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interview Kibrom Birhane:エチオピア由来の音階・リズム・楽器で作る21世紀のエチオ・ジャズ in LA

エチオピアン・ジャズ(=エチオ・ジャズ)のレジェンドのムラトゥ・アスタトゥケ(Mulatu Astatke)の存在はクラブシーンを中心に世界的に何度かの再評価がされていて、フジロックにも出演したり、その人気は日本にも波及していた。

近年はエマホイ・ツェゲ=マリアム・ゴブルー(Emahoy Tsegue-Maryam Guebrou)ハイル・メルギア(Hailu Mergia)マームード・アーメッド(Mahmoud Ahmed)と言った名前も知名度上げつつある程度には徐々に認知が進んでいる。

そんなエチオピアン・ジャズに関して2010年の半ばから面白い動きがあった。LAのジャズ・シーンでエチオピアン・ジャズが演奏されていたのだ。これまでの再評価はあくまでもDJ的な関心のイメージが強かったこともあり、その再評価の中心はロンドンだったが、それとは別の文脈でLAのミュージシャンがエチオピアン・ジャズに取り組んでいるようだった。

僕がLAでの動向に気付いたのはデクスター・ストーリー(Dexter Story)というアーティストがエチオピアン・ジャズの要素を取り入れたアルバム『Wondem』をUKのSoundwayからリリースしたのがきっかけだった。デクスター・ストーリーは2019年には『Bahir』をリリースして、そこでもエチオピアン・ジャズを取り入れていた。

他にもタミール(Te'amir)が2019年にTru Thoughtsから『Abyssinia & Abyssinia Rise』をリリースした。これもエチオピアン・ジャズの要素がかなり聴こえる作品だった。

なぜ、LAでエチオピアの音楽を取り入れた作品が出ているのだろうと思っていたら、『Heritage』というアルバムをリリースした直後のマーク・ド・クライブロウがLAのトランペット奏者トッド・サイモンが結成したエチオ・カリ(Ethio Cali)について教えてくれた。そして、そのエチオ・カリの最初期メンバーにはカマシ・ワシントンがいて、そのエチオ・カリに後から加入してメイン・コンポーザーになったのが前述のデクスター・ストーリーだということなど、マークの話から一気に解明された。

そして、もともとはLAのDJやレコード・コレクターのコミュニティの間での再評価されたのではないかという話も納得できるものだった。それが2010年の『Mochilla Presents Timeless:Mulatu Astatke』として、LAのミュージシャンとムラトゥ・アスタトゥケの共演作品の形で結実している。ここに参加していたのがカマシ・ワシントンのバンドのブランドン・コールマンであり、トニー・オースティン、そして、ブレイン・フィーダー周りの弦アレンジを一手に引き受けるミゲル・アトウッド・ファーガソン。更にそこにいたのがトッド・サイモンだった、というわけだ。

そんなLAのシーンではアメリカ人たちが主役かと思いきや、そのコミュニティの中にはエチオピアの実力派がいて、彼が大きな貢献をしていることがわかってきた。それが本作の主役カブロン・ベリャナだ。エチオピア出身でLAに移住して活動しているこの鍵盤奏者は2014年から2枚のアルバムと2枚のEPを発表。エチオピアン・ジャズを独自の方法で追求している。そんな彼はエチオ・カリのメンバーであり、デクスター・ストーリー『Bahir』にも起用されている。明らかにLAエチオピアン・ジャズのキーマンなのだ。

2022年、カブロンが『Here and There』を発表。アナログのテープ録音で作った質感と、ジャズファンクやソウルジャズをベースにしたグルーヴとエチオピアン・ジャズを融合した作品で、LAジャズ・シーンのセンスとエチオピア人ならではの感覚が共存している。明らかにLAでしか生まれえないサウンドだ。

ここではカブロンのキャリアを追いつつ、エチオピアン・ジャズについての質問も聞いている。エチオピアの音楽の入門として読めるものにもなっているはずだ。

取材・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美 協力:江利川佑介(Disk Union)

