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世界の終わり #4-9 メタフィクション


「なくなっているって……大事なものなのか?」
「大事、といいますか、はあ、まあ、他人のものですので」
 男性は振り返って、柏樹と荒木の顔を交互に見た。「利塚のいっているブレスレットってやつを、ご存知ありません?」
「いえ――」答えて柏樹は荒木へ目を向けた。
 両手のひらを開いてみせ、荒木はブレスレットをもっていないことをアピールする。「ポケットの中も見せましょうか」
「いやいやいや、まさか、そんな。盗んだとか、そういう話をしてるんじゃありませんよ。おい、利塚。ちゃんと探したのか?」
「探すもなにもさっきテーブルの上に置いたばかりですし、たしかにあったんですよ。バッグの中から取りだして、テーブルの上に置いたんです。そうだ、あなた、さっき手にもって眺めていましたよね? 銀色のブレスレット、手にもっていましたよね?」
 追求されたのは、荒木である。
 すかさず男性が言葉を挟む。
「おいおい、利塚。お前、そういう、人を疑うようなことをいうなって」
「いえ、でも、たしかに、たしかにもっていたところを見ましたので」
「おれの身体、調べてもらっても構いませんよ」と、荒木。「調べれば、すぐにわかると思いますけど」いって荒木は利塚の正面へ進みでた。
「おい、利塚。どこかその辺に……下に落ちてたりするんじゃねえのか。まさか柏樹さんの連れのかたが盗ったなんてこと――」
「お気になさらず」
 荒木が両手をあげる。
 あげるなり利塚は歩み寄って、荒木の身体を触りはじめる。
「すみません、失礼します。あれ……おかしいな。いえ、あの、そんなつもりじゃないんですけど」
「やっぱりねぇんじゃねぇか、おい、利塚ッ。退がれ。いいから退がれ。すみませんねぇこいつがおかしなこといいだして。本当にすみません。柏樹さんにも、嫌な思いさせてしまって」
「いいえ。それより、僕のほうも調べてくださって構いませんよ」柏樹もまた、両手をあげてみせる。
「いやいや、いいんですよ、柏樹さん。どうせ利塚の勘違いなんだろうから」
「しかし、大事なもののようですし、あとから詮索されるのも嫌ですからね。利塚さん、僕のほうも調べてください」
「では、あの、失礼して……えぇっと……あれ」
「ったく。利塚!」
「すみません。すみませんでした、ない、みたいです。さっきは、あの、たしかに見たような……いえ、すみませんでした。もしかしたら気のせいだったのかも知れない……とは、思わないんですけど、いや、でも……あの」
「――利塚よォ」冷気を含んだ上着を気怠そうに脱ぎ、扉の横に取りつけられたフックへかけながら男性は嫌味たっぷりの口調で責める。「お客さんを疑った挙げ句、なんだよ、その態度は。本当に見たのか? お前の勘違いじゃねえのか? よく似たなにかをブレスレットと勘違いしたんじゃねえのかァ?」
「す、すみませんでした」テーブルの上に広がった品々を集めつつ、利塚は申しわけなさそうに頭をさげる。「すみません、柏樹さん、荒木さん」
「いえ、構いません」
「所持品の件はあとにして、食堂のほうに行きましょうか」場の空気を変えるべく、三枝が明るい声で声をかけた。
「そうですね。食事、楽しみです」柏樹は微笑んで返す。
 返す一方で、苛立たしげに爪を弾き、柏樹は横目で荒木を見た。

