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世界の終わり #6-3 メメント モリ


〈 SUV車内 / 熊本 南関 〉


          *

「悪いこと——とか、まだ起こってないといいですね」
 高速道路を右に見遣りながら443号線を南下しているSUVの車内にて、正面を見据えてハンドルを握っている天王寺が、後部座席に座った柏樹へ向けて不安げな声でいった。
「なにも起こらないことが一番だけどね」
 苦笑しながら柏樹は返す。
 返した直後に、フォレストホテルと思しき建物の一部が進行方向上に姿を現したことに気がつき——気がついたけれども、距離が相当離れているので確信はもてなかった。
「あれじゃないのか」
 荒木が身を乗りだして、前方を指差したと思いきや、
「どうでしょう。そうかもしれませんが、どうでしょうか」
 間を置かずに天王寺が曖昧な返答をして、ナビで確認をはじめる。
 柏樹は腕時計の文字盤に目を落として、嘆息し、奥歯を強く嚙みあわせた。

 板野たちの乗った車とはぐれてしまってから、かなりの時間が経過してしまっている。
 遠くに見える建物がフォレストホテルであるならば、スピードをあげて一刻も早く辿り着きたいところではあるけれども、路面が悪いためそうもいかない。

「どうでしょう。あれかな。あの建物かな。方向的に少し違ってるような気がしなくもないですけど、多分、きっと、や、あれです。あれですね。地図に間違いがなければ多分あの建物が——」
「いや。もう、いいよ。いいからちゃんと前を見て運転してくれ」
 苛立たしげな口調でいって、荒木がシートへ凭(もた)れかかる。
 一連のやりとりを見たのちに、柏樹はポケットの中から携帯端末を取りだして、着信の有無を確認し、再び文字盤へと目を落とした。
 ——ほどなくして、
「なんの音だ?」
 荒木が眉間にしわを寄せて、慄(おのの)いた声を発した。
 どうした——と尋ねようとした柏樹だったが、
「あ、あの、柏樹さん。二宮捜査官はいまどの辺りですか?」
 天王寺がミラー越しに問いかけてきたので、荒木を気にかけながらもミラーへと目を向け、そこに映った〝ひどく不安そう〟な表情をほぐすために、柏樹は柔らかな声で返答する。
「近くまできているとは思うが、到着は僕らのほうが先だろうね。急いでくれるといいんだけど、なかなかそうはいかないみたいだ」

 柏樹が電話で聞いた話によると、二宮捜査官は複数の広域捜査官を連れてフォレストホテルの跡地を目指しているとのことだったが、少し前から板野らの乗った車の場所を特定することができなくなったらしく、捜査官の間では懐疑的な目で見られはじめているとのことであった。

