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interview Camila Meza - カミラ・メサ:この世の中の、できる限り最高に美しいバージョンを作り出すことに関しては、誰だって貢献できるはず

※記事に合わせてプレイリストを作ったのでBGMにどうぞ。

2019年10月にヴォーカリストでギタリストのカミラ・メサのインタビュー(2度目)を行った。それは以下のリンクで公開している。

この時は彼女が同年にリリースした『Ambar』についての話をしてもらい、サウンドの話だけでなく、メッセージ性の強い楽曲をカヴァーした意図についても語ってもらった。

彼女の言葉の中では

「政府が真っ先に攻撃するのはいつもアーティストだった。アーティストは真実を語ってしまうし、会話の口火を切ろうとするから。」

という言葉が強く印象に残っていた。

COVID-19禍の自宅で過ごしていた期間中にそのインタビューをウェブにアップしようと思って準備していたときに、その続きのようなインタビューをさせてもらえないだろうかと考えるようになった。

カミラ・メサは以前からインタビューで南米の音楽ムーブメントのヌエバ・カンシオン(Nueva Canción)トロピカリア(Tropicalia)に関わるアーティストについて語っていただけでなく、2019年10月、Instagramにチリのシンガー・ソング・ライターのヴィクトル・ハラ「El Derecho de Vivir en Paz」という曲を歌う動画をアップしたり、チリで起きた政権に抗議する大規模なデモをサポートするためのドネーション“Los Ojos de Chile” (The Eyes of Chile)をJazz Galleryでやっていた。そういったことについて一度、しっかり話を聞きたいと思ったことが大きかった。

ちなみに僕は2019年のカミラ・メサへのインタビューがきっかけで『Jazz The New Chapter 6』に軍事政権が樹立され、市民への抑圧、アーティストへの弾圧や検閲が行われた中南米の国々でアーティストがどんな表現をしてきたのかをまとめたコラムを書いていた。

チリでは1973年にアウグスト・ピノチェト将軍が軍事クーデターを起こし、軍事独裁政治を開始。そこでは彼らが左翼とみなした学生やアーティストなどを含めた多くの市民が監禁、拷問、殺害された。そのピノチェト軍事政権は1989年まで続いた。ちなみにブラジルでは1964年に、アルゼンチンでも1966年に軍事クーデターが起き、軍事政権が樹立されているし、同じようにペルー、ボリビア、ウルグアイでも軍事政権が樹立された。これらは共産主義政権の樹立を妨害するために裏でアメリカが軍部を支援し、軍事政権を援助していた事情もある。そういった状況下でブラジルではエリス・レジーナミルトン・ナシメントカエターノ・ヴェローソ、チリではヴィクトル・ハラなどのアーティストが音楽を通して政権に反発していた。彼らは検閲にあい、弾圧され、亡命を余儀なくされたものもいれば、ヴィクトル・ハラのように処刑されたものもいた。

以前からカミラ・メサにこういった状況を踏まえた上での中南米の音楽についての話を聞きたいと思っていたのもある。その上で、チリの大規模デモがあった際にアクティブに発言し、行動していたことや、そこで音楽がどういう意味を持ったのかについても聞きたいと思った。

それは最終的に、彼女が「自分の音楽の中に込めているメッセージ」についてや、彼女が考える「社会の状況とアーティストの表現の関係」についての話になると思ったのもある。日々に生活や自然の美しさを歌った民謡を採集して、それらをインスピレーションに政治的・社会的な問題へも言及する曲を作りだしたチリの先人たちから連なるアーティストでもあるカミラが考える政治や社会、生活や表現についての考え方についても知りたかったのもある。

