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孤独で不安な人生から、安心の人生へ

同じ記事をブログ にも書きました。プロフィールなども載っているので、よかったらみてね!

自己への信頼


ここでは、現在苦しくて仕方のない人、漠然と苦しい人に向けて書きます。でも自分は全然幸せだと思う人でも、もしかしたら何かのヒントになるかもしれません。

一回どん底を経験するとその苦しみを生み出しているものの正体がわかる


さて、誰しも別に不幸になりたくて生きているわけではありません。生きている実感を得たい、幸せになりたいと心の奥で思いながら生きているのではないでしょうか?

しかし、人生のどん底の経験というのは、人生で最も貴重な経験の一つだと思うのです。

なぜなら、真っ暗な闇の中でこそ一筋の光が輝いて見えるからです。その光を頼りに進んでいくと、ある時幸せに生きることについて腑に落ちることになります。

そう、今まで苦しみを生んできたのは自分だと気づき、その自我を脱ぐことができるようになります。

そうなるともう、人生において苦悩というのがかなり減るんですよね。苦痛は消えませんが(笑)。おなかが痛いときは痛いし、寒いときは寒いし、でもそれらを妄想して苦しむことはほとんどなくなりました。

苦悩と苦痛の違いについて説明しますね。

例えば、人から面と向かって嫌いと言われたらショックです、苦痛です。

もし嫌われたらどうしよう、怖いと嫌われることを想像して苦しむのは苦悩です。

苦痛は実際の痛みですが、苦悩は想像上の痛みです。

昔の僕が、この人から嫌われたらどうしようという苦悩で人生が一杯でした。

そして、安心感を抱けなかったんです。

そして、統合失調症というどん底を経験することでこの苦しみを生む想像、妄想をしている自分に気づくことができました。

そう、人生の苦しみを生み出しているのは、僕自身だったのです。

地獄を経験する前と後の違い


地獄(どん底)を経験する前は、なんか漠然とした苦しかったです。なんか生きている感じがしないというか、実感のうすい人生というか、他人が怖いというか、自分が好きになれないなみたいな。もっと自分は頑張らないといけない。今のままの自分ではいけないという感じでした。

地獄を経験した後は、生きている感じがするし、他人は仲間だし、自分が好き!という感じで人生がポジティブになりました。60点の自分なら、60点でいい。と自分を受け入れられることができました。

すると、なぜか100点を目指さなくてはいけないという義務感よりも。100点を目指したいという自発的な欲求が芽生えていきます。

この世で一番不幸なことは、たぶん自分を嫌いなこと。もしくは感謝の心を持てないこと。


この世で一番不幸なことって自分を嫌いなこと、感謝の心を持てないことだと思うんです。

自分が嫌いだと、本当に何もできなんです。

例えば、

・友達と笑いあうこともできない
・他人のために行動できない
・他人からの人望も得られない

これは僕の実体験ですが、友達と心から笑いあうこともできないです。笑っても表面上の話で、すぐにむなしさが襲ってきます。

他人のために行動することもできないです。僕は今まで、高校3年生まで受験勉強を頑張ってきました。でもそれは、それは他者のためというよりは自分の生存のためであり、他人より優れるためだったんです。しかし人間は他人のために行動しているときにはじめて、ここにいてもいいんだと実感できます。自分のためだけに受験勉強しているときは、他人のことなんて考えられなったし、どうでもいいとも思ってました。

他人から好かれることもない。今の自分がいるのは自分のおかげであり、他人のおかげではないとも思ってました。そんな自分が他人から好かれることなんてなかった。いつも他人と自分との間に埋まらない溝を感じてました。自分が心を開いた分だけ、相手も心を開いてくれることに気づかなった。

よくよく考えてみると、この世に自分一人でできたことなんて何一つないことがわかります。一人では勉強もできませんでした。教えてくれる先生が必要だし、先人の努力があってのことです。食事だって作ってくれる母が必要だし、農家や酪農家、食品会社の方、運送業者、小売販売店の方のおかげで食材が手に入るわけです。

そのことに無頓着で、恩知らずなまま生きていた自分は、幸せになれるはずもありませんでした。

生かされていることに感謝の心が持てれば、自然と生きることに有難みを感じて、生きている実感が持てるでしょう。

自分の力だけでどうにかすることを諦めると、道が開ける


昔の僕はそのことがわからず、自力だけで生きていこうとしました。

自分一人の力で生き抜いて見せようと思ったんです。しかし、どんな命も自分一人で生きているわけではありません。

この世の真理に歯向かおうとした僕に、絶望が襲ってきました。

しかし、絶望しそこで大学の指導教員が手を差し伸べ、優しい言葉をかけてくれたおかげで、自分一人の力の小ささに気づき、自分は生かされているのだと実感できたのです。

そして僕の前には道が開けました。他者に貢献するために生きていこうと強く思えました。

この世界から受けた恩を、残りの人生で返していこうとする自分になれたのです。

そしてそんな自分を好きになれました。

そこに人生の安心感があったのですね。

孤独の問題


安心感を覚える前、僕は孤独感を強く感じてました。ここでは、孤独感を安心感に帰る道について話します。

分離感という幻想


僕が幼稚園に入った頃、僕はそれまでの安心できた実家の中から、危険でいっぱいの外に出ることで、強い分離感を感じてました。

安心の環境から離された時の恐怖はすさまじく、いつも幼稚園が嫌で嫌で仕方ありませんでした。そんなわけで幼稚園では自分の身を守るために自分の殻にこもってばかりでした。

