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汚れた血 (2)


          *

「吐くなら個人バケットの中にしてくれよ。他人の嘔吐物まで掃除するつもりはねぇからな」
 小型の宇宙貨物船〈キャロ〉船内にて、私がコールドスリープから目覚めたのは、搭乗員五名中の、四番目だった。
 ジャック船長の指示に従ってバケットを手に取り、胃液の混じったエネルギー補給ドリンクを嘔吐する。不調は低温睡眠の影響であろうが、乗船前に人口重力発生装置の調子が良くないと聞いていたので、三半規管が刺激されて、自律神経失調状態に陥っていたところもあるだろう。
「目的地には、何日後に到着するんですか」
 バケットに顔を突っ込んだ格好で、女性乗員のエスターが尋ねた。私は口元を拭きながら腰を浮かして、エスターの方へ身体を向けて座り直した。同性の乗員はエスターひとりだけで、ほかはみな男性である。エスターは長くしなやかな銀色の髪が魅力的な地球人だが、あらためて見ると、髪の根元あたりが一様に黒くなっていた。
「――何日後だと?」ジャック船長が億劫そうに腰をあげて、手に持っていたタオルを丸め、叩きつけるように投げ捨てる。タオルは私の足元で静止した。「出発前に説明しただろ。六時間後だ。早いところ吐いて、吐き終えたら、すぐに仕事だ。数あわせで乗せたお前らに化粧する時間なんてねぇからな」
 雇われの身である私たちに反論の権利などない。体力回復もままならない十数分後には、コールドスリープ・ルームから退出して到着の準備をはじめるよう命じられた。貨物室での労働を担当するのは、私を含めた三名の非技術者乗員。船長と機関部員のノーマンは操舵室で機器をチェックし、貨物船の減速をはじめたのちに、取引相手との通信を行うものと思われる。
 私は厚手の上着をはおりつつ、せわしなく手足を動かして、強張った身体をほぐす努力をした。三〇ケ月間眠り続けていたので、身体に不自由を覚えるのは当然だけれども……なぜ? なぜだろうか。乗船前から疑問に思っていたことだが、三〇ケ月もかかる運搬に〈キャロ〉が選ばれたことが不思議で、不自然で、気になって仕様がない。
 小型の宇宙貨物船の長距離航行は、昨今では珍しいことである。コストパフォーマンスが悪く、オートパイロット時におけるディフレクター・シールドの信頼面からしても、〈キャロ〉のような旧モデルの使用は不合理極まりない。コールドスリープの必要がない高速宇宙貨物船は、それこそ星の数ほど運用されているのだ。唯一〈キャロ〉に利点があるとすれば、小型船故に惑星連邦のチェックが甘いので、公にできない荷物を運ぶのに適しているといったところだろうか。私がこのような考えを抱いてしまうのは、〈キャロ〉の貨物室に積まれているものの説明を受けていないからであって……不安だ。不安に思う。不安ではあるけれども、連邦のIDを取得できていない私のようなものには、仕事をもらえるだけでもありがたい話なので、口だしするなどもってのほかだ。
 命令に、従順に。
 ……わかっている。私にほかの選択肢はない。
「あのう。船長、おかしいんです。開かないんですよ」
 コールドスリープ・ルーム出入り口の、扉の前に立ったカラスという名の乗員が、心許なげな声を発した。カラスの特徴的なさがり眉は、角度にして5度ほどさらにさがっていた。
「なにをやっているんですか。代わって。代わってください!」
 機関部員のノーマンがカラスを押しのけて、扉の前に立つ。しかしノーマンは扉の前で直立したまま、一分近い時間が過ぎていった。
「どうした」船長が問う。
「……おかしいな」ノーマンもまた心許ない声を発して、首をさすりながら振り返る。「開かないんです。通路への扉が」
「電源は? 電気は通じてるのか」
「電気系統に問題はなさそうですが……妙ですね。通路側でなにかつっかえているわけないし、錆びるような素材でもないのに……待ってください。強引に開けてみます」
 扉の開閉システムが手動に切り替えられて、重い扉が横にスライドした――直後だった。エスターが短い悲鳴をあげたのは。
「……!」
 室温が急激に変化する。
 奇妙な臭いが鼻孔を刺激した。
 ノーマンがあわてて通路へでて、カラスが後に続く。
「な、なんだこれ。なにが付着してんだ? 船長、せ、船長ッ!」
 取り乱したノーマンの声に気圧されたせいもあって、私は硬直し、立ち尽くしてしまった。通路を見た。通路の壁を。口を開いた巨大生物に襲われる錯覚を覚えて、全身に震えが走ったのは〝変化した壁の所為〟だった。隙間なく、びっしりと壁を覆い尽くす、黒く湿ったコールタールのような謎の物質が生物の内膜を連想させた所為。
 異様だ。
 異様な光景だった。
 かろうじて照明は通路を照らしているけれども、コールドスリープ・ルームの明るさに慣れていた私の目は、数メートル先の様子を捉えることも難しい。
「どけッ、邪魔だッ!」
 船長に肩を押されて左によろけた。膝が折れ、床に手をつく。怖れを増大させる手足の震えをとめるために、首にさげたネックレスを掴んで握りしめた。口から息を吸い、震える唇の隙間から静かに吐きだす。落ち着け。落ち着いて鎮まれと早鐘を打つ心臓に命じながらどうにか身体を起こした。緩やかに。緩やかに身体を、顔を、顎をあげて、ぶれてしまった目のピントをあわせる。
「な、なんなんだ、こいつは……」通路に立った船長が呟く。
 ずっと高圧的な態度をとっていた船長の、不安げな声を聞いたのは、はじめてだった。

