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人生においてnote毎日投稿できる時期は人それぞれというお話

今年2月よりアウトプットと思考整理目的で、note発信をスタートしました。日々、時間をやりくりして投稿しています。もはや生活の一部。

366日毎日投稿を目標にし、じき7合目というところ。
なぜ続けられたかと振り返れば、noteを書くことでかえって気持ちが整理されていたからだと思うのです。

とはいえ、です。
今年はある程度身辺が落ち着いていたので、毎日投稿できたのかなと思いました。役員仕事もなければ、娘も手がかかりません。
今年が千載一遇のチャンスだったと思うのです。

そう思った理由を、noteが生まれた2014年ころから簡単に振り返ってみました。あくまでも個人的なケースになりますが、ワーママが連続投稿をめざした一つのモデルとして参考にしていただけると幸いです。

1 娘が乳幼児だった頃

とにかくワタワタの一言。
たびたび突発的な発熱やけいれんがあったので、子育て最優先の日々。
イレギュラーの連続。分単位でマルチタスクをこなすという名目の、その日暮らし。
SNS発信するゆとりなんて、とてもとても。

2 仕事復帰と保育園探し

ちょうど保育園不足が深刻だった時期。
「保育園落ちた日本死ね」のブログにうなずくばかりの私たち。
認可保育園に入れず、認証保育園へ。毎月6万円強の保育料で首が回らず、生活苦そのもの。
時間さえあれば仕事を優先し、ほぼ連日娘とともに寝落ちです。

3 幼稚園に転入してもワタワタ

なぜか毎週のように冠婚葬祭があり、子連れで結婚式もお葬式も参列。
事前の準備も当日の式次第も、多忙そのものでした。
同時にいくつか習い事をスタート。曜日を調整したり、せっかく調整しても先生と合わなかったり、仕事を調整したり、向き不向きもあったり。
体験させるだけでも大変。はあ。

4 そして小学校へ

「小1の壁」ありましたね~。
小2のとき、役員3つ掛け持ちして首が回らず。小学校の広報と、学童の会計と、習い事(発表会)の役員。
毎日のように書類作って、連絡して、入出金を確認しての繰り返し。本業以上に役員仕事に奔走していた時期でした。

5 娘の友人とのトラブル

詳細はさしひかえますが…。
娘の気持ちが一番とはいえ、娘一人でどこまで対処できるのか、娘を信じているだけでいいのか、迷うばかりでした。
結局、母親の私のほうが追い詰められ、とても情報発信する気持ちのゆとりのなかった時期です。

まとめ

そして2022年、ようやく前向きに毎日発信ができるようになりました。私にとって、今が一番ベストな時期だったと思うのです。

いつでも情報発信できるし、自分次第・時間のやりくり次第と言ってしまえばそれまでかもしれません。

ですので、小さなお子さんを育てながら執筆している方たちの記事を拝読すると、まったく頭が上がらないのです。尊敬するばかり。
と同時に、そのときにしかない気づきを思い出すことができて、ありがたい思いなのです。

人生のそれぞれのステージの中で、小さなしあわせはいつでもそばにありました。それらを見いだし、無理のない範囲で発信したいときに発信できるのが一番だな~と思いました。

いつでも、読んでくださる方がいるnoteの世界は、とても優しくてありがたいです。引き続きまして、どうぞよろしくお願いいたします。

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