◉エチオピアで学んだこと

――まず、エチオピアでどんな形で音楽を学んできたのか、から聞かせてください。

僕は2011年に学校で学ぶためにLAに移住したんだ。生まれも育ちエチオピア。首都アジス・アベバから少し離れた町で生まれたけど、10年間くらいは学校に行くためにアジス・アベバに住んでいて、そこでピアノを学んだり、ライブをやったりしていた。だから、自分のバックグラウンドにはエチオピアがある。

それに子供の頃からエチオピアの伝統的な楽器や歌に親しんできたし、それらを身に着けてきた。例えば、エチオピアの音楽のスケールは私にとって身近なもの。エチオピアにはバッハ以前の時代(6世紀)にすでにメロディーを書いて、作曲をして、それを独自の方法で譜面やチャートのようなものを残していたSt.Yaredという人がいた。僕は彼のテクニックを12歳のころから学校で学ぶことができたんだ。それはとてもラッキーなことだったんだけど、その意味がわかるのはもっと後になってからだった。西洋の音楽について学んだあとで、ようやく自分が元々親しんできたエチオピアの音楽の音楽の素晴らしさに気づくことができたから。それ以降は、スケールやメロディなど、エチオピア由来のすべて取り入れて自分の音楽作りをやっている。今の僕の音楽のメインはエチオピアのメロディやスケールになっていると言えると思う。

――エチオピアにいたころにメカネ・イェスス・スクール・オブ・ジャズ・ミュージック  (Mekane Yesus school of Jazz music)で音楽を学んでいたとバイオにも書いてありますが、そこではどんなことを学んでいたのでしょうか?

メインはアメリカのジャズ。いわゆるスタンダード・ソングを研究したりしていた。そこではエチオピアの伝統的な楽器を学ぶ機会もあって、それがメジャーの専攻だったんだけど、マイナーの選考に関してはピアノ・パフォーマンスを学んでました。その後、アメリカに留学して、更にジャズを学んだって感じですね。特に研究したものってことだと、明確に言えるのはムラトゥ・アスタトゥケ。他にはジャズで言えば、ハービー・ハンコックセロニアス・モンク。そして、キース・ジャレットマッコイ・タイナーバリー・ハリス。ハービー・ハンコックからはものすごく影響を受けている。彼のプログレッシブなアイデアは素晴らしいし、『Headhunters』は言うまでもなく、あらゆる時期の音楽がすごいよね。僕はずっと彼の音楽を聴いて学び続けていると思うよ。

――バリー・ハリスはどんなところが?

彼のハーモナイズのコンセプトは素晴らしいんだ。本も読んだし、ヴィデオも見たし、彼のことはすごく研究した。バリーはハーモニー的にエチオピアの音楽のことも研究していたんじゃないかなって思う。僕は五つしかない音でどうやってスムースなヴォイシングを行うことができるかってところを追求してるんだけど、そのアイデアは間違いなくバリー・ハリスからのインスピレーションだと思う。

◉影響を受けたエチオピアのミュージシャン

――他にはエチオピアのジャズで研究していたアーティストは誰かいますか?

特別な人は2人いる。1人はGirma Beyene。彼はムラトゥとも活動していて、コンポーザーとしても優れていた人だね。

そして、Hailu Mergia。今となってはレジェンドって扱いで世界的にも人気になっているよね。実はHailu Mergiaとは6月にLAで共演するんだ。

もう少し若い世代だとAbegazu Shiotaが素晴らしいね。彼は日本とエチオピアのハーフ。ピアニストでもあり、優秀なコンポーザーでもある。バークリーに留学していたことがある人で、演奏だけじゃなくて、アレンジとか、作曲とかでも忙しく活動している。Admasってバンドで知られていて、The Sounds Of Contemporary Ethiopian Musicを手掛けたのは彼だね。

――LAに行く前には首都アジス・アベバのシーンでも活動していたんででしょうか?

もちろん。エチオピアン・ジャズだけじゃなくて、西洋的なジャズも演奏していた。さっきも名前を出したAbegazu Shiotaとか、彼と一緒にやっていたベーシストのHenock Temesgenとか、他にもバークリーに留学経験のあるミュージシャンたちを中心にけっこう大きなシーンがあるから。僕みたいな若手でも週に5,6日は演奏の仕事がある程度の規模だね。大学2年からライブのシーンに入っていって、そこから5年間くらいずっとそこで活動していた。

◉LAでエチオピアの音楽を演奏していること

――では、次はLA移住後について。LAの大学ではどんなことを学んでいたんでしょうか?

