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雪と理不尽そして希望

今週の雪の降り方はえげつなかった。

朝起きたときは150センチしか無かった積雪がお昼に200センチを超えたときは少し絶望した。

わかったことは、朝昼晩の12時間除雪が3日以上続くと精神に異常をきたし始めるということ。

江戸時代、私の暮らす西和賀地域は政治犯等の流刑地でもあったそうだ。その中のひとり高橋子石さんという方が書き記した「沢内風土記」という書物があり、その中で『天然の雪獄』という言葉を残してるが、雪を払って埋まっての繰り返しはまるで囚人にやらせる『シジフォスの労働』そのもの。

シジフォスの労働
ギリシャ神話 シーシュポスは罰として、タルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられた(この岩はゼウスが姿を変えたときのものと同じ大きさといわれる)。 シーシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。 このことから「シーシュポスの岩」の語は、日本での「賽の河原」同様に「(果てしない)徒労」を意味する。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1265596777

朝、ゴリゴリと大型除雪機の音で目覚めると何かのプログラムのように飛び起きて、家の前の雪を払う。時々既視感を感じすぎて「ここはドラマ『ウェストワールド』のようにループしてるんじゃない?」という会話を家でしてたら「その会話朝も聞いたよ」と妻から言われた。

除雪機の調子が悪くて今日やろうと思った屋根から落ちた雪が払えなかったから諦めてアマプラで『ショーシャンクの空に』を見ることにした。

落ちた雪が屋根までつくと、ゲームオーバーなので、落ちた雪をこまめに払う。機械の調子が悪かったからこの日は手でできるところまでやった。

原作はスティーブン・キングで、無実の罪で刑務所に入れられた主人公が最後まで希望を無くさずに必死に生きる内容だ。

最後に見たのは10年以上前だから、内容はほぼ覚えてなかったが、名作と呼ばれるだけあって、テンポが良く久々に寝ないで最後まで見切ることができた。自分だったら刑務所という場所に無実の罪で入れられて20年も耐えられるのだろうか。

『ショーシャンクの空に』の中で主人公が受刑者たちに問う印象的なセリフがあった。

必死にに生きるか、必死に死ぬかだ

ショーシャンクの空に

最近、美濃加茂市長選挙に立候補している藤井浩人さんの『冤罪と闘う』を読んでから、権力や理不尽なことについてよく考える。詐欺師と裏取引があったんじゃないかという検察や、取り調べで恫喝したと言う警察は普段何を考えているのだろう。

もし権力を持つ側が堕落しては何を信じて生きたらいいんだろう。

自分にとって希望に感じることはなんだろう。

自分にとって世の中にとって正しいことはなんだろう。

雪から途方もなく自分と向き合う時間をもらってる。

雪は理不尽に感じるけど、選んでこの地に暮らしているから理不尽というよりは宿命なのかも。藤井浩人さんに起こったことはどう見ても理不尽だけど、逃げずに真正面から闘い、信念に従って市長選挙にも立候補している。きっと、雪国に暮らす僕らと同じように、理不尽というよりは宿命だと思って、必死に生きているんだろう。

『ショーシャンクの空に』の中で主人公が言う響く言葉があった。

「人の心は石でできてるわけじゃない。心の中には何かある。誰にも奪えないあるものが。君の心の中にも」

除雪という灰色の労働は人の心を石に変えがちだが、美しい光景は前にも後ろにも横にも上にも広がっている。

美しいものを美しいと言える感受性を無くさないように、灰色の労働を無限の色が広がる労働へ転化してみせる。

それこそが自分に課せられた希望の見出し方だ。

我が家の裏から見た猛吹雪の次の朝

ZEN






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