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不安を従える
「おいマザー、、、それさぁ、、、
前と後ろも逆な気がするし裏表も逆だし、、、
ふざけてんのかよ、、、何一つ合ってねぇよ!」
マザーは至って真面目です。
シャツの前後裏表を間違うくらい誰だって(多分)あります。
こんな何気ない会話をして笑い合う時、
「ああ我が家は今日も平和だなぁ〜」と感謝の気持ちでいっぱいになります。
何年か前までの自分には不安が常に付きまとっていた。
日々のお金の使い方、子どものこと、これからのこと、、、
ある日、ふと「なんで自分はこんなにも不安ばっかりなんだろう?」
と、疑問に思った。
不安ばかりで気が抜けない日々に疲れていた。
常に何かが不安で、日々思い切り楽しめない自分が嫌だったし、窮屈だった。
「なんで自分はあれもこれも不安に感じてしまうのか?」
まず、それを考えた。
お金のこと、、、この使い方で良いのか「わからない」から不安。
子どものこと、、、この育て方で良いのか「わからない」から不安。
これからのこと、、、このままで良いのか「わからない」から不安。
私の場合「わからない」というのが原因らしかった。
「わからない」ことに不安を感じる。
ああ、私は「わからない」ってことになると不安なんだな、、、
そう思って、不安を「消そう」と、色々調べて試してみたりもした。
でも、不安な時って、なかなか気持ちが「不安」から離れてくれないし、
「不安」を消そうとしても消えない。
消えないどころか「不安」を消そうとすると、「不安なことについて考える」ことになるから余計不安が強くなってしまった。
消える、忘れる、どころではなかった。
不安、不安、不安、不安、不安、、、、、。
はっ!
「わからない」が不安なら「わかった」状態にしてしまえば何か違ってくるかも!
どうせ「不安」について考えることになるんだったら、
徹底的に考えて調べて「わかって」みよう。
そう思った時に「戦」が頭に浮かんだ。
敵の勢力がわからないと恐怖も大きくなる。
対策の立て方もわからないし、
対策を立てても、それが万全かわからないから余計怖い。
「得体の知れないもの」が一番怖いのだ。
じゃあ、もう私の敵「不安」について徹底的に調べるか。
敵の手の内を知るしかない。
でも、調べるのもまた怖い。
「じゃあもうダメじゃん。」なんてことを思い知るかもしれないし。
最後通告を突きつけられるような結果が出るかも。
そんな自分に、
「不安に思うってことは、自分はそれだけ真剣に慎重に考えてるって証拠。
だからそんな大きく間違うってこともないはず。きっと大丈夫。」って、
何度も言い聞かせた。
そうすると、意外なほどサクサクと作業が進んだ。
お金のことは、一ヶ月のお金の使い道をざっくり調べ、一ヶ月に必要な金額を確認。そうすると「ああ、この使い方だったら当面困ることはないな」と安心できた。
子どものことは、色々な人たちの子育て論などを読んでみたり聞いてみたり。
そうすると「子育てに正解はない」という結論に至った。
だったら自分は何が大切だと思う?
自分の答えは「愛」だった。
何事も「愛」を持って選択したものなら子どもたちにも伝わるだろうな。
そう思うと安心した。
これからのことは、こればっかりは調べてもわからない。
だったら、、、自分は「どうなりたい?」と考えた。
これからどうなると嬉しい?どうなっていくと楽しいかな?
そう考えているとだんだんワクワクしてきた。
それ以来「こうなりたいな」「こうなったら嬉しいな」
というイメージを、常に頭に思い描くようにしている。
「不安」は少しずつ「安心」に変わっていった。
時々「不安」が顔を出す時もある。
でも、私はもうそれを「安心」に変える「呪文」を手に入れている。
対策法を知っている。
怖くはない。
もう「不安に従う自分」ではない。
「不安を従える」のだ。
その「不安」は、自分のこれからを「より良く」するためのヒントにする。
それ以来、私は「不安」を感じると
「なぜ不安なの?」と、原因を自分に聞いてみる。
原因が分かったら今度は
「じゃあどうすればいい?」と、また自分に聞いてみる。
全ての答えは「自分の中に。」
「敵」を従えて「味方」にするようにしている今、私の心はいつも平和です。
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