通っていたのはLos Angels College of Musicで、学んでいたのは演奏じゃなくてプロダクションとサウンド・エンジニアリング。当時、大学にピアノ科がなかったから、ピアノを学ぶことはできなかったんだよね。だから、ピアノに関しては現地の様々なアンサンブルに顔を出して演奏していた。そうやって、学外で様々なバンドで演奏をすることで、様々なジャンルを演奏できた。それに教会でも演奏していた。やってきたもの全てを自分のものにしていって今に至るって感じかな。

――教会っていうのはいわゆるブラック・チャーチですか?それともLAにもエチオピア正教の教会があったとか?

どちらでもなくてナイジェリア人の教会だったんだよね。そこではアフリカン・アメリカン系の音楽を始めとした西洋の音楽を中心に演奏してた。でも、その中には西アフリカの音楽も、アフロビートもあるって感じで、教会ではいろいろ演奏できたんだよね。

――LAのミュージシャンのいろんなアルバムにされていますが、LAのシーンに入っていけたきっかけはありますか?

Meklit Hadero(エチオピア出身、LAで活動するSSW)の伴奏の仕事は大きかったね。彼女は大きな会場でもコンサートをやっていたから、僕のキャリア・オープニングになったと思う。

でも、最も大きな経験になったのはエチオ・カリでの活動だね。エチオ・カリにはカマシ・ワシントンも参加していたし、メンバーにはマーク・ド・クライブロウデクスター・ストーリーもいたから。

エチオ・カリには大学でエンジニアリングを学びながら、演奏できる場所を日々探しまくっていたころに出会ったんだ。彼らがアフリカのジャズやエチオピアン・ジャズを演奏しているのを知って、僕の方からコンタクトを取ったんだ。そしたら、彼らも僕の背景を知ってすごく興味を持ってくれてね。当初のエチオ・カリのピアニストはマーク・ド・クライブロウだったんだけど、彼自身のツアーが始まって忙しくなってしまって、彼らはその代役を探していた。その時に僕が代役を務めたらいい感じで、そのままバンドの一員になることができた。僕にとっては自分の背景にあるエチオピアの要素を思いっきり表現することができるのがすごく良かったし、エチオ・カリに参加したことで僕の世界がすごく開けたのも良かった。LAのBlue Whaleみたいな素晴らしい場所で演奏することができたし、フェスにも出られたしね。

――なるほど。

エチオ・カリはミュージシャンが全員が敏腕だったし、それぞれが自分の役割をきっちり演じているグループ。それに10年以上活動していて、ちゃんと勉強をしていて、彼らなりの解釈でエチオピアの音楽をやっているので、僕は最初に観た時から素晴らしいと思っていた。彼らはハイル・メルギアマームードアーメッドムラトゥ・アスタトゥケのアレンジを研究して、それをきちんと演奏していたりもするから。

僕は自分で自分の音楽のプロダクションをする活動をずっと続けていた。それは出来るだけコストをかけずに自分のアルバムを作るって部分で必要なことだったんだけど、エチオ・カリの活動もあってレーベルの目にも止まって、実際にアルバムを制作することになり、今回はアナログ・レコーディングで、しかもテープ録音で制作することも可能になった。だから、出会ってきた人すべてがあっての今の僕だなと思うよ。

――LAってエチオピア人コミュニティがあって、エチオピア移民が多く住むリトル・エチオピアって地域もあると思うんですけど、それはあなたの活動には関係していますか?

そういうコミュニティがあることは助けにはなっていると思う。ショーをやるってなれば、エチオピア人だってことで見に来てくれる人もいたし、サポートしてもらえたりってことはあったとは思うよ。

◉1stアルバム『Kibrom's Tizita』のこと

――では、ここからはあなたの作品の話を聞かせてください。2014年にリリースした『Kibrom's Tizita』はエチオピアの音階Tizitaをタイトルにも入れています。これはどういうコンセプトだったのか教えてもらえますか?