今回のインタビューは2020年5月22日に行った。柳樂が質問を作って、それを通訳の染谷さんに渡して、Skypeで直接対話してもらった。染谷さんには質問に入る前に「日本でのアーティストと政治的発言の距離」、「日本でのmetoo」などについてや、この質問は5月の半ばに書いたので、その時期にあった「(検察庁法改正案への抗議運動やそこへの様々な反応など)最近の日本のSNSでの市民の運動について」など、現在の日本の状況についても伝えてもらった。

metooの話を伝えたのは、今まで僕が彼女に聞いてこなかった女性としての立場での話も聞きたかったからだ。このインタビューは彼女が影響を受けたと以前に語っていた様々なアーティストについて解説してもらうような質問で構成されているが、その人選や質問文の中にそういった意図を入れた。そもそもカミラ・メサが様々な女性アーティストへのリスペクトを度々語ってくれる人だったのもある。

彼女はその質問前の言葉にも真剣に耳を傾けてくれて、その上で「まず私の場合について説明しますね」という言葉から話し始め、ロングインタビューにじっくり答えてくれた。

質問作成:柳樂光隆 通訳・Skype取材:染谷和美 協力:CORE PORT

■カミラ・メサの「自分なりの考え」

私の場合は自分の国の政治の歴史に何らかの形で興味を持たない方が難しかった。独裁政権下で育って、まだ子供だったから具体的に起こっていることは理解していなかったにしろ、思想の弾圧、恐怖による支配、それが17年も続いたのだから、いつの間にか市民の心理に刷り込まれて当然のものになっていたことは、子供心にも大人達や社会全体の様子から感じていた。抑圧、というやつですね。事によっては面倒だから語らないようにしていたり、あるいは政治科学を勉強したわけでもない自分が世の中に対して物申す立場にはないと諦めてしまっていたり。私はそれに対して、かなり早くから反発を覚えていた。音楽に入れ込んだのもそんな抑圧から逃れたかったからだと思う。

特に、チリの60年代、70年代のフォルクローレ・ミュージック。私、ヴィクトル・ハラというシンガーの曲をいくつもカバーしているんだけど、彼の歌は正にそういった力に対する思いを一般大衆に意識させる役割を果たしていたんですよね。権力の現状を良しとしない、という思いを。結果、悲劇的にも彼は独裁政権によって殺害された最初のアーティストのひとりになってしまうんだけれど、それも含めて彼はチリのみならず南米にとって非常に象徴的な人物になった。南米にはよく似た政治的苦境にあった国が多いから、ブラジルやアルゼンチンにも権威的な力に対して声を上げたアーティストは多い。

そういうところから音楽に入れ込んでいった私にとって、音楽は実に多面的に人間の役に立てるもので、それは娯楽であり、感動であり、踊ったり、癒されたり、更には学ぶこともできたり、そういったものだった。音楽を通じて他の誰かの体験を知ることができたり、そこから自分なりの意見を形成して、同じものを聴いた人たちの思いが集まれば、人間性の高まりにも繋がるかもしれないし。それは政治的見解と言うより、こうすれば人間のためになるのではないか、という自分なりの考え、と言えるかも。

■エリス・レジーナのこと

――ここからはいくつかのアーティストについて質問させてください。ブラジルのシンガーのエリス・レジーナ(Elis Regina)には「O Bebado e a Equilibrista」(※邦題「酔っ払いと綱渡り芸人」)という軍事政権への抵抗のメッセージを含む有名な歌があります。あなたはシンガーとしてのエリス・レジーナからの影響を語っていますが、彼女の音楽が持つメッセージ性についてはどう考えていますか?

エリス・レジーナの場合、彼女はずっと政治的なスタンスが少し揺らいでいた。政府に対する強硬さが足りないと批判された時期もあったし、政府に雇われて軍隊の前で歌ったこともあったり、ちょっと迷いがあった人だった。でも、ブラジルで行われていた弾圧についてはっきり認識してからの彼女はものすごく強い決意を持って政府に対してものを言うようになり、強力な論者のひとりになった。お陰で大変な目にも遭っている。彼女やミルトン・ナシメントカエターノ・ヴェローソシコ・ブアルキ、といった人たちは皆、自分たちの使命というか「ここで黙っていてはいけない」と自覚していたと思う。要するに虐待なんだから、それに対して沈黙してはいけない、と。
ただ、そういうメッセージって、どうなんだろう、「政治的」と表現できるだろうけど、私はそれが正しい呼び方なのかどうかわからない。というのも、政治的見解って、人を分断することがあるでしょう? だけどアーティストは、アーティストというのは、うーん…。ある意味、私たち(のようなアーティスト)って「世の中を観察する人たち」でしょう? ちょっとしたことに気がついたり、様々な感じ方、考え方に触れてそれを言葉にする。つまり、当時のブラジルで彼らがやっていたことも、現実のスキャンニングだったんだと思う。つまり、真実を語る、ということ。だから時代を問わない、とも言える。

