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ダメ男に駆け寄り時間を浪費して「自分の人生を生きない」を全力でやる女

だいぶ過激な表現になるけど。

私の今までの人生は
自分を生きずに
びびって無力なふりして
ダメな男がいれば、駆け寄り世話して自分の時間を喰い潰してきた。
自分の優先順位はいつも後回し。

自分が、なりたい未来を
思い切り全力で生きることを

自分が全力で納得いくまで考え
答えをだすことを

自分が出した解を持って
困っている人を全力でサポートすることを

自分のクリエイティビティを
思い切りチャレンジすることを

自分の身体感覚と
頭を思い切り一致させて
細胞ごと楽しんで進むことを

世界はこんなにも美しい
ということ
自分が経験しそれを表現し
世界中の人と、共有し、共に生きることを

すこやかな身体とこころで、
地球のために、全力で生きることを

全放棄していた。




さて

それはなぜかというと
上記の自分を生きる意味を自分でぶっ潰す
歪みに歪んだ認知を持っていたからだ。

よおく、見てみるとそこには

おまえは絶対に絶対に断じて幸せになれないと
自分の幸せをおもいっきり邪魔してくる自分がいた。
おまえなんか幸せになれない。
おまえのことなんか幸せにしてやるもんか。と
しぶとく私の足を掴んで離さない手があった。

加えて男の人に対して。
「男の人が私を幸せにしてくれるはずがない。」
と思い込んでいた。本当に固く固くそう認識していた。
だって男性たちには本当に嫌なことしかされてきていないじゃない。
だから、本気で私を愛する人はいないと信じていた。
そのくせ、男の人に優しくされたいと思っていた。
無力なふりして男に縋る女を思い切りやってきた。
男の人はひどいことをしてくる存在なのに優しくされたい。
男の人=痛み。でしか埋められないものがあると思っていた。
(=これは、ささくれがずっと治らなかった構図と同じ。)


【愛は絶対的に痛みである】という、捻れきった強固なビリーフ。


これ、言葉で書くとおかしくない?ってわかるんだけれど無意識を探ってみると、本気で自分に定着していた。自分を痛みなく愛しているなら、ささくれを剥きまくって血を流すことで安心するなんていう心理は絶対に働かなかったはずだ。たとえば、リストカットをする、のも、希死念慮ではないことが多い。「痛み」を感じないと「生きている」を感じられないから、それをする。(と、本で読んだことがある。)無心で無意識にささくれを剥きまくって挙句流血した先に、は!と気がつくのだけれど、最後は痛い!っていうところまで進んでしまうのだった。

ささくれは森にジョインして1年で完治した。

男の話。に戻すと。愛は痛みであると、バグって認識しているので男の人が私を幸せにしてくれるはずがない=痛みなのに、男のひとでしか埋められないものがあると、信じていた。つまり、痛み=愛と認識していた。ので、男の人は、私を幸せにはしてくれない(と信じている)が、優ししてくれた男(本心かどうかも不明なままに)から嫌われたくないと縋って自分の姿を平気で変えていた。これはまたあの恋愛暴走族のパターンですね。アドレナリンとかドカドカ出してるやつ。暴走して死ぬやつね。

痛みを獲得するために嫌われたくないと縋った形で男のために自分の姿を変える、を繰り返していると自分の性格が捻れに捻れて、自分が本来なりたい姿からは程遠くなっていき、なりたい世界からはどんどん離れていき。本当に愛し合っていない状態で相手の気をひこうとするから自分の幸せからは程遠くなっていく。嫌われ、捨てられぬように、対等に対話することも同じ未来を描くこともせずに。ボロボロになった自分が「こんなはずではなかった。ひどいことをされた」と被害者の面をして喚くループ。相手を潰しているのは自分。自分を潰しているのは自分。自作自演の蟻地獄劇場。


男、でも仕事、でも、好きなこと。でも。
全部全部同じ答えに戻ってくる。「ほら。自分は幸せになれない」。
ダメンズの世話してたら自分を生きるをやらなくっていいわけじゃん。
自分の夢とかないです風の顔して生きられるじゃん。

その代償にあなたは一体なにを手放したか、知ってる?

