見出し画像

モノをよりどころにするのには、限界がある。私たちが人間性を失わないために必要なほんとうの“よりどころ

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです!
もう今年が終わってしまいます…悲しいです。

今回は、私が今年感じていた不安や、ずっと心に留めていた言葉についてお話ししたいと思います。

2023年が終わってしまう前に、一緒に今年考えていたことを整理してみませんか?


不穏な空気が当たり前に存在する怖さ

私は、予測できなかったり、ありえないと思っていたりすることが次々と起こる状態にいつしか慣れている自分を怖く感じていました。
 
また地震、また災害、また異常な暑さ、また警報音、また事件、また異常な出来事…それらがテレビ、SNS、ネットから流れてくる。

何かが起きたと思うと、すぐにまた次の何かが起きる。
知らず知らずのうちに、衝撃を受けたことを忘れて、次の何かの情報を知る。
今年起きた国内・海外のニュースを調べると…つい半年前のことがだいぶ前のように思えてしまいます。
 
異常な出来事を、毎回直視して受け止めていくほど心は丈夫に作られていないので、いつも通りの出来事として消費できるようになってきているのかもしれません。
 
一方、テレビでは遠くの国で活躍している選手の情報が繰り返し流されたり、「昔はいい時代だった」など昔と今を比較したり、海外の人が褒める日本の良いところを特集したり…。
それらの番組は、一時的にみんながポジティブな気持ちになれるものとして作られているようにも思えてしまいます。
 
異常、怒り、楽しさ、悲しさ、羨ましさ…。ネット時代において、反応が伴うものは何もかもコンテンツとなって大量に消費されていっているように感じます。

消費されていった先に何か生まれるものがあるかもしれません。しかし、それ以上に消費されては忘れられ、また新たに関心が生まれては消費され、の繰り返しを私は不思議に思えてしまうのです。
 
自分ごととして捉えて向き合い、自分の考えを持っておきたい議論や問題があるのに…。
生産性や効率性、コスパやタイパが求められている今の社会において、1つ1つ立ち止まって問題や議論に向き合う時間はムダかのように、どんどん新しい事実、ニュースが登場します。
そして、それらを取り入れないと、周りの話題や社会の状況に追いつかないこともあるかと思います。
 
それほど、多くの関心が四方八方に生まれているのは、逆に無関心が中心にあるからのように思うのです。
自分のことで精一杯で余裕もできないからこそ、重大な出来事に当事者意識が持てず、逆に色んな情報をざっと目を通して終わらせることができるのかもしれません。
 

しかし、今世界では直視できないほど残虐な行為が行われている場所があります。
急に始まって、急に自分を取り巻く世界が一変する。
そんなことが起こってしまう。
明日私たちの世界も変わってしまうかもしれない。それはありえないことではない。
そんな世の中に誰もが生きているように感じています。
 
ありえないことが、ごく普通に存在しているかもしれない。
それがかえって怖いことだと感じるのです。

文化や芸術の中に“よりどころ”を探す

いきなりですが今年を思い返すと、いつもは出かけない元日に喫茶店に寄る機会がありました。

その時、「誰もが孤独の時代、人間性失わないで」という印象的な見出しが目に入ったのです。
それは、2015年にノーベル文学賞を受賞し、代表作の「戦争は女の顔をしていない」などで知られているベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんの言葉でした。
 
新聞を広げて読み進めると、今年ずっと頭の片隅に残って忘れられない2つの文章に出会えました。

「私たちが生きているのは孤独の時代と言えるでしょう。私たちの誰もが、とても孤独です。文化や芸術の中に、人間性を失わないための、よりどころを探さなくてはなりません。
 
「近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです。例えば、孫の頭をなでること。朝のコーヒー一杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです。」
 
あってはならないことである戦争や、人権も尊厳も認められない環境では、“人間らしく”生きようとすればするほど厳しい状況に陥ってしまうのかもしれない。戦争を描いた映画や本で感じたことです。

アレクシエービッチさんは、「人間の文化的な部分が失われてしまう」ことを「獣に変貌する」と表現していました。
そして、作家とは何かに関して「人の中にできるだけ人の部分があるようにするため」に働いていると話していました。
 
文化や芸術の中に”よりどころ”を探すとは、どういうことなのでしょうか?
 
よりどころとは、頼みとするところ。支えてくれるもの。根拠。
ここでは、心のよりどころとして、心を支えてくれるものという意味で使われていると、私は捉えました。
 
今、人の“よりどころ”になっているのは目に見えるわかりやすいモノである気がします。
モノ、お金、承認欲求を満たすモノは、見えるわかりやすいモノだと思います。色んなモノが溢れているからこそ、孤独に陥っても楽しみ方を自分で探して選べる豊かな時代になっているのかもしれません。
 
モノ、お金、承認欲求を満たすモノも文化であり、芸術かもしれません。しかし私が思い描く芸術は、誰もが専門的に良い悪いと判断できるわかりやすいものではないと思うのです。
今年、初めて舞台を見ました。とても難解な作品で、最後にわかりやすい結末はなく、観客にストーリーを委ねる終わり方だったのです。
 