――その真実が権力者からすると知られたくないもので、だから「議論の口火を切ってしまうアーティストがまず攻撃の対象にされる」と前のインタビューでもあなたは言っていた。そこが読者にはとても響いたみたい。あなた自身、何かトラブルに巻き込まれたことは?

うーん、今のところは、だけど(苦笑)私の場合は個人レベルにとどまっているかな。私を個人的に知っている人は私のスタンスも理解してくれているけど、歌の中で個人的な見解や意見を公に表明すると、やっぱりいくらか緊張感が生まれることもある。でも私に言わせればそれこそが一歩前進。そこから意思の疎通が生まれて、異なる意見に触れることで、違ってもいいんだと思えるようになれば。私は別に、誰を説き伏せようとしているわけではなくて、私の私感を述べているだけ、あとはそちらの好きなようにしてちょうだい、って感じ。

――私感を述べることで受け止める側の意見が分かれ、ファンを失うことになる、というのも日本のエンターテイナーが政治的な意見をあまり言わない理由のひとつ。

わかる。私はかなり早い段階でそれを学んだつもりだけど、いまだに葛藤はある。特に年配の人達からは「政治に首を突っ込むな、音楽に専念しなさい」と言われがち。政治には手を出すな、音楽だけやっていればいいんだ、と。でもね、特に、ひとつの社会の運命において致命的な瞬間ってあるでしょう? 権力の座にいる人が決めたことが私たちのこれからの人生にずっと影響を与え続けることになる、というようなこと。しかも、それが極めて個人的な生活に影響が及ぶのであれば(致命的だと思う)。アンジェラ・デイヴィスが言うように「万事は政治的」なのだから。彼女の発言はフェミニスト・ムーヴメントから出たものだと思うけど、実際Everything is politicalだと思う。それを考えたら、「政治になんか下手に口を出したらダメ」なんて言っていられること自体が特権に近い。つまり、その人にとっては世界の現状が功を奏していて、制度に変更なんて一切求めなくていい、ということだから。例えば、今私がいるアメリカでは学資ローンの負債や医療費に苦しんでいる人が大勢いる。病気になっても医者に診てもらえない、子供を学校に送れない、その他諸々、移民問題は言うまでもない。こんなに問題だらけなのに、一部の人は「やめときなさい、政治に口を出すのは」なんて悠長なことを言っていられる。ただ、今は、たぶん歴史的にも初めてというくらい多くの人が影響を感じて目を覚ましているようだけど。

――ところで後ろで鳥が鳴いてる?

うん(笑)

――すごくきれいな声。

うん、すごくきれい。春が来た!って感じ(笑)

――あなたのアパートに?

いや、そうじゃなくて、実は今、ニューヨークじゃない。引っ越して、パートナーの実家に来てる。

――あ、そうなんだ。

うん、すごくラッキーなことに、ここは庭があって、そこに来る鳥が鳴いている。けっこう前に引っ越したのよ、実は。直感が働いて、ニューヨークは状況が悪くなりそうだったし、私たち揃って仕事が減っちゃって、このままここにいてもダメかな、と。そうしたら彼の両親が「こっちへ来なさい、使ってない部屋もあるし」と声をかけてくれて、以来こっちで暮らしてる。

――そうだったんだ。なんだろう、この音は?と思ってた。

(笑)大きな声でしょ?

――うん、大きい。羨ましいなあ(笑)

そちらは?