          *

 陽が落ち、一時間ほどが経過して、人気(ひとけ)のなくなった食堂の片隅で、柏樹と荒木は背の低いテーブルを挟み、向かいあって座っていた。
「回収しなくていいのか?」おもむろに柏樹が口を開く。
 荒木は黙ったまま、俯き気味に視線を落としていた。
 柏樹はテーブルに載っていたグラスへ手を伸ばし、中の液体を喉へと流しこむと、質問の続きを口にした。
 夕暮れどきに起こった事件の核心に触れる言葉を、荒木へと向けて。
「どうしてブレスレットを盗んだ? きみの専門はプレミアがついたフィギュアではなかったのか?」
 質問を耳にするなり、荒木は顔をあげて睨めつけるような目を向けた。
 しかし言葉を発しようとはせずに、唇をきつく結んだまま、静かな呼吸を繰り返す。
「気づいていたよ。きみがテーブルの上にあったブレスレットを手に取り、調べられることがないであろう場所へ隠したことに。折角、施設内に入れてもらえたのに、危険を冒してまで盗む価値があったというのかい? 僕には安物にしか見えなかったけどね。あのブレスレットは」
「…………」
「それに――きみは解いていたね。車内で、板野さんにだした問題を。なにしろ、きみは、問題の核である〝蒼井が毒針を隠した方法〟と同じ手を使って、ブレスレットを隠したんだからな」
「隠し場所がわかっているんなら、さっさと取りに行けばいいじゃねぇか」
 不機嫌そうに顔を歪め、荒木はようやく口を開いた。
 柏樹は僅かに口の端を吊りあげる。
「いいのかい? 僕が先に取りに行っても。しかし、上手いこと気づかれずに隠せたものだね」
「気づくわけないだろ。あんな厚手の服を着ていたら、隠されたほうはまず気づかねぇよ」
「そういうものかな。いや、そうかもしれないな。事実、〝厚着をしていた二宮捜査官〟も、自身の上着のポケットの中へ凶器が入れられたことに、まったく気づかなかったようだからな」
 柏樹は頬を綻ばせて、テーブルの上のグラスへ、再び手を伸ばした。

 柏樹が述べたように、磯山を殺害した蒼井が毒針を隠した場所は、二宮捜査官が着ていた上着のポケットの中だった。
 探す側の盲点をついた巧妙な隠し場所である。
 蒼井と同様に、荒木も盲点をつき、冷蔵室からでてきた男性の上着のポケットへ、盗んだブレスレットを隠したのだった。
 いま、その上着は、冷蔵室の扉の横につけられたフックにかけられている。

「で、どうするつもりだ? おれが盗んだってことを、連中に告げ口するのか」
「まさか。僕は理由が知りたいだけだ。あの状況で、きみがブレスレットを盗もうと考えた理由が知りたいだけだよ」
「――どうだか」小さく鼻を鳴らして、荒木は目をそらした。
「まだ僕のことを信用してくれていないようだね。いっただろう? 僕はきみらを、誰かに突きだそうなんて考えはもっていない。出会ってから現在に至るまでの間、嘘偽りは一切、口にしていないよ」
「一切、ねぇ。案内してくれた三枝って女性にいったあの言葉は嘘じゃなかったのか」
「あの言葉?」
「あんたは不法入国者を捕まえたってことを、推理して導きだしたように振る舞っていたが、本当は知っていたんだろ。連中の誰かが噂話しているのを聞いたんだ」荒木は椅子の背もたれに身体を埋めて顎を突きだし、鼻を鳴らした。「どうだ。違うか?」
「嘘はついていないよ。きみたちに対しては」
「きみたち、ね。おれら以外にはついてるって認めるんだ?」
「トラックの荷台に積まれていたのが非感染者であることは知っていた。きみのいうとおりだ」
「はは。案外、あっさり認めるんだな」
「探偵らしい演出をしてみせるのは、別段、悪いことではないだろう? 三枝さんは、僕のことを名探偵として見てくれているのだから、探偵らしいサービスを提供してあげて当然じゃないか」
「驚いたね。さすが、未来が予測できている名探偵さんだ」
 嘲笑するように荒木は述べたが、柏樹は気にかけていない様子で身体を前に傾げる。
「それより、きみはどうしてブレスレットを盗もうと考えたんだ? いい加減、話してくれてもいいんじゃないかな」柏樹はさらに身を乗りだして詰め寄った。「理由があるんだろう? あの場で盗らざるを得なかった理由が。きみとは出会ってからまだ数時間しか経過していないが、一緒に行動しているふたりへの接しかたや言動を見てきて、おおまかな〝人となり〟はつかめたように思っているんだ。盗ったことに理由なんてなく、単なる盗癖だからなんて説明はよしてくれよ。きみはその場の欲求に流されて盗みを働くような人間ではなく、胸に相当の〝強い意思〟を抱いているってことが、顔に顕著(けんちょ)に表れているよ。なにかあるんだろう? さあ、話してくれ。きみはどうしてブレスレットを盗んだ? あの場面でどうして盗まざるを得なかった?」

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