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#9 Social Networking Service(9章全文掲載)

「西高ファイト!」

 体育館にバレーボール部の甲高い声が響き渡る。ボールが弾む音との高低差で、練習中はいつも集中が削がれてしまう。床に座ってバッシュの紐を結びながら、空翔は深いため息をついた。

 「また女バレが半分以上占領してるやん。絶対今日は一生ツーメンやって終わりやで」
 「しゃーないやん。女バレは春高までもうちょっとやねんから。俺らみたいな弱小バスケ部は肩身狭いわ」隣でサトルが両手を広げながら言った。
 「あいつら強いし、かわいい奴多いし、調子乗ってんねん」
 「めっちゃひがむやん。結局好きなんやん」
 「ばれた?」二人は笑って互いに手を取って立ち会がり、顧問の下に向かった。

 空翔の予想通り、本日のメニューはフットワークとシャトルランのあとは、長時間のツーメンが主な内容であることが告げられた。基本が大事、走ることが基本。いい加減聞き飽きたこれらの台詞を、今日もまた耳から横へ流していく。

 「今の時代、METUBEでもCandleで読める本でも、もっとええ練習いっぱい載ってるで。ワンパターンやねん、あのおっさん」空翔がサトルに耳打ちすると、腿のあたりを叩かれた。一瞬顧問と目があったが、何も言われず、事なきを得た。

 「なんやねん、さっきの?どうせ聞こえてへんて」
 「いや、絶対こっち見てたって。お前デカいし、目立つねん」
 「最悪バレてもええけどな。おもんないのは事実やし」空翔は大きなため息をついた。

 ウォーミングアップを終え、いつもの流れでフットワークをこなしたあと、延々とシャトルランを走った。肉体よりも、精神が堪えるメニューだ。膝に手をついた選手が出ると、容赦なく顧問の怒号がとぶ。シャトルランの流れからツーメンがある日は、さらにきつい。パスやシュートの瞬間にボールには触れられるが、結局は二人組でリングまで全速力で走るのだ。いくら体力には自信のある空翔やサトルも、このメニューの流れにはいつも弱音が漏れる。

 2週目のツーメンから戻ってくる途中のことだった。空翔は顧問に呼び止められた。

「おい、前島、ちょっとこっち来い」
 
空翔は自分を指さし、首をかしげてサトルの方を向いたあと、顧問のもとへ向かった。

 「おいお前、今日練習始まってからの態度はなんや?やる気あんのか?手抜いてんのバレバレやぞ?」

 空翔はカチンときた。確かに練習メニューに疑問があったことは事実だ。だが、練習中に手を抜いたことはこれまで一度もない。もちろん今日も同じだ。レイアップシュートは外してしまったが、ステップが合わなかったために生じた単なるミスだ。

 「先生、悪いですけど、手は抜いてません。それだけはマジで勘違いです」
 「なんやお前、なめてんのか?」そういって顧問は空翔の顔を覗き込むように近づき、威圧しながら罵声を浴びせた。
 空翔はたまらず、「ちゃんとやってた言うてるやろ!」と大声をあげ、顧問を両手で突いた。その瞬間顧問は周囲の生徒に向かって大きな声で言い放った。

 「おいおい、暴力やで。お前ら全員見たな?大人に暴力振るった奴は覚悟しとけよ?」
「なんやお前!」空翔が今にも顧問を掴みにかかろうかという時、サトルが止めに入った。
 「やめとけ空翔!殴ったらホンマに終わりやぞ!」その言葉で空翔は我に返った。
 「殴ったら終わり?お前さっき突き飛ばしたやんけ?もう終わりなんじゃ」顧問が執拗に空翔に言い放った。

 「先生、僕さっきから横で聞いてましたけど、おかしいでしょ?確かに集合の時のこいつの態度は悪かったけど、練習はちゃんとやってました」サトルが顧問の目を見て強く言った。
 「なんや、お前もはむかうんか?こいつと同じように処分してもええねんで?」
 「なんなんですか、その言い方は!」サトルが逆上しそうになった時、今度はさっきとは逆に空翔に制された。
 「サトルもうええ。お前まで巻き込むわけにはいかん。こんな指導者の下で部活なんてやってられへん。もう俺は辞める」空翔は悲しそうな眼をして言った。
 「辞めろ辞めろ。でかいだけで下手な奴なんて使えへんねん。生意気な奴がおらんくなったら強くなるわ。あとな、さっき突き飛ばしたこと、覚えとけな?辞めるだけで済むと思うなよ?」

 どこまで意地が悪い人間なのだろう。さっきまで怒りがこみ上げていたのに、今は自分でも驚くほど心が冷めきっている。くだらない人間を目の当たりにして、何もかもが嫌になった。空翔は仲間の方を見て言った。
 「みんな、ありがとう。俺辞めるわ。こんな環境耐えられへん。でも、みんなは俺みたいにならんとってや」


