見出し画像

#12-3 息子

 見晴らしの良い広々としたバルコニーからは、青々とした海が光を反射させているのが一望できた。昨日までの遠征の疲れを癒すつもりで、本を片手に外に出てみたが、内容がちっとも入ってこない。頭を巡るのは、昨日の中岡の言葉ばかりだ。
 
 アンヘルは、リクライニングチェアーに本を置き、しばらく海を見つめた。

 「一体なぜ父親は、あのプロジェクトに参加させたのであろうか」

 中岡の言葉への疑念は、同時に、プロジェクト参加への疑念に繋がっていた。スペインで戦術を叩きこまれ、JPリーグ下部組織では中心選手として活躍し、スペイン世代別代表の合宿にも参加した。それなりに実力をつけてきたという自負もある。
 
 基本的な戦術を知らない仲間やコーチ、難解な言葉を唱えるばかりで何もしない監督のもとで、何が得られるというのか。アンヘルには理解ができなかった。

 滞った気持ちを消化できないため、アンヘルはランニングに出かけることにした。父親が遠征から帰ってくるのは夕方ごろだ。それまでには考えを整理しておきたい。身体を動かしながら心を整えようと考えた。
 
 スマートウォッチを操作し、心拍数や走行距離が計測できるように設定した。飲み物は途中のコンビニで買えばいいだろう。お金も持たずに走りに行けるのは本当に便利だ。アンヘルはサングラスを装着した。

 骨伝導型のイヤホンからは、レッド・ホット・チリペッパーズの音楽が流れている。ARスマートグラス越しには、前回走ったルートの履歴が映し出された。今日は別の道を通ると決め、アンヘルはメモリ機能をオンにしたまま、ルート案内機能をオフにした。普段は映画をみる時に使用しているが、今日のような晴天には非常に便利だ。激しい明りのもとでは、グラス内の色合いを調整してくれる。最適な色合いになったところで、スタートを切った。

 20分ほど走ったところで、開放感のある道に、大きな複合文化施設が見えてきた。アンヘルはこのあたりを走るのが好きだ。建築のことはよくわからないが、バルセロナで育ったことも影響してか、独特な建築物に惹かれてしまう。この複合施設もそのうちの一つだ。薄い床を、何本もの鉄骨を束ねたチューブが支える構造で、驚くほど透明感がある。

 アンヘルが施設の横を通ろうとした時、1人の男が熱心に写真を撮っていることに気づいた。近くまで行くと、それが去年インターナショナルスクールを卒業した、ドイツ人のフェリックスだとわかった。

 「フェリックス!なんでこんなところで!」
 「アンヘル!驚いたな!こんなところで会うなんて!こっちに引っ越してきたのかい?」
 「父親が移籍してね。先月引っ越してきたんだ。フェリックスはなんでここに?」
 「この建築物に惹かれてね。近くに建築事務所があるんだけど、そこで学ばせてもらっているよ。ランニング中だったかな?少し話できる?」
 「もちろん、そこのコンビニでドリンクでも買おう」

 アンヘルはスポーツドリンクを、フェリックスはそれぞれコーヒーを選んだ。無人コンビニではレジを通らずに、スマートウォッチに搭載されたアプリによって決済ができる。コンビニから出た二人は、建築物の目前にある公園のベンチに腰を下ろした。

 「建築家への夢は順調なんだね。もうしっかり働いてる感じ?」アンヘルはフェリックスの顔を覗き込むように訊いた。
 「とんでもない。僕なんてまだまだだよ。日本語では何だっけ、ペーペーって言うのかな?研修生みたいなものだよ」
 「でも、雇われてるんだろ?」
 「月5万円でね」
 「5万円?それじゃ、生活できないじゃないか」
 「住みこみで勉強させてもらってる。学生時代のバイトの貯金を切り崩したり、クラウドソーシングで少し収入を得たりしながらね」
 「なんでそこまでして?」
 「建築が好きだからだよ。生活はきついけど、本当に楽しいんだ。先生からは毎日いろんなことを教えてもらえるし、一番好きな建築物も目の前にある。こんな幸せはない。そして、何よりも、自分で選んだ道だからね」
 「自分で選んだ道か・・・」
 「アンヘルだってそうだろ?プロのサッカー選手になるってずっと言ってたじゃないか」
 「僕はそれが自分で選んだ道なのかどうかわからない。偉大なプレイヤーの父がいて、気づけばサッカーをやっていただけなんだ」そう口にしたあと、アンヘルは自分自身の言葉にハッとした。

 「そうか。でも、学生の時みたいに、俺は偉大な父を越えるって言ってるアンヘルでいてもらいたいし、アンヘルならその目標を達成できると信じてるよ」
 「フェリックス、ありがとう。君と話して、心のモヤモヤがとれた気がするよ。君の建築への情熱に、心が動かされた。せっかく近くに越してきたんだ、次はゆっくり食事でもしよう」
 「もちろん!」

 アンヘルは高まる気持ちを抑えられなかった。予定していた走行ルートを変更し、そのまま帰路についた。
 
 父親が帰宅したのは、夕食が始まる40分ほど前だった。シャワーを浴び終わり、食卓に着き、皆で神様にお礼をした。

 「唐突だけど、父さん、Cyber FCに参加させてくれてありがとう」アンヘルは心からの気持ちを父親に伝えた。
 「これは驚いたな。帰ってきたら、なんであんなものに参加させたんだって文句を言われることを覚悟していたのに」
 「正直最初は思ったよ。でもね、今日フェリックスに偶然会って、話をして気づいたことがある」
 「フェリックスって、学校が一緒だったフェリックスか?」
 「そう。偶然だけど、この街に引っ越してきてたんだ。その偶然も、運命に感じるほど、良いことが聴けた。彼は建築家として弟子入りして、5万円の給料で住みこみで生活してるみたいなんだ。独り立ちを夢見てね。僕は彼の情熱に驚かされた。なんでそこまでできるんだろうって。でも彼は言った。好きなことをやって、好きな建築が目の前に佇んでいる。こんな幸せはないってね。そして何より、自分で決めた道だって」
 「素晴らしい話だな。そして、何を感じたんだい?」
 「僕は今まで、自分で何かを決めたことはなかった。父さんの影響でサッカーを始めて、ある程度順調にここまで来た。でもそれは、自分の意志ではなく、ただ流されてきただけなんだ。Cyber FCの合宿に参加して、中岡監督が言ってたよ。僕らは、奇跡などまったく存在しないかのように生きているって。それは自分の意志で何かを決めたり、大きな目標を持っていないことの裏返しだと思ったんだ。僕は恵まれすぎた。偉大な父親にも、チームメイトにも。ここまでただ連れてきてもらっただけだ。今度は僕がCyber FCのメンバーを上の舞台につれていく。僕自身ももっと向上し、大きな夢を持って、大好きなサッカーで生活できるようになるよ」
 「アンヘル、よくそこに気づいたな。父さんは、アンヘルに、レアンドレの息子という枠組みから抜け出してほしかった。アンヘルという人間、アンヘルという一人のサッカープレイヤーで一流になってほしかったんだ。でも、もう大丈夫。今のお前を誇らしく思うよ」

 レアンドレは笑って頷きながら、妻と抱擁をした。アンヘルにとって、それは忘れられない瞬間になった。


# 13-1  彼女   https://note.com/eleven_g_2020/n/n6f50e31142fb


【著者プロフィール】

画像1

映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

面白かったらサポート頂けると嬉しいです!次回作の励みになります!