――東京の自宅。東京は完全なロックダウンというわけではなくて、買い物は普通に行けるし、相変わらず通勤している人もいるし、だからそんなに窮屈じゃないけど、私たちの家が窮屈だから(笑)

そうだよねぇ。ニューヨークみたいな感じでしょう?

――だと思う。

近くに公園は?

――まあ、緑はあるけど、セントラルパークってわけにはいかない。

(笑)

――それで、どこにいるのか聞いてもいい?

アメリカはアメリカ。でも州が変わって、ワイオミングって所。

――ワイオミング⁉︎

うん、何も無いけど(笑)

――まあ、現状、それもいいのでは?

うん(笑)

■ビョークのこと

――で、そのエリス・レジーナだけど、ビョークが彼女に触発されて「Isobel」を書いたんですって。知ってた?

(一瞬息を飲んで)知らなかった!それ、私もカバーしてる曲。どういう経緯か教えてくれる?

――わあ、ごめんなさい、詳しい話を聞いておけばよかったな。柳樂はあなたがビョークが好きで影響も受けていることを知っているから、あなたがカバーした曲「Isobel」がレジーナに触発された曲だと知っていたかどうかを知りたかったみたい。

わーーー、知らなかった!リサーチしないと!っていうか、今、ググっていい?本当だったら超クールなんだけど。

――あの曲にエリス・レジーナっぽさを感じる?

彼女の影響を、ってこと?うーーん、正直、感じてない…。でも、もしかしたらあるのかも。歌詞の一部とか、歌い回しの一部とか、逆に具体的に指摘してくれたら「ホントだ!」ってなるかもしれない。もしかしたら人物として影響されたのか音楽性なのかもしれないし。あ、ここに書いてあった!ホントだ!「彼女はこの曲をブラジル人シンガーのエリス・レジーナを聴きながら書いた」って!オーマイゴーッド!これって輪が繋がった感じじゃない?考えてもみてよ、私の大好きなシンガー2人、で、私があの曲を21才か22才の時にカバーした、それが今ここで急に繋がった!わーー(笑)最高。

――そこに具体的な影響も書いてある?

えぇと、あー、なるほど。また別の繋がりも見つけちゃった!たぶんビョークはそれ以前からエリス・レジーナを知っていたんじゃないかな。で、このアルバムのストリングスのアレンジを手掛けたエウミール・デオダートがブラジル人だから、一緒に色々聴いたんじゃないかな。あるいはサンプリングした、とかそういうことかも。

――面白いですねえ。

うん、これ、最高!ありがとう教えてくれて。後でちゃんと調べてみる(笑)

(※ビョークがエリス・レジーナについて語っているブラジルの媒体のインタビュー)

――それでビョークなんだけど、彼女も社会のこと、環境のこと、フェミニズムのこと、に音楽でどんどん言及している。彼女のメッセージやその発し方についてはどう思う?

ビョークの場合は、というかエリス・レジーナもそうだけど、2人とも反逆のアーティストという印象がある。レジーナで言えば、性格的なことのみならず音楽的にもボサノバ・シンガーの役割を拒んだ。典型的なあり方を期待されていたけど、それを完全に退けた。ビョークも同じ。彼女の場合は見た目からしてそうで、あのヴィジュアルに自分の内なる世界や見えているものを投影して世界に向けて表現している。衣装から、写真の撮り方から、発言から何から何まで。彼女はある意味、その存在自体が現実の向こうにある、私たちにはまだ見えていない世界を体現しているとも言える。歌詞的に明らかに政治的なことを歌っている曲があったかなって考えていたんだけど、というのも、彼女のメッセージは割と表面には表れていなかったり、行間を読まなければ伝わらない詩的な表現になっていたりもするから。

でも、彼女が書いた「Declare Independence」 という曲は文字通りの内容。この曲(でのパフォーマンス)でビョークがチベットを支持したことで中国のファンが怒ったことがあった。(上海で行ったライブで)独立宣言って名前の曲を歌いながら最後で「チベット!チベット!」って叫んだから。かなりリスキーなことじゃない?抑圧されたまま、人々の自由を尊重しない権力に屈してはいけない、という訴え。私自身はチベットと中国の間の政治的な事についてはよく知らないんだけど、つまりチベットは独立を求めているの?