「ところで——」身体ごと荒木のほうを向き、柏樹は尋ねる。「白石くんや板野さん、それに板野さんの元彼のことについて、もう少し詳しく教えてくれないかな」
「教えられるようなことは、ほぼ話したよ」問われた荒木は素っ気なく返した。さっきまで忙しなく車外の様子を窺っていたけれども、いまはシートに深く座り直して気怠げに首を傾げている。「というか、あいつらのことを語って聞かせるほど、詳しく知ってるわけじゃねぇし」
「ふたりとは一緒に仕事をしてきたんだろう?」
「九州にきてからの数日間だけな。だから、トータルすると、おれよりもあんたのほうが、白石とは多く口を利いていると思うぜ」
「僕が?」
「車の中で楽しそうにお喋りしてたじゃねぇか。板野に関しても似たようなもんだ」
「……そうか。そうかい。じゃあ、元彼についてはどうなんだ?」
「松坂とも顔見知り程度でしかなかったから、たいしたことは——いや、まぁ、意外ではあったな」
「意外? 金を盗むような輩ではなかったと?」
「そうじゃなくて、九州で手がかりが見つかったってことがさ。こんな展開になるとわかってたら、ブレスレットをもっていたやつから詳しく聞いてたのに……あぁあ、くそッ。なんで車の修理のほうを優先しちまったかな」
「意外だと感じた理由はあれかな、元彼が九州にきているはずはない、と。きみはそう考えていたわけだ?」
「あ? ああ。当然だろ。松坂が闇ルートと繋がりをもってたとは考え難いし、チケット代を払えば誰でも行けるような場所じゃねえからな、九州は。あんたの意見に賛同するわけじゃねぇけど、捕まって強制的に連れてこられたって説のほうが、現実的には〝有り〟のように思うよ」
「ほう。強制労働説に2ポイントか」柏樹は短く息を吐きだして、進行方向へ目を向けた。「仮説が少数派意見でなくなったことを考慮して、到着してもしばらくは動かず、様子を窺っていたほうがいいかもしれないな。どうやら二宮さんの到着を待ったほうが賢明なようだ」
「そうかもしれねぇが、板野らの目的地がフォレストホテルで正解なら、あいつらはとうに着いていて、あちこち動き回ってるはずだぜ」
「どうかな。どうだろうね。板野さんひとりならまだしも、〈TABLE〉のメンバーが一緒だからね。たとえスタンガンで脅されているにしても、九州生活の長い彼らは、知らない土地では慎重に行動するだろうよ。まあ、それでも、仮説のとおりだった場合は、慎重云々以前の問題であるから、安心なんてできないけどね」
「……くそッ。なにもかもがおれらの勘違いであることを願うよ」
 荒木は嘆くようにいって、顔をそむけた。
 直後に車体が大きくバウンドして、天王寺が「おおお」と声をあげ、条件反射的にアクセルから足を離したことによってSUVは著しく減速する。
 気がつくと周囲の風景は森へと変わっていて、右斜め前方に見えていたフォレストホテルは、枝葉に隠れて見えなくなっていた。
 路上は堆肥と化した落ち葉で埋め尽くされており、アクセルを強く踏み込めないためにスピードはなかなかあがらない。
 そのことに焦りを覚えたのか、荒木は腰を浮かせてキョロキョロと周囲を見回しはじめたが、やがて倒れこむようにシートへと身体を埋めた。
 模すように柏樹もシートに凭れかかって、腕を組む。
 しばし、圧を感じてしまうほどの沈黙が車内を占領し、
 居心地の悪さがピークに達しようとした、その直前で、
 妙に明るく——例のごとく、芝居じみた癖のある喋りで、柏樹が首を傾げながら質問を投げかける。
「ところで、きみは、いつまで続けるつもりだい?」
「あ。なにを?」
「窃盗だよ。フィギュア収集をいつまで続けるつもりなんだ? そもそも、九州での窃盗を命じるような上司の元で働いていること自体、どうかと思うぞ。これまでは運良く見つからずにやってきたようだが、いつまでも上手くいくとは限らないだろう? 軍や警察が目を光らせているのはもちろんのこと、感染の怖れだってあるんだ。どこに危険が潜んでいるのかわからないしな。それに、どうして民家なんだ。どうして民家で盗みを働く? ショップや業者の倉庫を回るより、民家に忍びこむほうが効率いいとは思えないけどな」
「いろいろあるんだよ」
「いろいろ?」
「個人的な事情が、いろいろとな」
「辞めるつもりはないのか」
「代わりにあんたがおれを雇ってくれるんなら、いつでも辞めるけどね」自虐的な笑みを浮かべて、荒木は突きだすように顎をもちあげる。
 直後に視界が開け、車内へと光が降り注いできた。
「おっと——いよいよ舞台開演のようだ」
 樹木の壁が途切れると、フォレストホテルはすぐそこにまで迫ってきていた。
 目にした光景に対して誰よりも早く、過剰なまでの反応を示したのはハンドルを握っていた天王寺である。
「い、います! 駐車していますよ、〈TABLE〉の車! やっぱりここでしたよ。それに、軍のトラックもとまっています。二宮さん、自衛軍に応援を頼んでくれていたんですね。二宮さんたちのほうが先に到着していたみたいです!」
 天王寺は興奮していた。
 シートベルトを外しながら身体を捻って後方へ顔を向け、後部座席のふたりへ呼びかける声は、滑稽なくらい上擦っていた。
「おい、前! 前見て運転しろよッ」
 慌てて荒木が注意するも、天王寺は満面に笑みをたたえて、「柏樹さん、当たっていました。当たっていましたよッ」興奮した声で連呼し続ける。
 商業施設へ通じる緩やかな上り坂の途中に、〈TABLE〉の車と、茶色い幌をかけた黒い中型トラックが駐車している。
 狭い道を塞ぐように、二台は横並びでとまっており、どこか不自然さを覚える光景ではあったが、一秒でも早く合流したいとの考えから、天王寺はSUVの速度をあげた。
 比例して車体の揺れが激しくなった。
 嫌な音をあげて荷台に積んだダンボールが出鱈目に揺れ動いた。
 荒木が箱を押さえ、柏樹も同じように身体を捻って、上段に載った小さめのダンボール箱の端を両手でつかむ。
「こんにちはッ、二宮さんに連絡を入れた者です!」
 突然、大きな声があがったので何事かと驚き、柏樹と荒木は揃って運転席へ目を向ける——と、天王寺が窓から顔をだして、前方のトラックへ向けて手を振っていた。
 トラックのそばには、白いシャツを着た恰幅のいい中年男性が立っていた。
 男は、左手を眉の上にかざし、右手は背中へとまわしていた。
 表情までは窺えなかったが、身体を強張らせて、どこか警戒しているようにうかがえた。
 一方で天王寺は笑顔を振りまき、窓からだした手を振り続けている。
 と、ここで、
「お、おい。見えるか? あのトラック」不自然に声のトーンとボリュームをさげた柏樹が、荒木の袖を強くつかんで、頬を引き攣らせる。
「トラックがどうした?」
「ナンバーだ」
「ナンバー?」
「ナンバーが見えるか」
「え。なに。ナンバーがなんだって」
「宮崎ナンバーだ」
「…………は?」

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