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世界の終わり #6-7 メメント モリ


〈 捜査車両内 〉



 広域捜査官らが乗ってきた車の運転席に座ったツカハラ捜査官は、身体を捻らせて、後部座席に乗る柏樹へ右手を差しだした。
「握手していただけますでしょうか」
「は?」
 一瞬、呆気にとられた柏樹だったが、笑みを取り繕って、差しだされた右手を握った。
「ありがとうございます。お会いできて光栄です。柏樹さんが解決へ導いた〝川端事件〟の話は聞いています!」ツカハラ捜査官は満面に笑みをたたえて、握手した手を何度も上下させる。「関係者を一堂に会して推理を披露されたのですよね? 最後の砦を崩すために仕組んだ巧妙なトラップに、計算し尽くされた見事な構成——さらには解体とともに事件関係者の心の傷まで癒したと聞き、感銘を受けました」
「あ、はい。はぁ……」
 畳み掛けられるように喋られて言葉に詰まってしまう柏樹だったが、ツカハラ捜査官はいいたいことをいって満足したのか、「本当にお会いできて光栄です」と繰り返すと、前を向いてハンドルに手を載せ、唐突に会話を打ち切った。
 戸惑う柏樹は、身体をモゾモゾと動かして視線を彷徨わせていたが、SUVの車内を調べている小林捜査官の姿を目にとめて、身体を硬直させた。
 息が、とまった。
 とまったまま、フロントガラス越しに見える光景を、じっと見つめた。
 アシスタントを務めてくれていた天王寺とのつきあいは一年にも満たないけれども、その間は、ほぼ毎日顔をあわせて、ほぼ毎日食事をともにした。
 天王寺は九州封鎖による混乱で家族も住居も職も失った身であり、柏樹の元で働くまでの数年間は、日本各地を転々としながらその日暮らしをしていたといっていた。
 今日、天王寺が着ていた服は、柏樹が譲ったブランドものの古着である。
 服だけではなく、靴も、時計も。
 柏樹は奥歯を強く噛みあわせて指を組み、僅かに震えている手のひらへ視線を落とす。
 親指のつけ根辺りに血液が付着していた。
 自身の血ではない。
 誰の血であるのか、いつどのタイミングで血が付着したのか、柏樹は思いだすことができなかった。
「中で発砲している連中はおそらく、ホテル跡地を利用して麻薬の栽培や合成を行っていたのでしょう。このところ大々的に栽培を行う輩があとを絶たないんですよ。場所が九州ということもあって、現地で実際に動いている者は少数だと思いますが、問題は銃ですね……あぁ、そうだ。間もなく軍が到着するそうです」
「自衛軍が、ですか?」
「えぇ。応援の捜査員もじきに駆けつけますので、ほどなく、中の連中を完全に囲みこめるでしょう」
「——申しわけありません」
「え? いいえ。柏樹さんのおかげですよ、ホテル跡地で危険な連中が活動していることを発見できたのは」
「しかしアシスタントが中に入ってしまっていますし、まさかこのような状況であるとは思いも——」
「やめてください。らしくないですよ。〝川端事件〟を解決した名探偵ではありませんか。あ……いやはや、すみません。実はわたし、柏樹さんの名前をお聞きしたときに、噂に聞いていた名探偵の推理披露場面に立ち会うことができるんじゃないかって胸を躍らせていた部分がありまして。や、お恥ずかしい話ですが、少々期待していたんです。期待といっても、事件の発生を期待していたというわけではなくて、ましてやこんな凶悪事件が起こるとは……や、すみません。同じことですね。失礼しました。それにしても、やはり、さすがですね。さすが、噂に聞いていたとおりの名探偵ですよ、柏樹さんは」
「は?」
「名探偵は事件を引き寄せるというじゃありませんか。柏樹さんのおかげです。柏樹さんがいたからこそ、今回の発覚に繋がったんですよ」
「発覚したといっても——」柏樹は車外へ目を向ける。路上にはいくつもの死体が横たわり、自身が乗ってきたSUVの車内は血に染まっている。「なにも、なにもできずに、ただ車の中で待っているというのは」
「いえ」ツカハラ捜査官はバックミラー越しに微笑んでみせて、自信に満ちた強い口調で言葉を継いだ。「ここから先は、わたしたちの仕事です」
「わたし、たち……」
「えぇ。わたしたち広域捜査官の仕事です。心配なさらずに、柏樹さんはどうぞ、どうぞ安全な車の中でゆっくり休まれていてください」
 前のめりの姿勢になっていた身体を引き、柏樹はシートに背中をつける。
 つけるなり、過去に出会(でくわ)した事件のことが脳裏に浮かんでくる。
 事件関係者からいわれた言葉を思いだす。
 ほんの十数分前に荒木からいわれた言葉を思いだす。
 自分は、安全といわれた後部座席のシートに座って、すべてが終わるのをじっと待つしかないのだろうかと考えて、下唇を噛む。これで名探偵といえるのだろうか——もしや209号線の路上で襲われた際に、二宮捜査官へ、荒木ら三人を差しださなかったことが間違いだったのではないか。庇うことなく、三人を素直に差しだしていたら、理想的なかたちで事件と出会し、これまでと同じように推理ショーを開くことができていたのではないか。

