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やりたいことが分からなかった私に和の職人が教えてくれた「道」

どうして私は生きづらかったのか?

こんにちは、「和えらま」講座で和文化パートを担当している橘茉里(たちばなまり)です。

突然ですが、みなさんはどんな風に自己紹介をしますか?

私はこんな感じです。
「私は、私立高校の教員をしながら、香司(こうし)というお香の調合師の資格を生かして、一般の方向けに和文化講座を提供しているパラレルワーカーです。
エラマプロジェクトの姉妹ブランド『和えらま』の共同代表や『和の文化を五感で楽しむ講座』の主宰をしています。
和文化を通して、日本人に合った心の豊かさをお届けしたいと思っています。」

エネルギッシュで充実しているように聞こえるでしょうか?
やりたいことをやって、自分らしく生きているように見えるかもしれません。

ですが、元々私は、自分のやりたいことが分からなくて、やりたいことのない自分がコンプレックスだったのです。

この業界に入りたい、この職業に就きたい。

そういう意志が固まっている人たちが羨ましくて、みんなはどうやってやりたいことを見つけているのか疑問でした。

特に、スポーツ選手、芸術家、職人のように、ひとつの道を定め、その道を極めようとしている人たちへの強い憧れがありました。

その一方で、良い大学に入って、良い会社に就職して、結婚・出産をして・・・という前時代的な価値観を捨てきれない中途半端な私もいました。

現代は、みんなが同じ方向を向いてモデルケースのような成功を目指す生き方ではなく、自分がやりたいことを見つけて、自由に人生を設計できる時代に移り変わっているところだと思います。

そのふたつの生き方の揺らぎにいるのが、現代の大人ではないでしょうか。

私もまさにその揺らぎの中で、やりたいことを追求したいのにそれが何か分からない、でも高学歴や高職歴の価値観も手放せないというジレンマに陥り、生きづらさを感じていました。

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20代前半はそうやって悩み、大学の研究に興味があったこともあり、就職せずに大学院に進みました。

大学院時代には、パートタイムの講師として高校に教えに行っていました。その経験から教員にやりがいを感じ、国語教師として就職。
その後は、教師としての自分を高めることに興味が向きました。

教師は素晴らしい仕事です。恵まれた職場で、やりがいも充実も感じていました。

でも、経験を積むうちに、こんな問いがちらつき始めたのです。

このままこの職場で定年まで働いたとして、死に際に、後悔しない人生だったと言える?

答えは完全にNOでした。

そして、むくむくと、やりたいことに妥協したくないという自分が出てきてしまったのです。

教師はやりたいことの一つであって、これが全てではない。
私が本当にやりたいことは何だろう、私は自分の人生をどうしていきたいのだろう。

本格的に自分と向き合い始めたのは、30歳を過ぎてからのことです。

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私は朝活に参加したり、心理学を習ったり、色んな講座に参加したりと、動き出しました。

最初は、朝活への参加申込をするだけでとても緊張したものです(笑)

そうやって少しずつ新しい体験を重ね、出来ることを増やし、やりたいことを明確にしていきました。(エラマプロジェクトの「フィンランド式生き方キャリアデザイン講座」を受講したことも、私の方向性を決めた大きなきっかけでした)

そんな時期を経て、私は今、和文化に関わるパラレルワーカーとして活動しています。

心揺さぶられた、和ろうそく職人の言葉

現在、私は、エラマプロジェクト代表の石原侑美さんと一緒にフィンランド文化×和文化の「和えらま」講座を行っています。

そのご縁で、侑美さんの住む飛騨に行った時のこと。

飛騨古川の「三嶋和ろうそく店」を訪ね、店主である職人の三嶋さんからお話を伺う機会に恵まれました。

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私はそこで自分と向き合うことになったのです。
それは全く予期せぬ出来事でした。

創業200年を超える伝統のお店で、職人として生きてきた三嶋さん。
私の憧れである、「ひとつの道を極める」という生き方を体現なさっている方です。

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三嶋和ろうそく店は、全てを手作りするという全国的にも稀な製法を守っています。