――うん。宗教的な指導者のもとでもチベットは常に独立している、というのを対して中国は認めずに暴力に訴えている。

うん。この件は私もよく調べてみないといけない。ただ、よく知らないなりに漠然としたイメージで言うと、そういう自治とか自立というのはビョーク自身の考え方として常にあるものなんじゃないかな。自分のコミュニティとは無関係な、より大きな政府が勝手に決めたルールには従わなくていい、みたいな、そういう独立心。たぶんこの時の主催者や彼女の周囲の人たちも同じような考え方だったんじゃないか、と、でもこれは私の推測なので、もっと調べてみる。

一方では、彼女のディスコグラフィーを見ると、メッセージとしては大体が一体感や高揚感がある、とても普遍的なものが多くて、たまにこういう直球の曲が出てくるのが逆に目立つ。そういう意味ではすごく多彩な発信力のある人で、見ていて面白い。

■ヴィオレータ・パラのこと

――次はチリ人のヴィオレータ・パラ(Violeta Parra)。1940-60年代に彼女が成し遂げたことは女性であったことも含めて、とても大きい。

Oh Yes!

――女性としてチリ人としてアーティストとして、彼女について思うことは?

彼女はもう火であり、水であり、空気であり、命の力(force of life)。あなたが言った通り、彼女は他の誰もやっていなかったし、やっていた人がいたとしてもごくわずかだったことをやっている。彼女は辺境に自ら分け入って、現地の音楽家たちと対面して、曲を教えてもらった。いわばチリの民族音楽の研究者だったわけで、彼女がいなかったら私たちの伝統の多くは恐らく失われていたはず。当時は誰も気にしていなかったことだけどね。それを成し遂げたのが彼女で、しかもその過程でチリ各地の人々の現実に触れて学び、間も無くしてその一部始終をインスピレーションとしてオリジナル曲を書くようになる。

それに彼女もやはり現実の観察者であり、本当の事実を語り、正義を訴える人だった。例えば、チリ南部の原住民マプチェ族と一緒に曲を書いて、彼らに対する不当な扱いを歌った(※おそらく「Arauco Tiene Una Pena」という曲のこと。この曲はロバート・ワイアットのカヴァーでも有名。昔はアラウコ族と呼ばれていたが現在は軽蔑的な言葉として使われなくなって、マプチェ族と呼ばれている)。
あとは政府に対しては、ワォ、これって連綿と続く題材で、前世紀からずっと続いていること(苦笑)。当時の政府も貧しい人たちを押さえ込む形で支配していたし、チリでは実は今もそういう状況があって、本当に酷い。彼女はそういう現状や意見を正面切って訴えても、何の問題にもならなかった。だから彼女に刺激を受けた人は数知れず、彼女が集めた大量の音楽は、当時のミュージシャンはもちろん、後続の世代にも計り知れない影響を与えた。いわば、オフクロさん=Big Mamaって感じ(笑) 私も、彼女の話や演奏を聴いた。

あ、あと彼女は、刺繍によるテキスタイルの素晴らしい作品を残している。正にアーティスト。彼女は完全なるアーティストだった。

――女性が何か前例のないことをやるとなったら大変だと思うけど。

もちろん反感を買ったことはあるでしょうね。「何様のつもりだ」みたいな。彼女って自信に溢れた、すごく強い人だったから、「すみません、お邪魔していいですか?」というタイプではなかった。例えば彼女、後にパリに数ヶ月滞在した時もあのルーブル美術館に作品を売り込みに行ってる。「私を止めるものはない」って感じでしょ。チリの音楽を生かし続けることに対しても同じで、取り憑かれたようにやっていたわけだから、きっとその間には考え方からして受け入れてもらえないことはあったはず。それでも頑張り続けた。しばらくして自分が望む空間を手に入れたけど、そこに至るまでにはかなり闘わなければならなかった。

