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物語が、世界の扉を開いてくれた―松岡享子さんを偲んで

部屋を暗くしてろうそくに灯をともす。
ろうそくのまわりにぺたんと座った子どもたちの顔を、ぐるりと見まわしてから、「むかしむかしあるところに......」と語り始める。

大学生のころ、こんな「ストーリーテリング」という活動を、近所の区立図書館でボランティアとしてやらせてもらっていた。
このストーリーテリング、絵本の読み聞かせとは違い、物語を丸暗記して語るのだ。
なかには30分くらいの長い昔話もあった。覚え始めてから子どもたちの前で披露できるまでに、数カ月はかかった。覚えるのは苦労するのだけれど、子どもたち一人一人の顔を見ながらお話を語るのは、たいそう面白かった。子どもたちの反応がびんびん伝わってきて、感動して泣きそうになったことすらある。


ストーリーテリングの活動を日本に広めた第一人者は、先日亡くなられた松岡享子さんだ。20代でアメリカに留学し、児童図書館学を学んだ。児童文学の翻訳者でもあり、「くまのパディントンシリーズ」「しろいうさぎとくろいうさぎ」など多数手がけている。「なぞなぞのすきな女の子」など松岡さん自身が書いた物語も数多い。

番ねずみ

小学生のころ、私が好きだったのが「がんばれヘンリーくん」シリーズ。アメリカの子どもたちの日常生活がいきいきと描かれる。なかでも、この、ラモーナという少女が出てくる話が大好きだった。

ラモーナ

姉と比べられて落ち込んだり、自分の得意なことが誰にも認められずいらいらしたり。通知表を親に見せたくなくて隠してみたり。「あれ、アメリカの子どもも日本と同じようなことで悩むんだな」という親近感がわいてくる。

なぜヘンリーくんやラモーナたちがこんなに親しく感じられたのだろうか。
朝日新聞コラム「天声人語」に、こんな記事があった。

童話「くまのパディントン」(松岡享子訳)を読み返したら、昔と同じページで手が止まった。「どうぞこのくまのめんどうをみてやってください。おたのみします」。ロンドンの駅でパディントンが首につけていた札の言葉だ。(中略)原書の英語を直訳すれば、「このくまの世話をしてください。ありがとう」とそっけない。このシリーズの翻訳を手がけた児童文学者の松岡さんが86歳で亡くなった。生前のインタビューで「私の翻訳に特色があるとしたら、子どもたちにお話を語ってきた経験があること」と話している。長い作品でも必ず訳文を音読し、録音を聞いて確かめた。(2022年2月6日朝日新聞朝刊「天声人語」より)


その言葉を使うと、頭に情景がスムーズに浮かぶか?言葉のひびきはいきいきしているか?松岡さんは、強いこだわりを持って翻訳にあたっていた。小学生の私が、ラモーナたちをあんなに身近に感じたのは、松岡さんの功績が大きかったのだろう。


松岡さんは、冒頭の、ストーリーテリングの語り手の養成にも力をいれていた。
語り手が教科書のように使っていた「おなはしのろうそく」(現在32巻まで刊行)。日本の昔話、世界の昔話、グリムの昔話などが、松岡さん主宰の「東京子ども図書館」により、語りやすく書き起こされている。

ろうそく


もちろん自宅にある絵本などを覚えて語ってもよいのだが、次第にわかってきた。「ろうそく」に書かれているお話は、語り手には語りやすく、なおかつ、聞き手にとってもするっと耳から入ってくるよう、文章が練りに練ってあるのだ。私もこの「ろうそく」にはずいぶんお世話になった。

「おはなしのろうそく10」に収録されているグリム童話「7羽のからす」。お話の場面がどんどん展開するので覚えやすく、何より、子どもたちの反応が大層良いため、レパートリーとして重宝してきた。
7人の兄が魔法で7羽のからすに変身させられてしまった少女。この少女が、たった一人で兄さんたちを救う旅に出る。
まずは遠い世界の果てに行き、次に恐ろしいお日さまのところに行き、いじわるなお月さまのところに行き、親切なお星さまのところに行く。そこで兄さんたちを救うヒントをもらうのだ。


小さな女の子がたったひとりでどんどん歩いていく。その光景を思うとけなげだし、自分だったらどれほど心細いことか。遠い世界の果てとは、いったいどんなところなのか。


当時、私たち語り手が話題にしていた「ストーリーテリングの摩訶不思議」に、「語り手が頭の中に思い描いた風景は、聞き手にも伝わるらしい」というものがある。「遠い世界の果て」ひとつとっても、卒塔婆がぞろりと並ぶ山のようなところを思い浮かべるか、はたまた苔しか生えていない荒涼とした平地を思い浮かべるのか。

まずはお話を一言一句間違えないように覚えるのだけれど、どんな光景を思い浮かべながら覚えるかで、ずいぶん印象は違った。そこがまた、醍醐味だった。

松岡さんは、「東京子ども図書館」で、語り手養成講座を開催すると同時に、誰でも参加できるお話会も開いていた。
私も何度か参加したが、そこで初めて聞いたイランの昔話「ちっちゃなゴキブリのべっぴんさん」はちょっと衝撃だった。

おしゃれでおしゃまなゴキブリの娘が、花婿探しの旅に出る。玉ねぎの皮でできたドレス、ニンニクとナスの皮でつくったベールとショールをかぶり、りんごの皮でこしらえた真っ赤なくつをはいて。そして出会った人々と、こんなやりとりを繰り広げる。

ごきぶり

「よう、どこへ行こうってんだい、ゴキブリのおねえちゃん?」
「ゴキブリのおねえちゃんですって!」とむすめっこはいいました。「まあ、失礼な。あたしをそのへんの年頃の女の子といっしょにしないでちょうだい。」
「じゃあなんていえばいいんだい?」と八百屋はききました。
「こういってもらいたいわ。これはこれはおはようございます。かわいいお嬢さん。そんなにきれいな赤いくつをはいて、いったいどちらへお出かけですかって。」(「子どもに語るアジアの昔話5」松岡享子訳)

松岡さんの語るゴキブリが、妙に生意気でふてぶてしくて、でも愛嬌があって。お話を聞きながらげらげら笑った。この、リズム感あふれる訳も良かったのだろう。
すっかり気に入った私も、レパートリーに加えて語るようになった。当時大学生だった私が語ると、「ゴキブリなのにとってもかわいい!」と仲間に言われていい気になったものだ。


このゴキブリのお嬢さんを通じて、イランという国に、初めて親しみを感じた。ゴキブリをあんなにユーモラスに描くとは。もしもイランに行くことがあったら、この昔話について聞いてみたい。
この昔話で、初めてイランと出会った子どもたちもいるだろう。もしかしたら将来「イランって、あのかわいいゴキブリの昔話がある国だ」と思い出すことがあるかもしれない。

目をまんまるくして聞いていた子のことを思い出す。「ゴキブリってあのゴキブリ?主役?」と、その子の顔には書いてあった。

子どものときも、そして大人になってからも、松岡さんは私に、物語を通じて世界への扉を大きく開いてくれた。感謝でいっぱいだ。ご冥福をお祈り申し上げます。

(text;Noriko ,photo;Mihoko&Noriko )©elia


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