自分の殻にこもると不利益があります。

他者を怖がると、怖いことがよく起こります。ちょっときつい言い方をされただけで、あの人は敵だ!ってなって心が安らがないし、その人のことを考えるだけで不安になります。

四苦八苦の一つ、怨憎会苦ですね(笑)

そんな心を閉じていた僕が、心を開けた原因をあためて考えたところ二つの原因がありました。

①挑戦
②自分を客観的にみる

まず、ここを閉ざしたままでできることに挑戦することです。例えば、小学四年生の時、全校集会の時に司会を担当したり、小学三年生のとき少年野球を始めたりしました。小学五年生の時は中学受験を志したりしました。

もちろん怖いし、傷つきます。

でも次第にその傷つきの痛みが、自分の殻を破る原動力になります。

もしもこれを読んでいるあなたが心を閉ざしていると感じるならば、自分の心の赴くままに何かに挑戦してみてもいいかもしれません。

おそらく傷ついたり、怖い思いをするかもしれません。でもその痛みを感じることで、あなたは生きていることを実感できるのではないでしょうか。

二つ目の方法、自分を客観的にみるについて。

自分が何に苦しんでいるのかを知らなければ、改善することはできません。

そして、これは僕の場合、年月を重ねて、自分のことを相談できる相手がいないとできないことでした。

最初は孤独感で辛くて辛くて仕方ないときに、藁にもすがる思いで心理カウンセラーのところに行き、そこで自分を客観的に見つめることを練習しました。

すると自分の中に不幸のもとになるある思考パターンがいくつか見つかりました。あとはそれを意識して変えていくだけですね。

例えば、お店のレジの人に、今までは顔を合わせずそのまますぎていったのを、顔を合わせて「ありがとうございました」「お疲れ様です」とあいさつするとかですね。そんな何でもない行動を意識して繰り返すことで少しずつ他者に心を開いていったと思います。

話を聞いてもらうことも大事
さて心を開いても、まだ当時の僕の孤独感は埋まりませんでした。そしてどんどん壊れていき、実家に引きこもりになり、遂には精神病院に入院しました。

本当に孤独感は、精神を蝕みます。

しかし、精神病院に入院したおかげで、僕の人生は開けていくんですね。

なにより、24時間つらくなったら相談できる環境にいられるのがよかった。

誰かに話を聞いてもらうというのは、人間にとって何よりも心を救われることだと思います。

ドストエフスキーの『罪と罰』で殺人を犯したラスコーリニコフが娼婦のソーニャに罪を告白して、最後救われますが、救われるってあんな感じなのかなと思います。

自分の話を聞いてもらうには、自分のことを話せないといけません。つまりある程度、自分を客観的に見れて、自分のことを知っている必要があります。

そして話を聞いてもらうには相手の労力と時間を使うので、相手への気遣いも大事です。

それがわかるようになれば、きっとあなたは孤独感を克服できるでしょう。

話を聞いてもらえる環境も大事
僕の場合は、大学の指導教員、保健室の先生、メンタルクリニックの先生、大学の相談センターの職員、整体の先生、両親、心理カウンセラー、友人、精神病院の先生、看護師さんなどがいたから、立ち直ることができたんですね。

自分の話を聞いてもらえる環境があったから、僕は幸せになることができました。

本当に感謝しないといけません。

この話を聞いてもらえる環境って誰にとっても大事だと思います。

人によっては恋人や旦那さん、仕事の上司などにあたるのかも。

もしかしたら現在そのような環境がない人もいるかもしれません。

いつかそのような方の話を聞いてあげられる環境を用意してあげたいです。

自分は孤独ではないと分かれば、安心感が湧いてくる
そして満たされなった孤独感が満たされると、心になにか温かいものが生まれます。

その温かいものは今も僕の中にあり、ずっと消えていません。

僕はこれが安心感だと思っています。

この心が生まれるまでの人生で、僕は自分が一人ではないこととほかの存在のおかげで生かされていることをすごく実感し、学びました。

その結果、僕の中に安心感が芽生えたのだと思います。

これからは、誰かの孤独感、対人関係の不安を少しでも少なくできる手助けがしたいです。

できればその人にも、その人の人生に安心してほしい。

それではまた!

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