見出し画像

世界の終わり #6-4 メメント モリ



〈 フォレストホテル正門前 〉



 SUVは減速し、駐車している二台のうしろでタイヤの回転をとめた。
 ぐん、と短く揺れた車内で大きく蹌踉めいてしまったが、荒木は首を伸ばして車外へ目を向ける。
 外にいた中年男性は初見と同じポーズのまま移動し、運転席に座っている天王寺の姿を覗きこむような動作をみせていた。
 天王寺が満面に笑みをたたえて応じる。
「お疲れさまですッ。二宮捜査官に連絡を入れた者です、二宮捜査官は——」

 どこですか?

 そう続くはずだった天王寺の言葉は、強制的に制止された。
 中年男性によって運転席の扉を勢いよく開かれると、背中に隠しもっていた銃を突きつけられ、
「天王寺ッ!」
 荒木が叫んだものの、呼びかけは空しく複数の銃声にかき消される。
 ウインドウが血飛沫で染まり、鉄と火薬のにおいで車内が汚染される。
 天王寺は身体を踊らせて、ハンドルへ覆いかぶさるようにして突っ伏した。
 中年男性がドアの縁をつかんで、天王寺の身体を銃口で押し退けながら車内へ頭を入れる。鋭い目が後部座席へ向く。荒木と視線が重なり、続けて柏樹と目をあわせたところで、いきなりSUVが前進をはじめて、皆同様に大きく蹌踉めいた。
「……!」
 中年男性は慌てて柏樹へ銃口を向けようとしたが、前進する車のピラーに阻止されて後退し、路上に膝をつく。狙撃者の侵入を拒むかのような突然の走行は、撃たれた天王寺の右足がブレーキから離れたことによるものだった。
「——くしょうッ、外に! 外にでろ! 早くッ」
 荒木が声を荒げて後部座席左の扉を開き、転げ落ちるように車外へと飛びだす。
 遅れて柏樹も身を屈め、急いで荒木のあとに続こうとしたが、腹部を圧するシートベルトによって座席に戻されてしまう。
「く、くそッ!」
 体勢を整えた中年男性がSUVを追いかけて、後部座席のドアへ手を伸ばす。
 柏樹は急いでシートベルトのバックルに触れたけれども上手く掴めず、震える指を制御することができず、ガチャガチャと出鱈目な音ばかり鳴らすバックルへ悪態をついたところで、真横のドアを外から開けられた。
 柏樹は顔を向ける。中年男性の姿が眼前に迫る。
 ここで、
 ようやくバックルが外れた。拘束が解かれた。
 しかし男性が突きだす銃口は、すでに柏樹をまっすぐとらえていた。
「柏樹ィッ!」荒木が叫び、
 引き金が絞られるすんでのところで、前進を続けていたSUVが中型トラックに衝突して車体が激しく揺れる。エアバッグが作動して、押し退けられた天王寺の身体とバランスを崩した柏樹の身体とが運転席のシートを前後から強く圧しあう。
 車体の後方へ回りこんでいた荒木は、急停止したSUVに身体をぶつけていた。
 蹌踉けて倒れかけた中年男性は、照準を外し、センターピラーに凭れるようにして身体を傾げていた。
 その隙を見逃さなかった柏樹が咆哮しながら右足を突きだす。中年男性の腹部を蹴り飛ばす。
 事故の衝撃で停止したエンジン音の代わりに銃声が鳴り響いたと思いきや、空気を切り裂く鋭い音が柏樹の耳元をかすめた。

「——!」

 柏樹は両目を見開いて、固まってしまっていた。
 その一方で、中年男性は腹部を押さえて後退しつつも、もう片方の手にもった銃を掲げて柏樹へ再度狙いを定めよう——としたが、SUVの後方から駆けてくる人物の存在に気がつき、急いで顔を向けたと同時に、アスファルトを蹴りあげて飛びかかってきた人物——荒木によって押し倒されて、側頭部をしたたか打ちつけた。

「ふざけんなよ、くそッ」
 荒木は、仰向けに倒した中年男性の喉を左肘で押さえると、拳を握りしめ、鼻頭に狙いを定めて思いっきり殴りつけた。立て続けに二発。抵抗する中年男性が声を発しようとしたところへ更なる拳を振りおろす。
「じ、銃を! 銃を奪って!」ようやく車外へ降り立った柏樹が、もつれる足を必死に動かしながら、馬乗りになった荒木へと呼びかける。「銃を奪うんだ!」
 銃は、アスファルトの上に転がっていた。
 すぐに荒木は呼びかけに応じて、腕を伸ばしたけれどもわずかに届かず、その間に中年男性から激しい抵抗を受けて屈むような姿勢をとってしまう。

