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「自己肯定感」が必要なわけ~幼児の芸術教育と「良い子」からの卒業~

こんにちは。さつきです。

前回記事を書かせて頂いてからしばらく時間が経ちましたが、皆さんはどうお過ごしでしたか?

わたしはこの2、3か月は、前進しているようでなかなか思うように進めておらず、ぐるぐると同じ場所で回っているような日々を過ごしていました。

一つひとつの事をできるだけ理想に近づけて、丁寧に進めようとムキになるから、結局どれも中途半端になってしまうという、自分の弱いところも沢山見えた今年の秋でした。でも一方で、周りの人の小さな心遣いで助けられたことも少なくありません。

先日やっと書き上げることができた卒業論文も、同じゼミの仲間に励ましてもらったり、知り合いの方に「応援してるよ」と声をかけてもらったりして、小さな「できる」を積み重ねることでなんとかゴールにもっていくことができました。

自分の持っているパワーをほぼ全力で出せる日もあれば、6割、いや3割くらいしか出せない日もある。このことに気付いてからは、周りの人から貰った励ましの言葉で自分を落ち着かせ、少し立ち止まる(何もしない)時間もとることができていたように思います。

このような自分の機嫌をとる癖がついていたのは良かったですが、欲を言えば「もっと早い時期から上手くいかない時の自分を受け入れることに慣れていたらもっと楽だったかもな」とも思います。そう感じた理由を説明するためには、「自己肯定感」という感覚が結構大事なカギなのかもしれません。

自分を正しく理解するということ

自己肯定感についてお話しする前に、まずわたしの卒論テーマについて少し書かせて頂きます。

わたしは卒業研究で、幼児の「芸術教育」をテーマにしていたのですが、そこで取り上げた教育方法のなかで印象的だったのは「子どもが主体となって学ぶ」ということでした。

芸術教育と呼ばれるほどですから、その教育方法では身体的な運動や絵を描くなどの多くの芸術的な要素を通して子どもたちは学びます。そして、その学びの中で子どもたちは自然と自分自身と向き合い、自己を見つめていきます。

遊びの時間でも同じように、先生が「○○で遊ぶよ」などと子どもの遊びをリードするようなことはなく、あくまでも子どもが自発的に「遊び」をするように環境を整えます。だから、子どもは真剣に遊びに「没頭する」ことができます。

では、そのような学び方を通して子どもたちは何を得られるのでしょうか?

わたしは、その答えの1つには「自分をよく理解することができる」ということがいえるのだと思います。

自分の力で自分のやりたいことに没頭したり、自己と静かに向き合う時間を持つ。このような体験をとおして、子どもたちは結果として「自分ってこういう人間なんだな」というのがなんとなく分かるようになるのではないかと思います。

そうすることで、子どもたちは良い意味で自分の限界というものにも気付くことができる。もちろん、その「限界」というのはその人の成長に合わせて変化するものだと思います。でも、今の自分の状態を理解するという意味で、「ここまではできるぞ」というようにある程度の指標を立てて自分を励ますことができるのかもしれない。

このように、早い時期から自分自身について正しく理解し評価できるというのはとても大事なのではないかと思うんです。

「完璧」を目指していたあの頃

今では「マイペース」、「ちょっと変わってる...?」と時々言われることもあるわたしですが、思えば、小さい頃のわたしは完璧主義という言葉がぴったりの性格だったなと振り返ります。

まずあったのは長女として「良い子でいなければいけない」というプレッシャーです。よくある話しかもしれませんが、その「良い子」という謎の理想像から外れてはいけないというのが、小さい頃のわたしの生活の中の重要なテーマでした。

よく思い出すのは、小学校の宿題で出されたひらがなを練習するドリル。わたしは「お手本から1ミリたりともずれてはいけない」という自分ルールを作っていた為、何度も何度も消しゴムで自分の字を消して紙はボロボロ、必要以上に力を入れて書くから右の人差し指の皮は何度もむけていました...。

別にお手本の文字から自分の字が多少はみ出していたって、宿題の範囲まで出来ていれば何も問題はないはずです。でもその時のわたしは、最後の1文字まで完璧に書けていないと宿題をやってきたと認めてもらえないと信じていたわけです。

今のわたしだったら、お手本通りにいかなくったってそこまで時間をかけて頑張った自分エライ!とその過程を自分で評価できると思います。しかし「結果がでないと意味がない」という小学生のわたしの頭ではこれは全く納得できなかった考えでしょう...。

自己肯定感ってなんだろう?

では、ここで冒頭で書いた「自己肯定感」というキーワードをもう一度だしてみます。自己肯定感とは、文字通り、「自己」すなわち自分自身を「肯定」=良しと思う感覚のことです。

芸術を通して学ぶ子どもたちが得られるであろう、自己を理解するという力。これは結局、自分を良しと思う機会を増やすことにつながる能力なのだと思います。

他の人や具体的な数値と自分を比較して評価することよりも、今の自分がどのくらい頑張れているのかを認知できることの方がもっと大切。たとえ優良な結果が出ていなくても、誰も見れない部分の努力も自分の中でしっかりとカウントして評価できるというのは、大きな力なのだと思います。

自分自身を正しく見つめることができれば、多少の失敗や恥も落ち着いて受け入れられるのかもしれない。そうすると、本当の自分というものを他の人にも自信をもって見せることができるのではないかなと思います。

だから、たとえ周囲の人から見たら地味な努力でも、必要不可欠な成長として自分の中だけでも認めたい。誰にも分かってもらえなくても自分の心の中では好きなことに対する情熱を持ち続けていたい。

こんな事を考えながら、未だ同じところをうろうろしている自分を励ましていきたいと思います。

みなさんは自分しか知らないような小さな努力が、後になって形となり見えてきたというような経験はありますか?どのような時に過去の苦い経験も今の自分の一部として受け入れられたのでしょうか。

もし今回のメッセージがそんな自分の小さな努力と成長を改めて思い起こすきっかけとなれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

Text by さつき(心の旅人さつき)



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