モノも人も命ある儚いものですが、それらは次々に新しくなって更新されていきます。
「劣化」という言葉が人にも使われ、推しが劣化したら新しい推しを見つける人がいます。携帯やパソコンも車もどんどん新しいバージョンにすぐ変えていく人がいます。
 
ですが、文化も芸術も、頭の中や心の中にあり続ける限りなくならないものだと思うのです。

映画『ラーゲリより愛を込めて』を見たときに、とても印象に残ったセリフがありました。
「書いたことは記憶に残っているだろう。記憶に残っていればそれで良いんだ。頭の中で考えたことは誰にも奪えないからね」
 
頭の中で考えていることは、誰にも奪えない。
私は、ドラマや映画が好きで、お気に入りの作品を何度も見て、セリフをメモしたりもします。そこで出会えた元気になる言葉、励ましてくれる言葉たちは、確かにずっと頭に残っています。
 
憎しみという狂気によって自分の中から獣が生まれないために、人の部分をなくさないために、文化や芸術の中に“よりどころ”を見つけることは、現代を生きる上で大切なことな気がします。

「人間らしさ」という想像力が”日常そのもの”の光となる

コロナ禍では非日常を経験し、それから日常が戻ってきたと思ったら、新しい日常と称される生活様式が生まれていました。
音楽やアートといった芸術は、日常が平和でなければ生まれず、触れられないものだと思います。

今、お気に入りの音楽を歌えるなら、思いもよらないことが起こったときにその歌が心のよりどころになるかもしれません。
今、好きな物語を覚えているなら、その物語がいつか心のよりどころになるかもしれません。

ネット社会になったことで、誰とでもどこにいても繋がれるようになった「ケイタイ」という世界が手の中にあります。それでも、この世界から孤独を消すことはできていません。

誰もが孤独を抱えているかもしれない。

Aさんにとって日常的なことでも、それはBさんにとっては一生忘れられない出来事かもしれない。
 Cさんから見るとボロボロで捨ててよいものだったとしても、Dさんにとっては思い出と記憶が詰まった宝物かもしれない。
Eさんはなんてことない言葉だと思って使ったとしても、受け取ったFさんにとっては心が傷だらけになる言葉かもしれない。
 
目の前にいる相手は、全く違うことを考え、違う価値観を持つ人だと知っているはずなのに、自分の価値観を当然のように振りかざしていないだろうか。少しでも間違っていると思うところを見つけたら、そこをめがけて攻撃していないだろうか。
 
そう自分に問いながらでも、対話を諦めず、1つではない色々な形のつながりを探したり、つくったりすることが大切なのかもしれません。
 
ただわかりあう。
それがどれほど難しく、わかり合ってくれた相手を大切に感じるか。
 
「違う」と拒絶されることに怯える人のそばで、ただ1人でも分かり合ってくれる、受け止めてくれる誰かがいる。その存在だけで人は救われるかもしれないと感じるのです。

ですが、それが人だけとは限りません。気持ちを代弁してくれたと感じる小説や映画、音楽、アートを“よりどころ”にすることができると思うのです。

また、文化や芸術から、誰かの“わかってほしいこと”を知ることもできます。
自分だけの考えや価値観でカチカチに固まって、他を感じれなくなったり、受け止められなくなったりしないためにも、日頃から文化や芸術に触れることは大切だと感じます。

私は、好きなアーティストさんのライブに行くと、自分を肯定してもらえる感覚になります。
その音楽に、「ここにいても大丈夫」「存在していい」と言われている気がするのです。あたたかいライブ空間に広がる音楽や言葉を浴びると、自分なりの希望を持つことができます。

好きな脚本家さんのドラマを見ていると、その人のメッセージや考えを知ることができます。自分にとって新しい価値観が加わることがあれば、わかるわかると大きく頷きながら見ることもあります。

なぜかずっと嫌な気持ちが抜けない時に、このままだと嫌いな自分に引きずりこまれそうだと思う時に、好きなドラマを見ます。
このドラマのここが好きだったんだ。このメッセージを大切に思っていたんだ。そう噛み締めると、もとの自分が戻ってきそうな気がするのです。

文化や芸術には、見えないメッセージで溢れているかもしれない。
そこには誰かの思い・感情・伝えたいことがあるかもしれない。
ただ通り過ぎようとしているけれど、少しでも立ち止まったら案外自分と共通した思いのこもった想いかもしれない。

見えるモノだけで決めつけてはいけない
誰もが孤独を抱えるこの時代に、その想像力があるだけで人と人が向き合って対話できる機会が生まれたり…誰かの伝えたいメッセージを受け取ることができたり…
その人なりのつながりをもてたり…救われる誰かがいるかもしれない。

文化や芸術が与えてくれる、人間らしさに含まれる想像力が、私たちの日常そのものを豊かにしてくれる光だと信じたいのです。

今の時代だからこそ、あなたにとっての"よりどころ"を考えてみませんか?

今年も、記事を読んでいただきありがとうございました。
来年も、みなさんに出会えるよう進んでいけたらと思います!
 
Text by どさんこ大学生RUNA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?