2011年にLAに来て、アパートで一人で作曲をしたりする中でノスタルジアが感じられて、メロウなサウンドになっていった。それはエチオピアでのいろんな思い出や、故郷へ思いを表現したかったから、だと思うんだ。それがコンセプトだね。

――『Kibrom's Tizita』には詩編を意味する「Psalm」って言葉が入った曲が2曲あります。エチオピアにはキリスト教の中でも特殊なエチオピア正教会があって、それが音楽にも深く関わっていると思います。その部分はあなたの音楽にどう影響していますか?

歌が関連していて、さっき言ったような感情を伝えたいと思ったときに、自分が子供時代に自然に学んでいたものを反映しようと思ったんだ。今でこそCDだったり、様々な方法で音源を聴くことができるわけだけど、昔から田舎の方で先生とされる人たちは音源なんてない中で、口と音で伝えられてきたものを耳で聴きとって、それをまた次の人たちに伝えてきた長い歴史がある音やフレーズがある。自分はそれを自然に触れることができたし、身につけることもできた。そういうものを自分が歌を歌うにあたって取り入れようとしたので、そういった宗教音楽からの影響も大きくなるよね。

◉エチオピア音楽の4つの音階について

――さっきも音階って話をしましたが、2018年のEP『Ethio-Qignet』では収録されている4つの曲名がすべてエチオピアの音楽における主な音階の名前です。これはどんな作品ですか?

エチオピアで使われる四つの音階Tizitabatiambasselanchi hoyeはすべてペンタトニック。エチオピアの音楽はメインはペンタトニックなんだ。

僕はエチオピア出身の若手ミュージシャンだって自覚を持っている。だから、5年、6年をかけて、エチオピアの音階やハーモニーを学んでいて、自分なりにその理解を深めながら、そこにジャズの理論や演奏手法を融合させて、最終的にはジャズのプレイとして聴かせるものにしたいってのが今、僕がやっていること。それによって世界に向けてエチオピア音楽の特徴をわかりやすく伝えたいと思っている。エチオピアの要素を混ぜ込むながら、耳には優しくて、自然に聴けるけど、実はそこには正統派のエチオピア音楽の音階が含まれている、みたいなものを作ろうとしているんだ。

そこに他のエチオピアの伝統楽器も加えたり、歌を歌うにしてもエチオピアの伝統的なチャントを入れたり、モダンなサウンドとの融合はいろいろ試しているよ。例えば、弦が一本のエチオピアの伝統楽器Masenqoを持ち込んでみたりもしている。Masenqoはチェロとかヴィオラにも近いけど、一弦なので特徴的な音が出るんだ。

4つの音階に関してはエチオピアの独特のもので、その音階を強調したいとは思ってい。例えば、Batiは日本の伝統的な音階とそっくりだって話もあるから、そういう色んな側面を活かしつつ、届けていたらなって思ってやってるよ。

――例えば、ムラトゥ・アスタトゥケTizita音階をかなり使っていて、それを冠した曲もやっています。Tizitaにはジャズやファンクとの相性の良さがあるんでしょうか?

ペンタトニックのメジャー・スケールなので、いわゆるモダンジャズで使われているものと同じ。だから、コードの変化に合わせてメロディーを乗せやすいって意味でTizitaが多用されんだと思う。エチオピアのポップ・ミュージックでもTizitaはずっと多用されているからね。

でも、僕は『Here and There』でも四つの音階すべてにフォーカスしているんだ。例えば、anchi hoyeはセミトーンでディミニッシュのサウンドが鳴っているので、それを活かしてみたいって思ったりね。そんなことを考えていたので、『Here and There』ではBatiは3曲、ambasselは2曲、anchi hoyeは3曲って感じで、全て並べると、僕のアルバムではTizitaはそんなに使わずに作っていたりもする。いろんな方向へ広げていきたいと思っている。

――じゃ、どの曲がどの音階か教えてもらえますか?