 その様子を見ていた柏樹は、急いで加勢しようとするけれども、足が前にでず、思うように身体が動かず、それでもなんとかせねばと身体に鞭打ち、転倒するような格好で中年男性との距離を縮めた。
 痛みを思考から排除して腕を伸ばす。
 手の先が男性の身体に触れる。触れたと思いきや、ゴッ、と鳴った鈍い音とともに世界が暗転して、目の前で複数の星が煌めいた。星は眼球を突き抜けて脳へ突き刺ささる。直後に白く眩い光に包まれて、暗転していた世界がたしかなかたちをもって目の前に再度姿を現す。
「く、くそッ!」
 柏樹は中年男性の拳を左耳に受けて、一瞬、意識が飛んでしまっていたことを悟った。
 奥歯を強く噛みあわせて、腕にしがみつくようなかたちで全体重をのせ、相手をどうにか地面に押しつける。
 必死の抵抗を続ける男性の拳が柏樹の腕に。首に。耳のあたりに強く打ちつけられたところで、荒木が銃を手に取ったことを視界の端で確認した。

 ——よし!

 荒木が加勢に戻ってくる。
 戻ってくるなり、柏樹と中年男性との間に腕を入れて——入れた直後に激しく抵抗する男性の拳が、荒木の顔面へクリーンヒットしてしまう。
 荒木は顔を歪めて罵声を吐くと、額に血管を浮かびあがらせて、「——くそッ!」男性の顳かみへ銃口を押しあてた。
「ま、待て!」柏樹がとめに入ろうとしたけれども、「やめろ! やめろ、荒——」

 耳を劈く銃声が鳴り響き、地面に押さえつけられた中年男性の頭に射入口が空く。
 暴れていた男性は重力へ従順になって手足を投げだし、
 呆気ないまでに、一瞬で沈黙した。


「な——」柏樹は、銃を握り締めている荒木へと向け、「なんてことを——」声を震わせて責めつつ、硝煙が蜘蛛の糸のように纏わりついている腕をつかんで捩じあげた。「なぜ撃った、なぜ殺したッ、き、きみは、きみはなんてことを」
「うるせぇえ! どうすんだよ、ほかにどうしろってんだよ、この状況でよォ!」腕を振り払い、荒木は跳ねるように立ちあがって、ふらつきながら後退する。「大体、なんだよ、なんなんだよ、誰なんだよこいつ! どうして銃なんかもってんだ。殺るしかねぇだろ、殺らなきゃ殺られてただろうが!」
 柏樹はよろよろと腰をあげると、荒木から離れるように数歩後ずさった。
 周囲の山々が責めるかのように、銃声の残響を繰り返し、繰り返し耳へと届けてくる。
 柏樹はさらに数歩後退して視線をさげ、中年男性の頭の下にできた血だまりがみるまに広がっていく様を目にとめた。
「……くッ」
 膝が震えていた。
 心臓が早鐘をうっていた。
 土と埃と鉄と硝煙のにおいの中で、柏樹は思考能力を失いそうになっていた。
「おい。おい、しっかりしろッ」
 荒木の声が、柏樹を現実世界へと連れ戻す。
「あ、あぁ……」表情を引き締めて顔をあげる柏樹だったが、荒木が呼びかけた相手は柏樹ではなく、SUVの運転席でぐったりしている天王寺だった。
「しっかりしろ。大丈夫か? どこだ。どこを撃たれた?」
 荒木が問う。
 わずかながら天王寺が反応を示したように見て取れる。
 柏樹は自らの頬を張って、震えを忘れて、運転席へ近づこう——としたけれども、
「——!」
 視界の隅に動く物体の姿を捉えて、トラックの陰までおずおずと退がった。
 その動作を不思議に思った荒木が運転席から離れ、離れた直後に柏樹と同じものを目にして素早く膝を折り、首をすくめ、這うような姿勢でSUVの後方へ移動する。