「自分を信じない」を全力でやった末路。

自分が、なりたい未来を
思い切り全力で生きること

自分が全力で納得いくまで考えて
答えをだすこと

自分が出した解を持って、
困っている人を全力でサポートすること

自分のクリエイティビティを
思い切りチャレンジすること

自分の身体感覚と
頭を思い切り一致させて
細胞ごと楽しんで進むこと

世界はこんなにも美しい
ということを、自分が経験しそれを表現し
世界中の人と、共有し、共に生きること

すこやかな身体とこころで、
地球のために、全力で生きること


これらを全放棄して生きてきたんだよ。


自分の人生を思い切り踏みにじってこれを巧妙にやってきたんだよ。
これをやめるためには「愛って、あったかいんだ。」
「愛って、痛くないんだ。」「男の人でも、愛がある人がいる」という認知の定着を繰り返し、繰り返し、自分に教えていくしかない。
自分がやりたいこと、逃げずにチャレンジし続けるしかない。
パニックになり、怒り、あきらめ怠惰になっている暇はない。

私は何を求めていたのか。
どう生きていきたかったのか。
何を失ったのか。
その認知を。感情を取り除いてしっかり直視しないと、
前には進まない。進めない。



私の夢を共に支えてくれないひとと、共に生きるな。
ここしか世界がないと、諦めるな。
自分がこういう世界で生きていたい。という理想を、
男のために、平気で捨てんなよ。
このひとしか、じぶんを
好きになってくれる人いないと思うから。って縋んなよ。


相手にも失礼だよ。

本当に自分が自分の世界を生きようと
自分を磨いて死んだ方が
同じ志をもった仲間と一緒にいる方が
自分を愛して欲しいと男の人に守られるよりも
もっとずっと、価値があることじゃないかな。
自分がもっとバージョンアップした先に、
なにがあるのか
自分の力でちゃんと見に行こう。

____________________________________________

※この文章を見たひとみちゃんより

これではただの男嫌い、自分一人で自律すればいいのよ!と、今までの正反対の姿になっただけです。

どんな自分で、どんな人と、どんなふうにパートナーシップを結んだら、結果は違ったでしょうか?

世の中のロールモデルと過去の自分を比較して、そのことについて考えてみましょう。


さきちゃんと私

共同代表として
二人三脚のように歩いてた
さきちゃんと私の関係性は


比較的
男性と女性のパートナーに
近しい関係性だなと
分析しています。

お互いに良好な関係性を
築きながら一緒に
同じ目的を達成しようとする
男女のパートナーといった
感じです。

〈男性〉
さきちゃん

・こうしたいという夢を
 掲げて実行する
・表だって森の開発を進める
・具体的な作業を主体的に
 背負いながらこなす

〈女性〉
ひとみ

・男性の心がくじけないよう
 サポートする
・内部の人間関係の調整をする
・円滑にいかない部分を
 拾ってサポートする

〈男性→女性〉
さきちゃん→ひとみ

・自分の仕事で上手くいかない
 部分の調整やサポート、
 アドバイスを女性に依頼する
・自分の不調時に
 それを抱きとめて
 再び前に進む自分に戻るための
 サポートを女性に依頼する

・女性が日常生活の中で
 困ったことがないよう
 疲れ果ててしまわないよう
 丁寧に気を配る
・着飾った女性の姿を見て
 ありがとうございますと喜ぶ

〈相手に対して思うこと〉

★安心な場所で
 大事にされて綺麗な姿で
 にこにこ笑っていてほしいと
 女性に対して思う

『女性の幸せ(安全)を
実現したいと願う』

〈女性→男性〉
ひとみからさきちゃん

・どんな時も世界を眺め
 今何をすべきかという
 意思をもって生きてもらう
 ことを男性に依頼する
・世界のために必要な
 たくさんの仕事を実際に
 実行してもらうことを
 男性に依頼する

・男性の心身の不調や
 周囲との関係性の不和が
 生じないよう
 丁寧に気を配る
・幸せそうに働き活躍の
 幅を広げる姿を観て喜ぶ

〈相手に対して思うこと〉

★心のブロックを外し
 周囲と仲良く前向きに
 自分の夢を実現してほしいと
 男性に対して思う

『男性の幸せ(活躍)を
実現したいと願う』

――――――――

〈同じ方向を観て〉

どちらもみんなが幸せに
暮らす世界を
実現したいという
同じ望みをもっていて

そのために
男性側がまず表で走り始め

でもその後ろで
心折れたり
壁にぶつかったりして
立ち止まりそうになるのを

サポートという能力に
特化した女性が
支えたり円滑にしたり
と働きまわることで

一緒に欲しい未来を
実現していく関係性。

お互いの幸せを願いながら
同じ方向に対して
夢を実現しようと
二人三脚する関係性。

それが私とさきちゃんという
不思議な二人の
関係性を表すのに
一番適した表現だと
思っています。

もちろん
男女が反対になる瞬間も
ありますが
比較的この役割で
分担することが多いのが
ちょっと面白いなあと
思っています。

金子ひとみの言葉より


さきちゃん(左)とひとみちゃん(右)。性別はふたりとも女の子だけど、めざすべき男女のロールモデルをお手本で見せてくれているふたり。いつもありがとうね。
「人と生きる」を毎日共に学んでいる家族たち。


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