 目からは大量の涙が溢れた。空翔は袖で目を拭い、その場で脱いだバッシュを床に叩きつけて、体育館をあとにした。



 今日が何曜日なのかもわからない。

 ベッドの上に仰向けになったまま、空翔は天井を見つめていた。両親を心配させまいと、時々1階に降りては他愛もない会話をする。言葉に感情がないことが自分でもわかった。まるで心を体育館に置き忘れてきたかのようだ。

 サトルや他の部員からのPINEが来ていることは知っていた。どうやら、あの1件のあと、顧問の発言は問題視されたものの、理事長の一声によって揉み消された。所謂、「大人の事情」というやつだ。

 空翔は理事長室に呼び出され、停学にはしない代わりに、パワハラ問題として相談窓口に知らせることをしないよう、釘を刺された。「頭を冷やすように」と2、3日の自粛期間を取るように言われたが、停学処分と何が変わらないのかが空翔には理解できなかった。

 顧問への処分が決まったあと、部員たちからは不満が漏れたが、「進路」
や「進級」と言った言葉を引き合いに出し、無理やり沈静化させられたらしい。学校のイメージを守りたいのだろう。一人でも外部に情報が漏れないよう、理事長も必死だ。必要以上に顧問を守ろうとする姿勢も疑問だが、何か弱みでも握られているのだろう。汚い大人のやりそうなことだ。
 
 どいつもこいつも、自分を守ることで必死やな。空翔はすべてに嫌気がさした。特別にバスケットが好きだったわけではない。ただ、何かに夢中になって自分の気持ちを埋め合わせていないと、どうやって自分の気持ちを3年間も保っていたらいいのかがわからなかったのだ。ある意味、これは自分を変えるチャンスだ。学校を辞めて、起業でもしよか。起業ってどうやってやるんやっけ。空翔はそんなことを考えながらうつ伏せになり、extragramを開いた。

 空翔はextragramで写真を眺めるのが好きだ。よく友人からは、「承認欲求が高い人たちの自慢合戦」だと揶揄される。だが、それの何がいけないんだろうか。人に認められたいと思う気持ちは自然なことだ。逆に、認められたい気持ちを無理やり隠そうとする人ほど、欲深いと感じる。さらけ出すことで周囲からのノイズが入り、認められなくなるのが怖いのだ。

 自分は目立ちたがり屋だ。自分が中心になって、色んな人を巻き込み、楽しみをシェアして生きていきたい。そのためのツールは何でもいい。少し塞ぎこんだが、人より早く前を向けることが自分の良さだ。そう思って空翔はextragramの画面をスクロールしていった。

 ふと、気になる写真が目に飛び込んできた。サッカー部の友達がシェアしていた、元日本代表の金丸の写真だ。画像の下には、「仮想空間にチームを持つ」「今日の16時半からのMETUBEで全貌が明らかになるらしいで!」といったコメントが並ぶ。

 「16時半?あと5分やん」金丸の写真が妙に心に引っ掛かった。

 小学生の時に、サッカー好きの父親に手を引かれ、半ば強制的にクラブチームの体験会に行かされた。特に経験があったわけではないが、3日間の体験の中で、他の誰よりも圧倒的に上手くプレーができてしまった。チームの監督は、「逸材だ」と驚いた。

 しかし、空翔はそれ以上サッカーにのめり込むことはなかった。当時の自分には、簡単にプレーできてしまうものに、魅力を感じなかったのだ。

 クラブに入団する意思がないことを告げると、父親はとても残念がった。事あるごとに、「金丸選手みたいなプレイヤーを目指せ」と口にしていたほど、息子をプロ選手にしたい思いが強かったからだ。結局、小学生の間は水泳を、中学に入ってからは空手部に入部し、父親の夢は完全に打ち砕かれた。

 だが、ここに来て、父親から何度も話を聞いた金丸が目の前に現れた。不思議な縁だ。空翔は導かれるように、友人が投稿した画像の下にあるMETUBEのリンクをタップした。

 会見が終わった。空翔はスマホを手にしたまま、再び天井を見上げた。腹のなかで、覚悟は決まっていた。「俺はこの人のもとへ行く。自分のためだけじゃなく、人のために挑戦しようとする大人のもとに」

 教室に入った時から、何をするべきかは決めていた。今まで自分ができなかったこと、「チームを創ること」だ。そのために自分にできることは、積極的にみんなに声をかけること。

 「こんにちは!」思ったような反応はない。それも織り込み済みだ。「みんなちょっと暗ない?せっかく集まったんやから仲よくしよや」それぞれの席を廻る。もう一人の冷静な自分が頭の中で言う。

 「こうしてまたいつもみたいに、自分の寂しさを埋め合わせるんや」
 「わかってる。でも今は関係ない。それも含めて、自分を変える。チームを創るんや」

 自問自答しながら教室の奥に目をやると、柔らかい笑顔の青年が立ち上がって手を差し出してきた。空翔は力いっぱいその手を握り締めた。

 心の中で、何かが始まる音がした。



 少し苦めのエスプレッソに口をつける。

 静かにカップを置いて、少し上を見上げると、完成間近のサグラダ・ファミリアが静かに顔を覗かせる。重厚な存在感は、周囲を圧倒し、すべての気を呑みこんでしまうかのごとく、異彩を放っている。青坂慶は、残りのエスプレッソを飲み干し、カップの横に5セントのチップを置いて、席を立った。