 人がいた。
 歩いていた。
 道の先を、人が歩いていた。

「だ、誰だ? 誰がいる? あんたのところから見えるだろ。誰だ。誰がいるんだ?」
「待て」
「こいつらの仲間か? こいつらの仲間なのか?」地面に倒れた中年男性を顎で指しながら荒木が問う。
「待てと、待てといってるだろ」息をとめて、首を伸ばし、ホテルの敷地内へと続く道の先へ目を向けた柏樹は、荒れたアスファルトの上に、血に塗れて真っ青な顔をした屍人の姿を確認した。「……グールだ」
「グール?」
 返答を聞いた荒木はSUVの陰から頭だけをだして、路上を歩く人物の姿を確認した。
「くそッ。なんだよ。なんなんだ……」SUVにもたれ掛かりながら天を仰ぎ見、荒木は苛立たしげに髪を掻きむしる。「拳銃もったオッサンの次は、グールかよ。ったく、なんだよ、どうなってんだよ、これ! 違うだろ。全然話が違うだろ! あんたはこの場で推理を披露するんじゃなかったのかよ!」
「襲ってきた男の顔に見覚えはないか」
「あぁッ?」
「トラックは宮崎ナンバーだ。おそらくきみと同じルートで九州入りしたクチの連中だろう。男の顔に見覚えはないか?」
「ねぇよ。そもそもほかの連中と一緒に上陸したことがねぇからな」
「船上に限らずだ。男は、きみが勤める店の上司と繋がりがあったかもしれない。思いだしてみろ、本当に見覚えはないか? 男の顔に」
「ないって。ないといってるだろ。それより板野……板野たちは、そこに、その車に乗ってないのか」トラックと並んで停まっている〈TABLE〉の車を荒木は指し示す。
「板野さん、か」
 柏樹は頷いて返し、ゆっくりと車のほうへ近づいた。
「どうだ。乗ってないのか?」
 荒木が問う。
 沈黙が返される。
 柏樹は慎重な足取りで車のまわりを歩く。
 ややあって車の陰へ隠れて姿が見えなくなる。
「——くそッ」
 荒木は血に染まった自身の拳を摩りながら摺り足で移動して、SUVの運転席の横に立った。
 ふいに、車内を覗きこむ。
 天王寺は両目を見開いて宙を見つめたまま静止していた。駄目だ。助からない。そう判断した直後に柏樹から呼びかけられて、慌てて振り返る。
「天王寺くんは?」
「…………」荒木は視線をさげて首を横に振り、鼻から短く息を抜いた。
「そう……そうか」
「板野たちのほうはどうなんだ。乗ってないのか?」
「乗ってはいない。だが、〈TABLE〉の者がひとり——」
「ひとり、なんだよ?」
「頭部を撃たれて、道の脇に倒れている」
「——ちくしょう」
 荒木は〈TABLE〉メンバーの遺体を確認したのちに、数メートル範囲内をしばし歩き回り、歩き回りながら奪った銃を目の高さに掲げて、弾の残数を確認した。
 確認し終えたところで、ホテルの敷地内から銃声と思しき轟音が鳴り響いた。
 振り向いた荒木の目に、路上を歩くグールの姿が飛びこんでくる。
 両者間の距離は半分ほどに縮まっていた。
「グールは、敷地内からでてきたようだな」と柏樹。
 その言葉を受けて、もしや銃を撃っている何者かは敷地内のグール駆除を行なっているのかもしれないとの考えが脳裏を過(よ)ぎる。しかし、もしも標的が板野たちであったなら——と最悪の想像もしてしまって、顔を顰めて舌打ちした。
「どうした」
「や、別に。なあ、おい、頼むぜ。頼むから捜査官に電話して、早くきてくれるよういってくれ」
 再び銃声が鳴り響き、ふたりは同時に肩を竦ませた。
「あ、あぁ。もちろん。もちろんそうするが……なあ、いま、違って聞こえなかったか? たしかに違ったよな? 一発目と二発目とで銃声が違って聞こえたよな?」
「知らねえよ。知らねぇけど、銃をもったやつが何人もいて、それぞれ別の銃を使ってるなら、違っても聞こえるだろ」
「おい、おい。嫌なこというなよ。何人もだなんて……ちょ、ちょっと待て。どこに行くんだ。まさか。まさかきみは、待て。待てって! まさか敷地内に入るつもりじゃないだろうな?」
「ついてこいとはいわねぇから、心配するな」
「ば、馬鹿な気を起こすんじゃない! 銃、銃を、銃を持ったヤツが、男の仲間が、敷地内にいるんだぞ!」
「だから行くんじゃねぇか。そいつらに板野たちが襲われてたらどうするんだ?」
「板野さんが……ま、待て!」
「うるせぇ」両手で銃を握り締め、荒木は路上のグールへ目を向ける。「それより早く連絡してくれ」
「連絡する。連絡はするが、だが、だがな——」
 続けざま二度銃声が轟いた。
 荒木と柏樹は揃って肩を竦めて、視線を重ねた。
