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書くことは、自分を解放すること

「変わってるよね」
「天然だよね」
「独特だよね」

昔からそう言われてきた。

ただ、私にはなぜそう言われるのか正直分からない。

友達・同僚とかと複数人で話してる時に、全然分からないよその感覚!ってなる時がたまにあって、

自分が感じるままに発言してみると

「独特すぎる」
「不思議ちゃんだね」

って言われていたのだ。

言われた瞬間はあんまり気にしないのだけれど、気づいたら私は、気の許せる友達以外には自分の意見をあんまり発せずにいた。

相手の話を聞いて聞いて自分の意見は抑え込んでおく、そんな自分になっていた。

でも私は、自分を持っていたくて。

普通って何?個性的でいいじゃん、 
みんなちがってみんないい、でしょ?

そう思いながらも同調圧力には勝てなかった。


大人になっても、周りの友達が盛り上がるタイミングに盛り上がれなかったり、全然話に共感できなかったりして。

発言すると、

「エレナはエレナのままでいい」

みたいなよく分からないことも言われちゃって。

社会人になっても、周りとの価値観の違いを感じることが多くて、

「なんでみんなと同じように盛り上がれないの」

と思うと同時に

「私の思いを吐き出したい」

そう思うようになった。


そんな時に出会ったのが「書くこと」だった。

感じるままに、心の中にある自分の思いをありのままに綴れる。

そして、自分はこう感じていたんだって理解するきっかけにもなる。

書くことは、自分を解放する手段の一つになった。

書く世界では、発言で場をスベらせる不安を感じたり、自分を抑えたりする必要はない。

だからこれからも、私は書いていく。

ありのままの私でいるためにも。

おわり。






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