ビリヤニ愚考#1_ビリヤニ香探求
数年前ならば,「ビリヤニとは」から話を始めたであろう.しかし今となってはその必要もないほどビリヤニはエスニック料理における一定の地位を築いたと思う.その一方,インネパ店のジャンキーな炒めビリヤニや都会を中心に栄える和の要素を取り入れたビリヤニなど,幅の広さゆえに「結局ビリヤニって何?」という疑問は深まる.総論や定説は一旦他に譲り,ここではぶち当たった疑問を深掘りする方式で問いのぐるりを巡ってみる.
【提起】ビリヤニは香りを食べるもの
世の中には,ビリヤニエッセンス,なるものが市販されているらしい.調べるとその数は数多.日本ではあまり見かけないけれど,香辛料抽出オイルから「人工化合物」とだけ書かれたものまで多種多様.コンパクトでカラフルな見た目はグイっといく系のエナドリや胃腸薬っぽい.
モノと情報の制限により実際の成分にアプローチできないのが残念だが,構成要素が気になる.他の料理では粉末マサラが市販される中,ビリヤニにおいては液体が珍重されている.これは「ビリヤニは香りを食べるもの」という認識の表れなのではないだろうか.しかしそもそもビリヤニの香りってなんだろう?パッと思いつくのは以下のもの
これらの香気成分について,香料植物由来のものは概ねテルペン類,香味野菜系は硫化アリル由来,ギーはラクトン類...と当たりがつくが,はてバスマティライスの香りってなんだろう?日本米を炊いた甘い香りとは明らかに違うあの異国らしい香りは間違いなくビリヤニ香のベースとなっている.バスマティライスについては以前東京マサラ部室の活動で狂気じみた15銘柄食べ比べが成されている.
ここでも,ビリヤニに合いそう,とされる米は伸びの良さに加えて香りの力強さが語られている.やはりビリヤニにバスマティの香りは不可欠.せば,リサーチを.
【総論】正解は「2AP」!
バスマティライスの香りについては呆気ないほど簡単に調べがついた.Wikiにも載ってる.
ここから先は,末尾にある文献の内容を簡単に紹介する形でバスマティの香りの正体についてまとめる.
約200種類ある炊いた米の香りのうち,香り米に特有なのは2-アセチル-1-ピロリン(2-acetyl-1-pirroline).以降,略して2APと表記する.実は「炊いた米」を端的に表す香りは未だ同定されていないが,2APの香りの閾値は0.1 ppbとコメ中の他の香気成分より低く香り米に特有なので解明が早かったらしい.
その香りは焙煎香(roasted flavor)と表され,「ポップコーン様」と評されることも多い.他にパンやトルティーヤなどのほか,日本だとだだちゃ豆の香りも2APが担う.アジアではパンダンリーフの香りとしてメジャーだそう.以前沖縄で購入したパンダンリーフ,香りを嗅いだだけで満腹感があったのはそういうことか(?).一方,ワインのネズミ臭,ジャコウネコ科や大型ネコ科動物の尿の匂い,などと強烈な記述もある.濃度域と組み合わせの問題なのだろうか.
【実用】香り高いバスマティライスを食すには
2APの性質として特徴的なのは,揮発性が高く水に溶けにくい(疎水性が高い)こと.つまり,加熱中には揮発してしまうものの,浸水によるロスは多くない.香りの肝となる2APのロスを抑えるには,浸水時間を長くしてしっかり吸水させた上でなるべく茹で時間を短くするのがよさそう.炊飯器を使うとこの辺りの時間調整は難しいかもしれない.