 ガウディ通りをそのまま北上し、サン・パウ病院が見えたあたりで路地に入る。50mほど進んだ先のアパートの2階が、ステイ先だ。日本人街に住む両親と、この3か月間は離れて暮らしている。語学力を引き上げるためだと、本帰国までの3か月間は息子にホームステイをさせると、父親が決断した。慶にとってはありがた迷惑だったが、この1年半はインターナショナルスクールで日本人とばかりつるんでいたのだから仕方がない。渋々、父親の考えを受け入れた。

 ステイ先には、スペイン人の老夫婦が住んでいた。優しい老夫婦で、慶のたどたどしいスペイン語にも、しっかりと耳を傾けてくれた。元教師であるという老女は、嫌味にならないように配慮しながら、文法や言い回しを訂正してくれた。その成果もあって、帰国前になって、ようやく日常会話に困らない程度に成長した。

 現地のクラブに入団したことが悪夢の始まりだった。アジア人の加入が珍しかったからか、ジャッキー・チェンの物真似をするように絡まれ、断り続けて場を白けさせた。チームメイトとなるべく会話をしなくて済むように、練習の前後のロッカールームでは、離れて着替えた。スペイン語を発すると、変な発音だと笑われ、慶を除くメンバーはカタルーニャ語での会話に切り替える。明らかな嫌がらせだったが、すべては自分自身で招いたものだった。

 それでも、唯一優しく接してくれる友達には出会えた。イギリス系スペイン人のジョンだ。ジョンは塞ぎこむ慶を見かねて、英語を織り交ぜながら声をかけてくれた。ジョンのおかげで、ようやくスペインでのサッカー生活に一筋の光が差し込んだ。ロッカールームで英語を使っていると、周囲から文句を言われたが、そのたびにジョンがかばってくれた。

 だが、そんな安心感も長くは続かなかった。5か月が経とうとする頃、ジョンの突然の偉関が決まった。主力のサイドバックとして活躍していたジョンに、上位カテゴリーのチームからの話が舞い込んだのだ。退団の日に申し訳なさそうに握手をするジョンは、哀しい眼をしていた。

 そこからは、すべてが繰り返しの毎日だった。スペインに来れば特別な何かが得られるに違いないと想像していた慶は、日常化した毎日に辟易した。早く日本に帰りたい、そんな言葉を漏らすようになっていった。

 一方で、チームは州リーグの上位に位置し、慶も一定の評価を受けた。だが、コーチや監督の評価はいつも決まって同じだった。
「技術はあるが、戦術の理解に欠ける。我々の伝えたいことを理解していない」
 家族の都合で、大事なリーグ戦の最中に帰国が決まったことを伝えても、チームメイトを含めて、周囲の態度はそっけないものだった。


 帰国を前に、久し振りにジョンに会うことになった。彼と出会ったばかりの頃、初めてエスプレッソをご馳走になった、ガウディ通りに面したあの店だ。待ち合わせの5分前に到着すると、テラス席にジョンの姿があった。彼は慶のことをアスールと呼んだ。スペイン語で「青」という意味だ。


 「アスール、久し振り。元気にしてた?」
 「元気だったよ。ジョンは?」

 ジョンはゆっくりと、聞き取りやすいスペイン語で話してくれた。難しい単語や、わかりにくい表現の時は、英語を使い、丁寧に説明してくれた。

 「アスール、スペイン生活はどうだった?思っていた以上のものになったかい?」
 「ジョン、君がいた頃まではね。本当に楽しかった。でも、君が移籍したあとは、すごく苦しかった。どうやってコミュニケーションを取ればいいのか、最後までわからなかった」

 慶は、素直に心で思っていることを吐露した。苦しい状況の時に助けてくれたジョンだからこそ、言葉がこぼれてきたのだ。

 「アスール、それが一番の経験じゃないか。成功を得ることだけが経験じゃない。僕は理解している。本当の君は、友達想いの熱い人間だと。だからこうしてこの場所に僕を呼んでくれたんだと思う。でも、アスール、君は最後まで自分をさらけ出せなった。自分から言わない限り、誰も自分を理解しようとしてくれない。特にサッカーのような、互いがライバルの世界ではね。でもね、アスール。君は学んだはずだ。次は何をするべきかって」
 「ジョン・・・ありがとう。本当にその通りだ。今でもまだどうやって振舞うべきかわからない。でも、君の言葉を胸に刻んで、次のステージでも頑張るよ」
 「アスール、次はプロの世界で会おう。君は日本代表、僕はイギリス代表だ。そして、スペイン代表に勝ってやるぞ」
 「ああ、やってやる」

 
 二人は強く抱き合った。頬をつたう涙が、サグラダ・ファミリアから延びる影に、静かに2粒落ちていった。


# 10  Hyper Text Markup Language(10章全文掲載)  https://note.com/eleven_g_2020/n/nf644cd9ea277


【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

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