制作過程を見せていただきながら、和ろうそくの作り方、西洋ろうそくとの違いや和ろうそくならではの特徴などを伺いました。

お話を聴くうちに、三嶋さんの穏やかな語り口に引き込まれていきました。

それまで馴染みのなかった和ろうそくについて知ることができ、私は十分満足していました。しかしそれはまだ序の口だったのです。

三嶋さんから「型無し」という言葉が飛び出しました。
『型無し』ではいけない」ということを、三嶋さんがおっしゃったのです。

驚いて、私と侑美さんは思わずお互いの顔を見合わせてしまいました。

「型無し」は、私たちが行っている「和えらま」講座の中で、和文化の大事なキーワードとしてお伝えしていることだったからです。

和文化にはたくさんの「型」が存在します。

剣道や柔道といった武道、茶道や華道などの芸道、能や歌舞伎などの芸能の世界、それに伝統工芸、和食文化、地域の伝統的な行事。

それぞれの業界、至るところに型があり、大抵は、師匠に型を習うところから始まります。

スポーツ界では、20代で全盛期を迎え、30歳を迎える前に引退ということもありますが、日本の伝統文化は生涯現役であることが多く、80代で第一線ということも。

そんな世界ですから、型の習得にも長い時間が掛かるのが当たり前です。

培われた伝統に重きを置かず、型の習得をおろそかにして、自分の好き勝手に新しい試みをすることはできます。でも、それでは「型無し」なのです。

世間では、型の習得に時間が掛かりすぎるといった批判もありますが、型には筆舌に尽くしがたい大切なものが沢山詰まっています。
現代に合った型との向き合い方を考える必要はあると思いますが、私は「型無し」になってはいけないと考えています。

このようなことを「和えらま」で伝えてきました。同様の話が、和ろうそく一筋の三嶋さんから語られたことに、私は大きな衝撃を受けたのです。

何がそんなに衝撃だったのか分からないまま、私は頷くことしかできませんでした。
言葉を発してしまったら、感情が溢れて泣いてしまうと思ったのです。

三嶋さんのお店では、伝統的な単色の和ろうそくだけでなく、白と赤が織りなすマーブル模様の商品も販売しています。

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これは、現代人が手に取りやすいようにと、三嶋さんが工夫して作り出したものなのだそう。

「もっと現代風の新しいものを作ることはできる。けれど、伝統とのバランスが大事。自分が考えるバランスはここだった」

そう言って、三嶋さんはマーブル模様の和ろうそくを掲げました。

三嶋さんのお話を聞き終える頃には、私は涙が抑えられませんでした。
でもこの時は、一体何に反応して泣いているのか、自分でもよく分からなかったのです。

自分らしく生きるための探求は生涯続く

後に、三嶋和ろうそく店での出来事を振り返り、自分の心に起きたことを考えました。

その道一筋に生きてきた三嶋さんの言葉の重みと尊さに圧倒され、心が大きく動いたことは確かです。

でも私の涙や湧き上がった熱い感情は、それだけでは説明できない。
一体何だったのか?

グルグルと考え、浮かんできたのは、やりたいことが分からず生きづらさを感じていた自分、そしてその状態からやりたいことを少しずつ見出していった自分の道筋でした。

ひとつの道を極めるという憧れの生き方をしている三嶋さん。

そういう生き方への憧れの強さから、私は自分の生き方を劣ったものと考えていた気がします。

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ですがあの瞬間、私の劣等感は、三嶋さんの言葉によって溶かされたように思うのです。

なぜなら、三嶋さんも私も、和文化の担い手として「型無しではいけない」という考えを大事にしていることがわかったから。同じ価値観を共有する者として、あの時私は、三嶋さんと同じステージにいる感覚があったのです。

やりたいことが分からない状態から右往左往しつつ、ここまで来た私。
そんな私でも、一筋に生きてきた三嶋さんの道と交わることができた。

あの涙は、自己肯定の涙だったのです。

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やりたいことが分からず、悩んでいるあなた。

どこへも行けず、何者にもなれない閉塞感はつらいですよね。

でも、悩んでいるということは、それだけ自分の人生に真剣な証拠なのだと、自分をほめてあげてください。

遠回りしながらでも、自分の道を作っていくことはできるし、最初から一直線に生きられる人と比べて、優劣があるわけではないのです。

そのことが私もようやく腑に落ちました。

私もまだまだ道半ばです。
私のやりたいこと探求と実現の旅はこれからも続きます。

日本の伝統文化には、生涯現役であるものが多いと前述しましたが、自分らしい人生を生きるために自分の道を探すという探求も、死ぬまで終わりがないのかもしれません。

最期まで探求し続けられたなら、それはとても幸せな人生でしょう。


Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)

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