また,2APは保管条件によっても損なわれてしまう.密閉袋(ポリエチレン)で保管した場合,25℃と35℃では7週間後には2AP含有量は半分以下に低下してしまった.これには2つ原因が考えられて,1つは米自身が持つ酵素によって2APの分解や酸化が進んでしまうこと.もう一つは揮発性と疎水性の高い2APがポリ袋の壁を突破して逃げていってしまうということ.これらを簡単に抑制する方法,それが冷蔵保存.低温により酵素活性を阻害し,ぶんぶん飛んでいく分子の運動も抑制.かなり単純な方法だが,同じ密閉袋を使って5℃で保存した場合には10週間後でも2APの含有量は保存開始時とほとんど変わらない,という結果になる模様.
【探究と脱線】香りと生存
2APは稲の苗の部分で最も高く約400 ppb,玄米と精米ではそれぞれ約300ppbと200 ppb,根では検出されなかった.つまり,2APは土壌から養分として吸収されるのではなく,植物の体内で合成されている,ということ.植物は一体この香り物質を何に使っているのだろう?
さて,タイの例になるが,上質な香り米が生産される地域は旱魃が多い最貧地域だったそうだ.これは乾燥ストレスにさらされると稲で産生される物質(ポリアミン類)が2APの材料となるためだった.植物では乾燥などのストレスに対抗するためポリアミン類が合成される.これらは抗酸化作用などによって植物が受ける高温や乾燥,塩害などのストレスから細胞を守るが,いずれ植物自身の酵素により分解・排出される.実は,ジャスミンライスやバスマティライスを含む香り米は,この分解過程の途中で働く酵素を持っていない(酵素タンパクをコードする遺伝子が欠損している).すなわち,香り米ではポリアミン類の代謝が途中で止まってしまう.そうすると,分解途中の物質がどんどん植物体内に溜まっていくが,実はこの物質は高濃度になると植物に有毒なのだ.そこで香り米の品種ではこの中間体を別の物質に変換して無毒化する必要が出てくる.この無毒化されたものが2APというわけ.2APは揮発性が高く植物体からどんどん出ていくのでとても合理的,といえる.実際,香り米の圃場では米の香りが周囲に漂うという.
つまり,我々が好ましく感じる2APの「焙しい」香りは植物にとっての毒の処理物でしかない,ということ.その寡多が米のグレードや価格にも直結する香り成分が,実は植物の生存のための苦肉の策とも言える生理機構の末端だとは.カレーを深掘りすると,やはり進化の歴史と生物の多様性に帰り立つ.そういえば半年前も似た様なことを考えていた.
【宿題】ビリヤニ香探求は続く
発端のビリヤニエッセンスに話を戻そう.インド亜大陸当地ではバスマティの入手は容易だろうからあえてビリヤニエッセンスにバスマティ香は入れていないかもしれない.しかし古くなった米や香りの弱い低級米の香りをブーストするためにパンダンリーフの抽出液くらいは入っていてもいいのでは.インドを訪れる機会にはぜひ実物を手に取って確かめてみたい.ほかにも,調べる過程でまとめるべき事項がいろいろ出てきた.
そして究極の問いは「結局,ビリヤニって何?」.
まずはビリヤニは香りを食すもの,という立場から,もう暫しビリヤニ・ケミストリーを探求したい.
【参考文献】
1)タイの事例,2AP生成機構について
“香り米と茶豆特有の香り成分2APの生成を制御する機構の解明”(吉橋,2011)
学会誌への投稿文だけどストーリーがあって楽しく読めておすすめです.この著者,吉橋氏は香り米研究の第一線にいる方らしく,2AP関連を調べると必ず著作に当たる.格好いい.
2)米の保管と2AP含有量について
“Effect of Storage Conditions on 2-Acetyl-1-pyrroline Content in Aromatic Rice Variety, Khao Dawk Mali 105”(Yoshihashi et al. 2005)
https://www.thaiscience.info/Article%20for%20ThaiScience/Article/1/10009547.pdf
3)植物のストレス応答について
“植物におけるポリアミン代謝・制御およびストレス反応へのかかわり”(森口,2004)
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/archive/files/naro-se/fruit3_01.pdf
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