          *

「アガサさんの話が本当なら、驚きですよ。いいですか、もう一度見てください。これです、この船。このデザインで間違いありませんか」
 ドクタータケウチが掲げた端末に表示されていたのは、〈キャロ〉に良く似た宇宙貨物船の画像だった。私は頷いて返し、着崩れていた患者衣の襟を左手で押さえた。指が直接肌に触れる。ない。なくなっていた。亡き母から譲り受けたネックレスが首からさがっていなかった。
〈キャロ〉脱出時には間違いなく身につけていたので、救助艦内で外されたのだろう。気づけば私は、ベッドのうえで横になっていた。身体を洗浄され、患者衣に着替えさせられて、鼻に酸素吸入のチューブを挿されていた。
「製造から二世紀以上経過していますので、博物館に展示されていてもおかしくない、非常にレアな貨物船ですよ。表面にD5合金を使用している核融合推進の船は、いまではまったく造られていませんからね」
 タケウチは端末から目をそらさずに、貨物船について喋り続ける。不要としか思えぬ話題の継続に違和感を覚えてしまうが、もしかするとタケウチは、私の緊張をほぐすために、あえて話を脱線させているのかもしれない。そう考えると心は和らぎ、気持ち程度ではあるけれども、呼吸が楽になってくる。
「この時代の船は遊び心が満載で、いまでは考えられないような……ん? これは聞いたことのない素材だな」タケウチの声のボリュームが落ちた。
「あ、あの。ドクター?」
 ここでナミ中佐が一歩踏みだして、気をもむような声で呼びかけた。表情を窺うと、ナミ中佐は訝しげな目でタケウチを見ていた。途端に、私の中で不安がふくらみはじめた。話の脱線はカウンセラーが用いる技のひとつなどではなくて、もしやタケウチは、己の趣味に心を奪われているだけではないか――そんな疑念を抱いてしまう。
「ナミさん、待って。少し待ってもらえるかな」と、タケウチ。
 再び端末のうえで人差し指が忙しなく動きはじめた。ナミ中佐が足をとめて、不機嫌そうに眉根を寄せる。私は居づらさを覚えて顔をそむけ、ゆっくりと室内を見回した。
 白を基調とした医務室はとても広くて、壁には雄大な風景を望める大きな窓が複数設置されている。景色はモニターに表示されたフェイク映像だが、時折光量が変化するので、地上に居ると勘違いしてしまいそうだ。出入り口の方へ目を向けると、眉尻に傷のある若い男性と目があった。息がとまる。射竦めるような冷たい目が私を捉えていた。ずっと睨み続けていたのだろうか――私を。視線から逃れるべく首を動かすと、扉のそばに置かれた黄色いボックスに目がとまった。アガサ・ローナン。ボックスの側面に私の名前が記されていた。あれだ。あの箱だ。あの箱の中に、私の着ていた服や私物が収められているに違いない。
「ほう。これはすごい。こんなに優れた素材なのに、現在は生産されていないのか……」顎に手を添えて、タケウチは呟くように言った。端末のディスプレイになにが表示されているのか気になって首を伸ばすと、おもむろに顔をあげたタケウチと至近距離で見つめあうかたちになってしまった。取り繕いの笑みが顔にはりつく。そんな私の反応を意に介さずに、すぐさま話しかけてきたタケウチの声を、言葉を、ほんの数秒ではあるけれども、私は言語として認識できなかった。「見てください、アガサさん。記録によると、アガサさんの乗っていた貨物船の内壁には、珍しい素材が使用されていましてね。惑星キュラソに生息する植物をベースにした〈K303〉という素材なのですが、非常に優秀な特性であるにもかかわらず、ある時期からまったく使われなくなっているんですよ。どうにも妙なんですよね。生産中止に至った経緯がヒットしないし、そもそも〈K303〉に関する情報が極めて少なく――」
「ドクター?」
 ナミ中佐が話に割って入って、タケウチの肩に手を触れた。声のトーンからして、とまらぬ脱線に痺れを切らした様子である。よく見てみれば、ナミ中佐に限らず、副長のリンカーン中佐も呆れた顔をしていた。
 タケウチは振り返ってこうべを垂れた。しかし、意向を汲んだわけではないらしく、満面に笑みをたたえて、瞳を輝かせていて、間を置かずに高いテンションで喋りはじめる。
「すみません、ナミさん。見兼ねて声をかけてくれたんですよね? 恥ずかしながら、使い慣れていない端末なので、どうにも手間取ってしまいまして。お手数をおかけしますが、私の代わりにデータベース検索をお願いします。〈K303〉の生産が中止された時期に起こった社会的な出来事を調べてください。対象エリアは惑星キュラソと地球だけで構いませんので」
「はい? あ、あの――」
 端末がナミ中佐の手へと渡った。困惑したナミ中佐の口から文句が発せられる――と思ったものの、その寸前にタケウチが副長のリンカーン中佐へと向き直って、熱のこもった口調で質問を投げかける。
「アガサさんを艦内に収容したとき、着ていた宇宙服の酸素量は0・5パーセントをきっていたと聞きましたが、酸素残量と発見時の移動方向、ならびに速度から、貨物船の座標を推測することは可能ですか」
 リンカーン中佐は髭に手を添えて短く息を吐き、厳しい表情でタケウチを見据えた。「あぁ。当然、推測は可能です」見た目に反する柔らかな声で、リンカーン中佐は言葉を返した。「ただし、やるべきことはすでに終えていますよ。該当しそうなエリアも含めて、広域スキャン済みです。残念ですが、船を見つけだすことは不可能でしょう」
「――なるほど」タケウチは祈るように手のひらをあわせてしばし宙を見つめると、指先を顎につけて囁くように言った。「貨物船は、跡形もなく消え失せたというわけですか」


〈つづく〉

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