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Interview Pasquale Grasso - Be-Bop!:パーカー、ガレスピー、そして師バリー・ハリスに捧げたビバップ曲集

まるでピアノを弾いているような音をギターで奏でるギタリストとして、シーンに衝撃を与えたパスクァーレ・グラッソ。

圧倒的なテクニックが注目されるパスクァーレだが、そのテクニックは彼が憧れるアート・テイタムやバド・パウエルの表現をギターで挑むために必要なテクニックであり、ある意味ではピアニストの2本の手をギターに置き換えるための最小限の、同時に機能的な演奏手法でもある。パスクァーレはそんな自身の想像上の音楽を具現化するために新たな奏法を開発し、それに合うサウンドを作り上げたわけだ。

2019年以降、アルバム、もしくはEPの形でバド・パウエル、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、そして、デューク・エリントン、そして、数多くのスタンダードを取り上げてきた。そのどれもが既存のジャズ・ギターではなく、新たな方法論での演奏だった。

パスクァーレ・グラッソが面白いのはその新しさを見るからに新しい音楽として聴かせるのではなく、むしろ懐かしく、ノスタルジックな音楽として聴かせてきた。人によっては懐古主義的にも聴こえるかもしれない。

圧倒的なテクニックや斬新なコンセプトを目指しながらも、同時にビバップやスウィングを研究し、その時代のジャズのフィーリングをとことん愛する。アンビバレントに思えるこの志向こそがパスクァーレの音楽の魅力でもある。

そんな彼がビバップを、そして、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの楽曲を取り上げた『Be-Bop!』を制作するのあまりに自然流れだろう。そして、パスクァーレの音楽における姿勢が師匠であり、ワークショップのサポートを続けていたバリー・ハリスから受け継がれたものであることがこれまで以上に感じられる作品になっていると思う。

今回はパスクァーレ・グラッソへの3回目の取材。彼の新しさについての話は散々聞いたので、それについては過去の2本の記事を見てもらうとして、ここでは彼のビバップ愛=チャーリー・パーカー&ディジー・ガレスピー愛を語ってもらうことにした。

取材・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美 協力:ソニー・ミュージック

◉ビバップについて

――今回はずいぶん直球なタイトルのアルバムを出しましたね。

そうだね。いつものトリオで、タイトルは『ビ・バップ!』。そもそも僕は40年代から50年代の音楽が好きで、スウィングやビバップをずっと聴いてきたんだ、子供の頃からね。

――あなたにとってビバップとは?

要するにレッテルだよね。こういうスタイルだって話をする時に使える言葉としてビバップって呼び名があるってことかな。

――ははは。とはいえ、ここでの選曲には「ビバップって何?」って質問の答えが込められているのかなと思うんですが。

特定の時期にああいうハーモニー、ああいうリズム、ああいうメロディが一体化して、40年代から50年代の間に最高のジャズが生まれたって事実はあるよね。その当時のミュージシャンの演奏レベルってものすごく高いから、ビバップは実際にやってみるとめちゃくちゃ難しいんだ。でも、スウィングとビバップがどう違ったかって話になると、レスター・ヤングチャーリー・パーカーの違いって話になったりもするんだけど、僕はそんなに違いを感じないんだよね。マーケティングの事情から違う名前が付けられているけど、僕の中では同じ音楽の流れの中にあると思う。でも、それぞれに特定のフィーリングは感じるんだよね、彼らの演奏の中から。それがスタイルかなって僕は思っている。

◉ディジー・ガレスピーについて

――選曲を見るとディジー・ガレスピーチャーリー・パーカー由来の楽曲がほとんどを占めていますよね。あなたにとってディジー・ガレスピーってどんなミュージシャンですか?

僕にとってギターは天使であり悪魔なんだ。僕はずっとトランペットに憧れていて、やりたかったんだけど、難しくて追求しきれなくて、ギターに行ったんだ。でも、今でもまだトランペットへの思いは残っている。父親がトランペットをやっていたのもあると思うんだけどね。ディジー・ガレスピーとロイ・エルドリッジが特に好きだったんだ。

ディジー・ガレスピーはどんなフレーズでもビートでも音でも、そして、歌の上でも、なんでもプレイできてしまう人だった。どんな難しいリズムでも彼が吹けば最高なものになる。それにミスからの立ち直りがめっちゃくちゃうまい。ミスった後の処理が本当に上手いから、彼の演奏は聴いてて楽しいんだよね。

――作曲家としてのガレスピーはどうですか?