 ——いや、
 なにを。
 なにを考えているんだ、僕は。

 柏樹は頭を抱えるように俯くと、疚しい考えを振り払うべく、瞼(まぶた)を強く閉じた。
 荒木らを庇い、〈TABLE〉の本部へ連れて行ったのは前回や前々回の九州入りの際に出会した事件のような悲劇が起こることを避けるためだった。
 それなのに、いざ事件が起こり、命の危機に晒されると足が竦んで動けなくなってしまって、ただ助かりたい、無事にこの場から逃げだしたいという思いで頭の中は支配されてしまって——それでいて、己が蚊帳の外に置かれるなり不満を抱いてしまっているのだから、醜悪極まりない、情けない話だと猛省する。
 本当に求めていたものはなんだったのか。
 本来、望んでいたかたちとはどのようなものであったのか。
 事件が起こるのを防ぎたいと口ではいった。いったものの、本心は別のところにあったと改めて気づかされる。

 探偵でありたい。
 名探偵として崇められたい。
 難事件を解決して称賛の的となりたい。
 事件を起こさせない名探偵として名を成したい——


 それこそが、柏樹そのものだった。


「どうかされました? 大丈夫ですか、柏樹さん」
 ツカハラ捜査官に呼びかけられたが、柏樹は応えずに視線をそらした。
 そして思う。
 保身のために思う。
 考えを改めて。
 一切を無に帰して。
 自責の念を振り払うために、
 自己嫌悪に陥らないために、
 アイデンティティを保持し続けるために、かぶりを振り、かぶりを振って、何度も何度もかぶりを振って、すりこむように思い続ける。


 ——僕は探偵だ。探偵役だ。物語世界に登場する名探偵役だ。
 このまま退場させられるはずなどない。
 役割を果たせずに物語から存在を消されるはずなどない。
 そうだ。ここで終わるはずなどないんだ。
 僕の出番はまだ残されている。
 終わるわけないじゃないか!


「柏樹さん?」
 再度呼びかけられ、柏樹はゆっくり顔を動かした。
 目があった。
 一滴。
 空から落ちてきた雨粒がフロントガラスの左端で弾けた。ガラスの向こう側では、小林捜査官がSUVへ身体を半分ほど入れて、先と同じように車内の調査を行っている。
 一滴。
 もう一滴。
 ホテルの建つ方向から、銃声が聞こえてくる。


 ——cogito, ergo sum


 自身が主人公であり、登場している物語はミステリー作品であることを懇願し、柏樹は己の襟元をつかんで表情を引き締める。
「大丈夫です。気にしないでください」

 頷いて返して、建物を見つめた。
 雨の粒がガラス窓で弾け、いくつもいくつも流れ落ちて行った。

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