「ったく。なんだよ。誰を相手に撃ってんだよ!」足の震えをおさえようとしているのか、荒木は自身の太ももを拳で何度も何度も強く殴りつけて、足踏みを繰り返した。
「やめろ。行くな。行くんじゃない! 二宮さんがくるまで、この場で待機するべきだ」
「だから、待機とかそういうのは、あんたに任せるって。探偵さんは無事生還して、最後にみんなの前で謎解きを披露しなきゃいけないもんな」
「ふ、ふざけるなッ、冗談をいってる場合か」
「冗談? 冗談だったのかよ、あんたがいってたことって。探偵だろ。名探偵なんだろ? 事件をとめるっていってたじゃねぇか」
「そ、それは」
「まぁ、もう起こったあとだから仕様がねぇけどさ。でも、起こったら起こったで、やるべきことはちゃんとやらねぇとな」
「やる? やるってなにを……お、おい、待て。待てって。行くんじゃない。ここで二宮さんの到着を待つんだ」
「それじゃぁ、駄目なんだ」
「駄目?」
「あぁ。駄目だ」
 額に滲んだ汗を拭い、荒木は唇を噛んだ。
「駄目って、なにが……なにが駄目なんだ。いいからここに留まれ。留まらないと死ぬぞ。殺されるぞ。銃の扱いに慣れた相手とやりあえるとでも思ってるのか?」
「さあね。ただ、おれは、もう、嫌なんだよ。こういうのは」
「は? こういう? こういうって……待て。ちょっと待て。もし……もしや、もしかして、きみは、以前にも似たような目にあっているのか? 同じような経験をしているのか?」
「…………」
「行動しなかったことで、後悔した経験があるのか。そうか? そういうことか。だから行こうとしているのか?」
「黙れ」
「きみが意固地になっているのは、過去におかした過ちへのこだわりなんだな? そうだろう? だから行こうとしているんだろう? なあ、どうだ、違うか?」
「黙れよ。黙れといってるだろ」
「駄目だ。行かせないぞ。絶対に行かせはしないぞ。いまは自身の安全を一番に考えるんだ。死んでしまったら元も子もないじゃないか。生きてこの状況から脱するんだよ。板野さんたちのためにも、きみ自身のためにも——」柏樹は力強い口調で告げた。訴えかける目を向けて。「献身的な行為に意味なんか見いだすんじゃない」
 荒木は自嘲気味に口の端をつりあげて、短く息を吐く。
「……余計な詮索はするなよ、探偵」苛立ちの混じった声を飛ばし、手にもった銃を胸に押しあてて背を向け、荒木はいつでも飛びだせる姿勢をとる。
「荒木くん、よく考えろ。もう一度よく考えてみるんだ。板野さんたちを探しに行くことが、きみのこだわっている〝なにか〟の禊(みそぎ)になるとでも思っているのか?」
「…………」
「それは違うぞ。違う。間違ってる」
「…………」
「きみは間違っている。頼む。頼むから、ここに留まれ。留まるんだ」
「……くそッ。さっきからなんだよ。禊だ? 禊ってなんだよ。勝手な想像で説教してんじゃねぇぞ。どこから禊なんて発想が……ひょっとするとあんた自身がそうなんじゃねぇのか。重ねて見てんじゃねえのかよ、おれと、あんた自身とをよォ」
「そ、そんなことは……くそッ」
「おいおい。なんだよ、くそって。名探偵らしからぬ雑言吐くんじゃねえよ」
「ま、待て。待て、行くな! わ、わかったよ。わかった。わかったから待て。待ってくれ。きみがどうしても退かないつもりなら……」柵で覆われた敷地側を窺い、身体を強張らせている荒木の背中へと向けて、「——二度撃て」柏樹は抑揚をつけずにいった。
「あ?」
「銃をもったヤツを見たら、必ず〝二発〟撃ちこめ。反撃を避けるためにも二発目を撃って、相手の身体の向きを変えるんだ」
 荒木は表情を緩め、柏樹の目をまっすぐ見つめた。
「二発目で敵の銃口をよそに向かせろってか。はは。はははは。なるほどな。参考になったよ」
「グールも同様だ。頭を撃ってとどめをさせ」
「あ? はは。物騒なこともいうんだな、あんた」
「…………」
「まあ、いいや。悪い。悪かったな。口悪く反論ばかりしちまったけど、あんたのいうとおりだよ」歯を見せて鼻を鳴らし、荒木は急に腰を屈めると、ホテルの敷地内へ向けて駆けだした。

 その様を見た柏樹は、肩に入っていた力を地面に放り捨てて、ゆっくり息を吐きつつ車の陰へと身を隠した。
 隠した途端、急に全身が震えだす。
 激しく震えはじめる。
 大きく息を吸い、
 息を吐きだし、
 柏樹は頬と鼻と口元を何度も何度も手で拭いながら、取りだした携帯端末を操作して、二宮捜査官の携帯番号を表示した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?