コンポーザーとしても個性的。ディジーならではのハーモニーとメロディとリズムの組み合わせ方があるんだ。そして、チェンジが最高。僕の認識ではディジーはブリッジを書くのがうまい作曲家って印象もある。3パートある楽曲だと、僕はたいてい真ん中のセクションが好きじゃない。でも、ディジーは2つのパートの間をうまく繋いだ曲を書くことができる才能を持っていたね。

◉チャーリー・パーカーについて

――では、次はチャーリー・パーカーです。

チャーリー・パーカーはとにかく才能がある人なんだけど、その才能は“すべてにおいて”なんだ。サウンド、リズム、ビートに乗ってフロウすること、すべてを持っていた。もちろんインプロヴィゼーションは言うまでもないよね。

彼が16歳、17歳の頃にジェイ・マクシャンとやっていた録音を聴くと、その時点ですでに彼のスタイルを持っているのがわかる。彼にとっては周りの人たちと違うことをやりたいと思って、新しいことをどんどん試していた時期でしかないのかもしれないけど、音源を聴けば、これはパーカーだなってすぐにわかるレベルにある。ここまでの個性を10代の若者が短期間で作り上げたのはとんでもないこと。彼は33歳まで活動していたんだけど、音楽的には66歳くらいのものを持っていたように感じるよね。

一緒にやっていた人たちに話を聞くと、彼はすごく知的で、音楽だけじゃなくて、すごく熟成されたような人物だったらしいんだよね。それが音楽を通じて表れていると思う。僕は彼の音楽を聴いて感じるのは、両親に見守られて、すべてうまくいくよって、愛情を持って行ってもらっているような気持になる。特にバラードにはそんなことを感じることが多い。人生に対するすごく深い感情を音楽を通して表現できていたんじゃないかなと思う。物語を伝える力もすごくて、ああいうストーリー感覚をどこから持ってきたんだろうって思うんだよね。自分のものにして、自分の感情を乗せて、音楽で伝えることができる人だなって思う。音楽を生きてきた人だし、かつ人生体験の豊かな人なんだなって思うよね。ディジーもバドもエリントンもちゃんと音楽を生きてきた人なんだけど、チャーリー・パーカーはそれをあれだけの短い時間の中で表現してしまったことは才能なんだろうなと思う。僕は30年もギターをやっているけど、全然あそこまで行けないわけで、才能の違いを感じるよね。そこは人生経験の違いでもあるし、なんか不公平だよね(笑)パーカーやバドやディジーみたいな人たちはあれだけの短期間であれだけのものを作っていて、その上で、物語性までがあるんだから。

――作曲家としてのパーカーはどうですか?

ディジー・ガレスピーだったら、どうやって書いているかは僕らにも想像することができる。即興から出てきたものを組み立てて曲にしているとかは想像がつく。でも、チャーリー・パーカーが書く曲はそういうものとは違うところからきている。実際に研究してみると、シンコペーションが多用されていたりするんだ。ビバップってだいたいアップビートだから、バスケットボールのドリブルみたいなリズムなんだけど、彼の曲ではその弾みかたがひとつの方向に向かって進んじゃなくて、いろんな方向に向かっていったりする。そういう動きをしているから、調べれば調べるほど、すごく不思議なつくりをしていることがわかってくる。その中に自分のフィーリングを込めて書いているので、本人がどう思っているかは別にして、実際に曲を分析するとすごく難しいことをやっている。その中で唯一易しいのがハーモニー。彼の音楽の中でハーモニーだけはすごくわかりやすいんだよね。

あと、スタンダード曲をやっていたとしても、それをスタンダードのままで弾くことがないよね。なぜなら、どう演奏するかで自分に入ってくるロイヤリティが変わるから。スタンダードのメロディーの展開やコード進行などのアイデアを使いながら、そこに新しいメロディーを乗せて、曲の長さを引き延ばしたり、そういうことをうまくやっていた。だからスマートな人だったんだよね。
(※例「Koko」:「Cherokee」のコード進行を使って即興演奏をしていることで有名な曲)

――不可解さって面白いですね。パーカーはストラヴィンスキーが好きだったり、クラシックの譜面なんか研究していたわけですよね。だから、作り込んだ末の不可解さなのかなとも思ったんですが、そこはどうなんでしょう?

僕も彼がクラシックを研究していた人だったってことは知ってる。実際にクラシックをジャズに持ち込むっていうのはいいんだよね、刺激になるし。ハーモニーだけに限って言えば、ジャズのハーモニーって全然複雑じゃないよね。インプロも含めて曲が作り上げられていくから、最初から複雑なものが想定されていない。クラシックの場合はすべて譜面に書き込んでおいて、それを演奏するから、すごく複雑なことがやりたければ、最初から譜面に書いておけば成立する。でもジャズのようにその場の勢いでパパパっと考えて演奏する中でベートーヴェンのソナタみたいなハーモニーを作り出すのは難しいよね(笑)

狙ってやってたかどうかって話に関しては、レコーディングの当日に曲を書いて持ってくるような人だったらしいから、そこまで狙って作っていたわけじゃないんじゃないかな。音楽を聴いて判断すると、やりたいことをきちんと実行したい人ではあったと思うし、自分がやっていることがどういうことなのかはわかっていたと思うし、同時に自分の優秀さも自覚していたと思う。やろうと思えば、何でもできた人だと思うよ。