生活費を稼ぐために一時期は子供を置いて働きに出たりもしていたようで、それが50年代のこと。想像つくでしょ?彼女が世間から何を言われたかなんて、考えたくもない。「なんてこった、よくもそんなことを!」ってなったんじゃないかな。あれだけのことができた裏では、相当な葛藤があったに違いない。そもそも悩み多き人生だった。最後は自殺だし、彼女の人生はかなり色々あった。でも、彼女が残したものは計り知れない。素晴らしい芸術を残してくれたおかげで、チリだけではなくあの大陸全部が彼女に感謝してる。

―― ヴィオレータ・パラの曲で特におススメの曲があったら教えてもらえます?

ひとつはラテンアメリカでは賛美歌のように親しまれていて、たぶん聴けばわかる人も多いはず。「Gracias a la vida」。意味はThanks to Life(※邦題は「人生よありがとう」)。
もうひとつはあまり知られていない曲もあげておきたい。というか、これはソングとは言わないかな、どう説明したらいいんだろう。フォークロア・ニューミュージックとでも言うべき12分の長尺作品で、当時としてはものすごく印象的な音楽的要素を用いて作られた、いわばクラシックや、現代音楽の、という感じで表現するための言葉か見つからないんだけど(笑)、20世紀のコンポーザーって感じのヴァイブス。タイトルは「El Gavilán」。これは彼女の全く違う側面が表れた曲で、ちょっと怒ったような感じで、とにかくクレイジー!(笑)彼女の両面がわかるように、その2曲をお勧めしておく。どれだけ幅広く多彩で深い人だったかを理解してもらえるように。

■ヴィクトル・ハラのこと

――では次の人物。さっきも話に出たヴィクトル・ハラ(Victor Jara)。あなたは彼が歌う「El Derecho de Vivir en Paz」(邦題「平和に生きる権利」※日本でも大友良英のグラウンド・ゼロやソウル・フラワー・ユニオンらがカヴァーしている名曲)をInstagramにアップしてましたね、チリの大規模デモの時に。

うん。

――あの曲がチリの人にとってどんな意味を持っているのか教えてください。

それにはまず、当時の状況を少し説明させてほしい。あの映像を私が投稿したのは2019年10月の初めで、その時期はチリの人たちが言う「チリ社会の目覚め」的なムーヴメントが始まった頃だった。体制による虐待に耐えきれなくなった人たちが占める割合が、かつてなく大きくなっていた。だから、正にさっき話したように、経済的にも苦しいし、とにかく現体制は自分たちのためにならない、とみんなが感じていた。きっかけになったのは、繰り返し地下鉄の運賃が値上げされたこと。その値上げ幅なんて、アメリカで言ったら50セント、いや、もっと少なくて、30セントとか。だけど!だけどね、みんな沸鍋の中にいるような状態だったから、あともう少しでも何かあったら爆発してしまうみたいな状況で、実際、チリの人たちはその値上げがきっかけで爆発したわけ。見えている部分は氷山の中のごくわずかな一角で、そのてっぺんがたまたま地下鉄の値上げだったけど、その氷山を掘り下げたら教育や医療や老齢年金の崩壊といった問題が積み重なっている。政府は国民に必須のものさえも金儲けの道具にすることしか考えていない。といったことが相まって、数千人が街に繰り出し、とても組織立ったムーヴメントが生まれていった。
最初は学生、そして教員、やがてありとあらゆる人が街に出て、それを迎え撃ったのが、何だと思う?私たちチリ人のDNAにはいまだにあの独裁政権時代の大いなる抑圧の記憶が残っていた。文字通り、40年遡って70年代に逆戻り。警察による非道や、実際に拷問された人もいたりで、とにかく酷くて、どうしようもなく間違っていた。群衆の側の要求は文句無しに理解できるものだったのに(苦笑) 政府には対話を始める意思が無く、弾圧は酷くなるばかりな状況の中であの「El Derecho de Vivir en Paz」が誰からともなくまた歌われるようになった。今この瞬間を讃える賛美歌のような感じで。革命、と呼んでもいいと思う。この曲名は“Right on Live in Peace〜幸せに生きる権利”という意味なんだけど、警察から散々暴力を振るわれる中で誰もが訴えたかったメッセージがあの曲にはあったわけ。というのが、私があのビデオを投稿した経緯。本当に皆んなが歌っていたし、その後も歌い続けられている曲だから。

――ヴィクトル・ハラの曲に底通するメッセージって、ありますか?

