女のグールのうしろに座って、猿の親子が毛繕いしているような感じで少女の髪を丁寧に梳いてあげていた。
 なんだろう……グールに対して抱いていた畏怖も、脅威も、顔をそむけてしまいたくなる不快感もなにもかも取り払ってしまうような奇妙な光景だった。
 いままで見聞きしてきたものを全部まとめてひっくり返すような温かさを、眼前のグール二体から感じ取ってしまった。
 ほかのグールたちが警戒の様子をみせたことで、無意識に檻へと近づいていたことに気がつき、慌てて後退。
 いけない。
 油断しちゃいけない。
 気を緩めちゃいけない。
 わたしはわたしのすべきことに集中しなきゃ。

 四番目の檻を離れ、五番目の檻の前へ。
 背後で物音がして慌てて振り返ったけど誰もいなかった。
 再び物音。
 なんだ。葉擦れの音みたいだ。
 足元で忙しなく動き回っているのはバッタらしき昆虫の類い。
 緑に茶色に黒。いろんなバッタがいる。
 しゃがんで地面に顔を近づけたら、もっと沢山の虫が見つかりそうだ。
 荒れた地の上をどれだけの虫が這い回っているのだろう。
 考えたらこの場に立っているのも気持ち悪くなってきた。

 逃げだすように六番目の檻の前へ。
 中を覗きこむ。
 そこには異国の人の顔をしたグールばかりがいた。
 わたしの探している人物の顔は見当たらない。
 七番目の檻の前へ移動してみたけど、ここも同じ。
 並んでいた檻が途切れて、荒れ地を挟んだ奥にある八番目の檻の前に立つ。
 中には髪を染めた男性のグールがひとり横たわっていた。
 生命活動が停止したあとにグール化した者なのか、酷い腐臭がしていた。
 小走りで移動して隣の檻を覗きこんでみると、中は空っぽ。
 その隣の檻も無人だった。
 わたしは〈TABLE〉に保護されているすべてのグールを見て回ったようだ。

 ――なんだ。
 いなかった。

 檻の中にわたしの探している人物はいなかった。

 残念だけど嬉しさが八割。
 会えなかったことは残念だけど、グール化していたら二度と言葉を交わせないので、まだ人である可能性が残されているのは単純に嬉しいことだ。

 嬉しいっていうか、そうでないと困る。


「おはようございます」
 わ。
 びっくり。
 檻の連なる通りの向こう側から声をかけられた。見ると四人の男性がこちらへ近づいてきていた。
 怒られるかなって思ったけど、声をかけてきた男性の表情には笑みが浮かんでいた。
「柏樹さんのお連れのかたですよね。はじめまして。小野といいます」
 親子くらい歳が離れているのに、〈TABLE〉の人たちはみんな丁寧な言葉で接してくれる。
 わたしは背筋を伸ばして、はじめましてって返して頭をさげた。
 朝の散歩をしているとでも思われたんだろうか。だといいけど。
「正午にはここをでられるんですよね?」
「え? あ、はい」
 そうなんだ? もう少しゆっくりしたかったのに。
「丹田と日並沢が同行して、現場で車を修理しますから、ご安心ください。ふたりとも腕はいいんですよ、腕だけは」そういって顔をクシャクシャにして笑った。
 笑うところですよ、って雰囲気を感じ取って、わたしも微笑んで返す。
「ありがとうございます」
 丹田さんと、日並沢さんか。
〈TABLE〉の人たちって何人いるんだろう、敷地内に。
「檻を見て回られるのは構いませんが、あまり近づかないでくださいね。唾液などが付着した場合、感染してしまうことがありますので」と小野さん。
 怖くなって一歩身を退いた。目的を達成する前に、わたしがグールになってしまうなんて事態は避けなくちゃ。
「ごめんなさい、気をつけます」
 頭をさげると、小野さんは、「まぁ、注意していれば、感染することなんて滅多にありませんけどね」といって肘の辺りをポリポリと掻いた。

 ——ふと、思う。

 九州に上陸してからずっと考えていることだけど、たとえば蚊がグールを刺して、そのあとに別の人間を刺したりしたら、刺された人は感染しちゃうんだろうか。
 いまのところわたしは蚊に刺されていないしグールにもなってはいないけれども、気になるところだ。
〈TABLE〉の人たちは九州での生活が長いから、その辺詳しく知ってるかな。って思って、四人の顔を改めて順々に見ていたら、ひとり、明らかに日本人ではない顔立ちをしている人がいることに気がついた。
「あぁ——彼は」わたしの視線に気づいたらしく、小野さんが説明してくれる。「昨日、保護した入国者でしてね。感染はしていませんので、安心してください。名前は……なんだったかな。彼は日本語が話せるんですよ」
「ウディです」
 インド系っぽい顔をした男性が名乗って会釈した。
 わたしも会釈して返す。
「板野です」
 こんなところで不法入国者の人と挨拶を交わすなんて、変な感じ。
「イタノさん? イタノマリエさん?」
「——え?」

 なに?
 いま、わたし、フルネームで呼ばれなかった?

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