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遠い太鼓に耳をすまして

 私がギリシャに憧れたのは、子どものころに読んだ『ホメーロスのオデュッセイア物語』やギリシャ神話の影響だ。神々や英雄たちが活躍する神話や物語に胸を躍らせ、ゆかりの地にも心惹かれた。戦いの地トロイアから故郷のイタケーまで、数々の冒険の果てに10年かけて帰り着いたオデュッセウスの物語は、私にまだ見ぬ広い世界への憧れも植え付けた。本に描かれていたオデュッセウスの旅の地図を、何度も繰り返し眺めたものだ。(※1)

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 しばらく旅には出られそうにない。それならば、本で旅の気分でも味わおうと思い、読みかけのままだった村上春樹さんの『ラオスにいったい何があるというんですか?』を取り出した。

 「懐かしいふたつの島で」という章では、村上さんがかつて暮らしたギリシャの島、スペッツェス島とミコノス島を再訪したときのことが書かれている。

 「あとがき」にはこうある。「そこに何があるか前もってわかっていたら、誰もわざわざ手間暇かけて旅行になんて出ません。何度か行ったことのある場所にだって、行くたびに『へえ、こんなものがあったんだ!』という驚きが必ずあります。」「旅っていいものです。疲れることも、がっかりすることもあるけれど、そこには必ず何かがあります。」(※2)

 そう、旅には必ず何かがあるのだ。驚くことも楽しいことも、疲れることも。私も同じ地域を何度か旅したことがあるのだが、その度に行ったことのなかった場所、見たことのなかったものとの出会いがあった。

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 読み終わったら、久しぶりに『遠い太鼓』が読みたくなった。この本は、村上春樹さんが3年にわたり、ヨーロッパに住んだときに書いた文章をまとめたものだ。イタリア、ギリシャ、フィンランド、オーストリアなどでのできごとが書かれている。しばらくの間住んだスペッツェス島とミコノス島、旅をしたクレタ島やロードス島など、ギリシャについての記述も多い。

 一緒に旅した友人のNorikoから『遠い太鼓』という本にミコノスのことが書かれていると教えてもらい、帰国後に読んだ。観光ガイド的な名所の紹介や名物の話などはほとんど出てこない。その地で目にしたこと、旅先での体験、そこで感じたことなどが、作家の目を通して書かれている。

 それまでに何冊か村上さんの本を読んだことはあったのだが、なんとなくとっつきにくく感じていた。この本に出合ってから、紀行文、随筆、小説と読み進めるようになった。

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 そういえば、Norikoがこの本に書いてあったといって、ギリシャに小さな容器に入った携帯用の醤油を持参していた。魚介類を食べさせてくれるタベルナ(食堂)で、「焼きあがった魚やイカにたっぷりレモンをしぼり、隠し持った醤油をさっとかけると(別に堂々とやったっていいわけだが)、もう見事に美味しいのである。」と、「ロードス」という章に書かれている。(※3)

 私たちも村上さんに倣って、「隠し持った醤油」をさっとかけて魚介類を満喫した。そして何かの記念のように、そっと残った醤油をテーブルの隅に置いて帰った。「日本人が帰った後に、謎の黒い液体があるって言われるかも」などと言いながら。今では醤油は世界中に広まっているので、珍しくないかもしれないけれど。

 「はじめに」でこう書かれている。 「ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、どこか遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。」(※3)

 「文庫本のためのあとがき」の言葉に、私は深く頷く。「旅行というのはだいたいにおいて疲れるものです。でも疲れることによって初めて身につく知識もあるのです。くたびれることによって初めて得ることのできる喜びもあるのです。」(※3)

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 今や自宅にいながら、テレビやネットで世界各地の美しい風景をいくらでも目にすることができる。海外の特産品もたいていのものは日本で手に入る。

 旅に出ると、思うようにいかないことも多い。知らない街で宿が見つからず途方にくれたり、列車に乗り遅れて慌てたこともあった。でも、そういうできごとのほうが強く印象に残っている。後になって、懐かしく思い出すのだ。

 吹きすさぶ風に髪を押さえ、照りつける陽射しに肌を焼き、降りしきる雨に濡れる日もある。海の色、空の色、鮮やかに咲く花、家々の形、乾いた空気、肉や魚の焼けるにおい。その場に立たなければ見えないものがあり、聞こえないものがあり、感じることのできないものがある。

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 「最後に」の章では、次のように書かれている。

「僕には今でもときどき遠い太鼓の音が聞こえる。静かな午後に耳を澄ませると、その響きを耳の奥に感じることがある。無性にまた旅に出たくなることもある。でも僕はふとこういう風にも思う。今ここにいる過渡的で一時的な僕そのものが、僕の営みそのものが、要するに旅という行為なのではないか、と。」(※3)

 遠くに行くだけが旅ではない。そう思えば、毎日が小さな旅かもしれない。小さな旅を積み重ねながら、いつの日かまた、日常から遠く離れた、まだ見ぬ土地も訪ねてみたいと思う。

 私の耳にも、遠い太鼓の音が、時折聞こえていたのかもしれない。遠い太鼓に耳をすまして、今は、記憶の中の懐かしい旅を思い描こう。次の旅を夢見ながら。


◆出典
※1『ホメーロスのオデュッセイア物語』バーバラ・レオニ・ピカード作、高杉一郎訳 岩波書店 1972年
※2『ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集』村上春樹著 文藝春秋 2015年
※3『遠い太鼓』村上春樹著 講談社 1993年

(text:Shoko,Photo:Mihoko,Shoko) Ⓒelia

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