極めて一貫性があったと思う。それは彼のミュージシャンとしての役割にも近いのかも。彼はミュージシャンであり、俳優でもあり、その他の芸術にも深く関わっていた人だけど、メッセージを伝えるという点では音楽をその術として使っていたように思う。彼の音楽は、ただの音楽以上の、例えば手紙を書くかのようにメッセージを届けるための音楽であり、社会に送り届けて、啓発するためのような音楽だから。

「Manifiestp」
という曲の一節に “I don’t sing just for singing, I sing because the guitar has sense and reason (ただ歌うのではない、ギターが宿す意思と理性が故に歌うのだ)”というのがある。ただ音楽をやっているのではなくて、彼には大きな使命があり、それはメッセージを人々に送り届けて彼独自の世界観で啓蒙することだった。彼にとってのそれはそのまま、人々が目指すべきところであったわけだけど。

――ヴィオレータ・パラやヴィクトル・ハラたちによるムーブメントのNueva Canciónがチリの音楽や文化に与えた影響と、その魂を受け継いでいる今のアーティストで、あなた以外にお勧めがあったら教えて欲しいです。

その伝統を引き継いでいる若いフォルクローレ系のシンガーやミュージシャンは大勢いるけど、私は自分では、その影響も受けているけど影響の幅はそれにとどまらず遥かに幅広いから、あのムーヴメントの一員とは自認してはいない。あの伝統には大いに敬意を払って、音楽的にも知性としても影響されているのは間違いないけどね。今の若手で火を灯し続けている人はいて、ナノ・スターン(Nano Stern)は今この時代のことを曲に書いている。

■メルセデス・ソーサのこと

――では次はメルセデス・ソーサ(Mercedes Sosa)。あなたがカヴァーしている「La Pomena」「Poema 15」はメルセデス・ソーサも歌っている曲です。彼女はチリではなく、アルゼンチンの人。彼女に対してはどんな思いが?

メルセデス・ソーサは「ラテンアメリカの声」みたいな人。南米の曲を幅広くレコーディングしていて、そっち系のレパートリーを検索したら恐らくまずは彼女のバージョンと出会うことになるんじゃないかな。とにかく声が美しくて力強くて、南米の魂の核になる部分を体現しているとでも言えそうな声。彼女のバージョンを通じて特定の曲を理解し始めることが多いと思う。同じ言い方の繰り返しになるけど、彼女も間違いなく音楽における偉大なる力であり、同時に結束ももたらした。ある意味、南米の音楽を彼女がひとつにまとめたようなところがある、と私は思う。あくまで私見だけど。
そういえば、さっき話したヴィオレータ・パラの「Gracias a la vida」もメルセデス・ソーサがカバーしたことで南米の他の国にも伝わった、と私は確信してる。そして彼女のバージョンを通じて賛美歌のように歌われるようになった。とにかく心の美しい人で、自分が引き継いでいる遺産を心から誇りに思っている。そして、とても多作で、でも南米の伝統にきちんと敬意を払っていて、それを生かし続けることに意識的だった人。だから私は、何か南米の音楽を聴いてみたいと思う人には必ず彼女のアルバムを勧める。彼女の時代に南米でどんなことがあって、人々が何をしていたかの全体像が掴めるから。

――アルゼンチン人だったけど、チリでも歓迎されて評価されていた、ということですか?

その通り。皆んながメルセス・ソーサのことが大好き。皆んながね。

■自然・環境についての曲を歌うこと

――あと、聞きたいのが、あなたが自然にまつわる歌をよく選んで歌っている、ということについて。ヴィクトル・ハラ「Lucin」、ジャヴァン「Amzon Farewell」、ミルトン・ナシメント「Milagre dos peixes」など、自然讃歌のような曲を取り上げています。それには何かきっかけが?