01. Merkato  bati
02. Weleta  ambassel
03. Enate  anchi hoye
04. Ethiopia Bati
05. Mender Tizitaのマイナー
06. Digis  anchi hoye
07. Maleda  Tizitaのマイナーとbatiのマイナー
08. Pendulum  Tizitaのマイナー
09. Tinish Tinish  anchi hoye
10. Circles  Tizitaのマイナー
11. Abetu  anchi hoye

◉エチオピア音楽のリズムについて

――ありがとうございます。エチオピアには独特なリズムもあると思いますが、リズムに関してはどうですか?

エチオピアでは6/8拍子が伝統音楽でもポップ・ミュージックでもよく使われる。これはChikchikaって呼ばれているリズム。

他には5/4拍子もある。北部に住んでいる部族はあらゆるリズムを5拍子にしているんだ。

他にはGurageってリズムもあって、それはすごくファンキーな音楽をやる部族のリズムだね。

僕は2016年の『Time for Everything』ではエチオピアのリズムにフォーカスしたんだ。6/8拍子のChikchikaをかなり使ったし、そこでは6/8に他のリズムを組み合わせて、ポリリズムにしたり、いろんなことをやっているよ。

――なるほど。

そんな感じでリズムに関しては前作でがっつりやったので、2022年の『Here and There』ではメロディにフォーカスしてる。リズムはグラウンドビート的に鳴らしておいてって感じ。でも、そこには6/8も少しあるんだけど、基本的には4/4を使うようにしている。『Here and There』ではエチオピアのリズムを強調せずに、多くの人に馴染みのあるリズムを使いつつ、エチオピアの要素を楽しんでもらえるようにしたいと思ったから。そこにはメディテーション的な雰囲気もあったりね。例えば、「Digis」って曲があるんだけど、これは正に儀式を意味する言葉を曲名にしているんだ。

――メディテーションって言葉も出ましたが、『Here and There』のレーベルの資料にはスピリチュアルジャズって言葉で紹介されていたりもします。エチオピアン・ジャズとスピリチュアルの相性の良さってずっと指摘されていますが、あなたはどう考えますか?

おそらく相性はいいんだろうなって思う。メロディが深いところで伝統に根ざしているところはそうなんじゃないかな。『Here and There』に関しても、昔からある伝統的な歌に通じるものをLAの優れたミュージシャンと一緒にレコーディングして広く伝えていくってことはスピリチュアルなことだと僕は思うしね。例えば、ジョー・ヘンダーソンと通じるって意味だと「Circle」がそうかなと思う。インスピレーションはエチオピアからきている曲だけど、ファラオ・サンダースジョン・コルトレーン『A Love Supreme』とも繋がるところがあるのは感じられるよね。エチオピアの音楽って理論を踏まえたものではなくて、家族や、友達の家族、もしくは村の人たちを通じて、耳で聴いて耳で覚えて、それを伝統楽器を使って演奏するって感じで連綿と伝わってきたもの。その伝わり方だってスピリチュアルな在り方だしね。

◉現代のエチオピア・ジャズの重要人物たち

――『Here and There』にはエチオピアのベース奏者Misgana Mulatが参加しています。彼に関しては日本から情報を得るのが難しい。彼について教えてもらえますか?

エチオピア出身でLAを拠点に活動している。彼はMahmoud Ahmedのバンドでの演奏でも知られてるレジェンドなんだ。彼はすごく若いころからTVにも出てて、エチオピアのあらゆるミュージシャンと演奏しているはず。こっちに来た時にLAに彼がいるって思って、僕からコンタクトを取ったんだ。

――彼に限らずエチオピアには素晴らしいミュージシャンが他にもいると思います。何人か挙げてもらえますか?

前述のベーシストのHenock Temesgenはやっぱりおススメ。

それにGirum Gizawも素晴らしいギタリストだね。

Teferi Assefaはエチオピアの古い音楽を研究していて、エチオピアのリズムを取り入れて、すごく面白い音楽をやってる。そのうち、彼のアルバムが出ると思う。彼は僕の『Time for Everything 』に参加してて、「Bo Gizzae Lekulu」とか何曲かで一緒に演奏しているよ。

Samuael Yirguは素晴らしいピアニストで、ピーター・ガブリエルのレーベルのReal Worldと契約してる。彼のアルバムもおすすめだね。

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