――そして、ここに収録されている曲の多くはあなたが尊敬するバド・パウエルが演奏していた曲でもありますよね。

エルモ・ホープもやっていた音楽だよね。僕は40年代、50年代のこの時代の音楽が好きなんだ。もっと言えば、44年から60年までの小さなフレームの中が僕のスウィートスポットなんだよ。その後のジャズはフィーリングを失って、頭で考える音楽になった部分もある気がするんだよね。みんなの音楽じゃなくて、わかっている人のための音楽になった感じもあって、僕はそうなる前が好きだから、そこを切り取りたかったんだよね。

――ところで前作のデューク・エリントン曲集『Pasquale plays Duke』の時はスーパー・マニアックな選曲だったんですけど、今回は有名な曲が多いですよね。多少ジャズ好きな人なら“あぁ、ビバップだよね”って思う曲が多いし、パーカーとディジーならこの曲だよねって感じのオーソドックスな選曲だなとも思いました。

今回はみんなが“これはパーカーの曲だ”ってわかるようなとっつきやすい選曲にしようと思ったんだ。それに自分たちが弾き慣れている曲を入れたいって意図もあった。だからすごく気持ちよく弾けたよね。今回は普段の自分たちの延長線上にあるレコーディングでもあったと思う。

◉師匠バリー・ハリスへのオマージュ

――で、その中でセロニアス・モンクの曲が1曲入っているのはなぜですか?

僕の先生でもあるバリー・ハリスが2021年12月に亡くなった。彼のことを考えていたときに、彼がパリで演奏した「Ruby My Dear」がすごく印象的だったことを思いだしたんだ。だからバリーが演奏するこの曲は僕の魂に刻印されているものなんだよね。

――バリー・ハリスは彼の独自のやり方で生涯ビバップを追求していた人だと思います。だから、ビバップがテーマのこのアルバムにはバリー・ハリスがよく演奏していた曲も多いですよね。このアルバムでは選曲も含めて、バリー・ハリスに捧げたものなのかなって僕は思っていたんですけど、どうですか?

まさにそうだね。今回のレコーディングの時にバンドのみんなでバリーの話をかなりしたんだ。バリーはここにはいないんだけど、彼のことはふっと頭に浮かぶんだ。そこからいろいろ考えていると、どんどん彼のことが思い出されて行くってことも何度もあった。僕は音楽をやる理由ってそこなんじゃないかなって思うんだ。大事な人のことを考えながら、その人のために音楽を奏でるっていうこと。つまり、このアルバムはまさにそういう音楽だと思うんだ。

◉ビバップ・ヴォーカリスト ジョー・キャロル

――あと、ディジー・ガレスピー関連曲とはいえ、なぜ「I’m in A Mess」を選んだんですか?

これはサマラ・ジョイの選曲。彼女はほんとにユニークな曲を選んだよね。イタリアでサマラと一緒にやっていた時に“「I’m in A Mess」っていい曲だよね”って話になって、やってみたらいい感じだったんだよ。ここ1年くらい、自分の人生が変化の時でね。長く付き合っていた恋人と別れたり、それで引っ越さなきゃいけなくなったりしていたんだ。自分のごちゃごちゃしている状況が「I’m in A Mess」の歌詞そのものだって気付いたんだ。それに世の中的にもコロナのことがあって大変だったよね。でも、僕らは健康なままで好きな音楽をやれて、こうやってインタビューもできてるし、自分の人生もなんだかんだでナイスだなって笑い飛ばすみたいな感じで選んだってのもあるかな。

――原曲はかなりマニアックなジョー・キャロルってボーカリストが歌っていますよね。

そうそう、ジョー・キャロル。

――ジョー・キャロルはビバップ・ヴォーカルとも呼ばれた名手でした。アルバムテーマがビバップでそこにヴォーカル曲をやるって時にジョー・キャロルを持ってくるのはさすがジャズマニアのパスクァーレ・グラッソだなって。そして、ジョー・キャロル、最高ですよね。

君の言ったとおりだね。ジョー・キャロルには誰も敵わないんだ。僕だってジョーみたいな声が手に入るなら欲しいと思うよ。

――あと、自作曲「Lamento Della Campagnia」。美しい曲ですよね。あなたが自作曲を収録するのは珍しいですよね。

そうだね。僕は頭に浮かんだものをポンポン外に出していきたい人間なので、紙にきちんと書き付けていくのが得意じゃないし、そういうタイプでもないんだよ。だから「Body & Soul」「Over The Rainbow」みたいなスタンダードに引けを取らない曲はまだ書くことができていないんだ。でも、僕のオリジナルを聴きたいって声があるのもわかってる。だから、収録したんだ。ちなみにこれは家族のことを書いた曲。コロナ中に僕ら家族兄弟はなかなか会えなかったからね。カンパーニャってのはイタリア語でカントリーサイドって意味。農村育ちの僕が故郷を思い浮かべながら書いたのが「Lamento Della Campagnia」なんだ。

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