強いて自ら名乗るなら私は自然の代弁者なんだと思う、何よりも先に。どんな話をするにしても、例えば「さあ、これをどう組織しようか」「あの体制を倒さなければ」「この体制と闘わなければ」と言ったところで自然がそこに無ければ、健全な地球が存在していなければ、どんな対話も虚しいじゃない? 人間の考えることはどれもこれも、まず地球をどうするかを語った上でなければ私には空論に思える。7年ぐらい前に「Amzon Farewell」という曲を発見するまでは、私は自分が歌うべきことや語るべきことが何かあるはずなのに、それが何で、どこでどう歌ったらいいのかわからずに混乱して、すごく居心地の悪い思いをしていた。
そんな時にベティ・カーターがニース・ジャズ・フェスティバルで「Amzon Farewell」を歌うビデオをYouTubeで見た。私は迷いの中でたまたまあのビデオと出会って、もう電流が走った。音楽的にも素晴らしかったけど、彼女が訴えていることを理解したら、本当に全身がビリビリするような感覚で泣きそうだった。「あぁ、これはものすごく力強くて、ものすごく重要で、ものすごく目的意識があって、必要なものだ」って。あの時の私は、そういう主張をしている人の声を聞く必要があったんだと思う。そして混乱を極めていた私の気持ちに訴えかけてくるものにようやく出会えた。個人として、人間として、あるいは人間性に照らして、「我々は地球に何をしているんだ、人を移住させてどうしようというんだ」と、聴く側の内面を問われるようなストーリーを伝えてくれる歌。あれで迷いが晴れた。それこそ天啓というか。私の心の掲示板にそれをしっかり書き留めた。
そしてご存知の通り、ここ10年は、この星をこの勢いで破壊していったら人類はあとどれだけ生きていけるのか、という議題が公に上るようになり、どんどん一般に認識されるようになって、今となっては何よりも優先的な対応が求められている。というか、今そんな話を始めても手遅れに近いわけで。特にあの曲は「皆んな聞いて、お願いだからこのことに注目して!」と訴えかけたい私の欲求に火を付けたと思う。

――今度はその曲の自分のバージョンで更にメッセージを届けていく、と。

その通り。

――ちなみにあなたを起用しているファビアン・アルマザンライアン・ケバリーも社会的な意識が高い人たちで、メッセージ性のある音楽を作っていますよね。ファビアン・アルマザンは自身が運営するBiophiliaレーベルの運営でも環境問題への意識を示している。

そうですね。同じような意識で音楽をやっている仲間に囲まれていることはすごく重要だから。コラボレーションはお互いの思いを共に音楽に表現する作業で、いわば世の中を見る時の心の震え具合が似た者同士が集まって作ってこそ音楽の推進力は増す。もっと良い世の中にしよう、という(思い)、ですね。

あと、これはミュージシャンに限らず何かを創作する人は皆んなそうだと思うんだけど、私たちは存在しないものを生み出すことをしているわけでしょ?まだそこに無いものを。でも考えてみてほしいんだけど、どんな人でも自分の中だけに存在するものを表に出して他の誰かに伝えれば、それは今まで無かったものを生み出したことになる。つまりは誰だってクリエイターだってこと。私が伝えたいメッセージはそれ。皆んなが力を合わせれば作り出せるはずの美しい現実を、皆んなが思い描けば、それは叶うってことを伝えたい。叶うんだって信じる力を忘れてしまっているだけだってことも。

アーティストとして私は、ちっぽけだけど自分の意識の中から掘り起こした種を撒いている。これも誰でもできること。この世の中の、できる限り最高に美しいバージョンを作り出すことに関しては、誰だって貢献できるはずだと思うから。
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インタビュー記事に加えにくいけど、書いておきたいことがあったので、有料部分にちょっとだけですが書いておきます。大した話じゃないですがよろしければ。

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